【連載第35回】《“治す側”から”治される側”を経験した作業療法士が教える『心と身体の再起動スイッチ』》「足先から、夜はほどけていった」―シャワーが怖かった青年に訪れた、小さな再起動―
記事:内山遼太(READING LIFE公認ライター)
※一部フィクションを含みます。
恐怖は、理屈では動かない。
「わかってるんです、危なくないって。でも、怖いんです」
中村さん(28歳)は、そう言って少しうつむいた。
交通事故による骨折と打撲。身体の回復は順調だったが、問題は別のところにあった。
シャワーが、怖かった。
—
事故のとき、雨が降っていた。
水が顔に当たった瞬間、あのときの感覚が戻ってくる。衝撃の直前、視界に入った水しぶき。身体が覚えていた。記憶が、皮膚に貼りついていた。
「シャワー、使えてますか?」
私が聞くと、中村さんは首を横に振った。
「ずっとタオルで拭くだけで。シャワーを出すと……なんか、ダメで」
「怖い、という感じですか」
「そうです。頭ではおかしいってわかってるんですけど」
おかしくない、と私は思った。
身体が経験した恐怖は、思考の外側にある。「大丈夫」という言葉では、上書きできないのだ。
—
恐怖を消すのではなく、安心で塗り重ねていく。
それが、私たちのやり方だ。
「まず、足湯からやってみましょう」
「足湯、ですか」
「水が怖いんじゃなくて、あの状況が怖いんだと思うので。”温かくて、安全な水”の記憶を、少しずつ積み重ねていきましょう」
中村さんは少し考えてから、「……やってみます」と言った。
—
最初の足湯は、ほんの五分だった。
お湯の温度を確かめながら、そっと足を入れる。
肩に力が入っていた。こぶしが、ひざの上でかたく握られていた。
しばらく黙っていた中村さんが、ぽつりと言った。
「……あったかい」
その言葉は、ひどく静かだった。
感想というより、発見のような声だった。
「水って、こんな感じでしたよね。本来は」
「そうですね」
「怖さは、今、何点くらいですか。十点満点で」
「……三点、くらいかな。最初は八点でしたけど」
—
そこから、少しずつ変えていった。
足湯から、手を湿らせること。
手を湿らせることから、タオルを濡らすこと。
タオルを濡らすことから、顔を軽く拭くこと。
一段ずつ。怖さが「三点以下」になるまでは、次へ進まない。
急がない。「できた」を積み重ねることが目的だから。
二週間が経ったころ、中村さんが言った。
「今日、シャワー、少しやってみます」
「どのくらいの怖さですか」
「二点くらい。たぶん、大丈夫だと思う」
—
翌週、中村さんは静かに報告した。
「シャワー、浴びられました」
それだけ言って、少し笑った。
照れたような、でもどこかほっとしたような、そんな笑顔だった。
恐怖は消えたわけではないかもしれない。
でも、その人の中に「安心した水の記憶」が積み重なっていた。
怖さを上回る経験が、少しずつ身体に刻まれていた。
再起動のスイッチは、勇気ではなかった。
“怖くない体験”を、一つひとつ重ねることだった。
—
こんな人におすすめ
– 怖くて一歩が踏み出せない方
– 過去の体験がトラウマとして残っている方
– 「わかっているけどできない」と感じている方
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セルフエクササイズ【恐怖の再学習型】
「怖さを点数にして、小さい方から試す」
① 今、怖くてできないことを一つ書き出す
② 怖さを0〜10で点数にする
③ 「2〜3点」になるまで、もっと小さな行動に分解する
④ その小さな行動だけ、今日やってみる
怖さを「ゼロにする」必要はない。
「安心できる経験」を重ねるうちに、恐怖は少しずつ薄れていく。
恐怖を責めないこと。
身体はただ、あなたを守ろうとしているだけだから。
❏ライタープロフィール
内山遼太(READING LIFE公認ライター)
千葉県香取市出身。現在は東京都八王子市在住。
作業療法士。終末期ケア病院・デイサービス・訪問リハビリで「その人らしい生き方」に寄り添う支援を続けている。
終末期上級ケア専門士・認知症ケア専門士。新人療法士向けのセミナー講師としても活動中。
現場で出会う「もう一度◯◯したい」という声を言葉にするライター。
2025年8月より『週刊READING LIFE』にて《“治す側”から”治される側”を経験した作業療法士が教える『心と身体の再起動スイッチ』》連載開始。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
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