けっこん、します。

 【連載第34回】《“治す側”から”治される側”を経験した作業療法士が教える『心と身体の再起動スイッチ』》「湯のみ一杯の再起動」 ―「何もできない」と言った女性が、もう一度”誰かを迎えた日”―


 記事:内山遼太(READING LIFE公認ライター)

 

※一部フィクションを含みます。

 

「もう、何もできないから」

 

その言葉を初めて聞いたとき、私はどこかで聞き覚えがあった。

病気や怪我のあとに、人はよくそう言う。

でもそれは、「できない」のではなく、「やる理由をなくした」のだと、今ならわかる。

 

 

佐藤さんと出会ったのは、デイサービスに通い始めて三週間が経ったころだった。

 

七十八歳。

転倒による骨折で入院し、退院後は歩行に補助が必要になった。

「危ないから座っていて」と、家族に繰り返し言われていた。

 

リビングで、ソファに浅く腰かけ、テレビを眺める毎日。

手持ち無沙汰な手が、ひざの上で静かに重なっていた。

 

「何かお好きなことはありますか?」

 

そう問いかけると、しばらくの間があった。

 

「昔は……お茶をいれるのが好きでしたよ。家族が帰ってきたら、すぐ出してあげたくて、毎朝準備していたんです」

 

話しながら、その手が少しだけ動いた。

遠い記憶をたぐり寄せるように。

 

「でも、もう何もできないから」

 

その言葉は、自分への宣告だった。

 

 

「できない」と「やらない」は、ちがう。

 

作業療法士として働いていると、その境界線が曖昧になっている場面にいくつも出会う。

 

身体の機能が落ちたわけではなく、「危ない」「迷惑をかける」という言葉で、少しずつ動くことをやめていく人たちがいる。やめることに慣れていく。

そして気づけば、「自分には何もできない」という物語が、その人の中に定着してしまっている。

 

佐藤さんが失ったのは、歩行の安定だけではなかった。

“誰かを迎える人”という役割を、静かに手放していた。

 

 

「お茶、一緒にいれてみませんか」

 

私が声をかけると、佐藤さんは目を細めた。

「でも、こぼしたら」

「大丈夫です。ゆっくりやりましょう」

 

最初の日は、お湯を注ぐだけ。

ポットを両手で持ち、湯のみに向けてそっと傾ける。

ほんのわずかな動作だが、その集中した横顔は、さっきまでとは別人のようだった。

 

「……できたね」

 

私がそう言うと、佐藤さんは湯のみを見つめたまま、静かにうなずいた。

 

 

数日後、デイサービスのスタッフからこんな報告があった。

 

「今日、佐藤さんが家族に電話したみたいで。『帰ってきたらお茶いれておくから』って言ったそうです」

 

私は、その場では何も言わなかった。

ただ、胸の中で何かがほどけていくような感覚があった。

 

翌週、佐藤さんが笑顔で言った。

 

「ちょっと待ってて、お茶いれるから」

 

その一言の中に、かつての佐藤さんがいた。

帰ってくる人を迎えるために、台所に立っていた、あのころの佐藤さんが。

 

再起動は、機能の回復から始まったのではなかった。

“誰かのためにする”という動機が、最初のスイッチだった。

 

 

 こんな人におすすめ

 

– 役割を失ったと感じている方

– 家での居場所が曖昧になっている方

– 「自分はもう必要ない」と感じ始めている方

 

 

 セルフエクササイズ【役割再現型】

 

「誰かのために、一つだけ準備する」

 

① 今、大切にしている人を一人思い浮かべる

② その人が喜びそうなことを一つだけ考える

③ 「渡すつもり」で準備してみる

 

完成させなくていい。

渡せなくてもいい。

“誰かのために動いた”という事実が、再起動のスイッチになる。

役割は、与えられるものではなく、自分から取り戻すものだ。

 

❏ライタープロフィール

内山遼太(READING LIFE公認ライター)

千葉県香取市出身。現在は東京都八王子市在住。

作業療法士。終末期ケア病院・デイサービス・訪問リハビリで「その人らしい生き方」に寄り添う支援を続けている。

終末期上級ケア専門士・認知症ケア専門士。新人療法士向けのセミナー講師としても活動中。

現場で出会う「もう一度◯◯したい」という声を言葉にするライター。

2025年8月より『週刊READING LIFE』にて《“治す側”から”治される側”を経験した作業療法士が教える『心と身体の再起動スイッチ』》連載開始。

 

 

 

 

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