架け橋としての折り鶴
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事: 小林こば。(ライティング・ゼミ名古屋会場)
「とにかくビールを飲みたい! 毎日飲みたい!」
大学三年生の夏、勢いで決めた海外旅行だった。
行き先をチェコに決めたのは、世界一ビールを飲む国だと聞いたからだ。
春休みに海外へ一ヶ月行く。
そんなぼんやりした目標を立て、夏休みに一ヶ月ほどトマト工場でアルバイトをした。
炎天下でトマトを運び、大釜の掃除では全身びしょ濡れになった。
シャワーを浴びても身体からトマトの匂いが取れなかった。
毎日暑くて、とにかくビールが飲みたかった。
その一杯を求めて、行き先はチェコになった。
トマト工場で働いて得た三十万円で、一ヶ月のヨーロッパ旅行を計画した。
格安航空券で十五万円が消えた。残り十五万円で三十日間を過ごすことになる。
まあ何とかなるだろう。最悪は野宿で乗り切ればいい。
若いからこそできた旅だったと思う。
今となっては笑い話だが、問題ばかりの旅だった。
まず、出発前日になっても航空券が届かなかった。販売会社の手違いだったらしい。
担当者は謝罪しながら、前日の夜に航空券を手渡しで届けてくれた。
スウェーデンでトランジットをし、無事に着いたものの、予定より遅れていた。
プラハ空港に着いた頃には、夜八時を回っていた。もちろん宿は予約していない。
プラハ市街へ行けば安宿くらい見つかるだろうと軽く考えていた。
ところが、市街へ出る方法がよく分からない。
右往左往していると、何人もの男が声をかけてきた。
宿はないのか、案内してやる、と言う。でも、見るからに怪しい。これはまずい、と直感した。
困っている僕を見て、離れたインフォメーションセンターのお姉さんが目配せをした。
「その人たちとは話しちゃダメ」
そんなジェスチャーだった。
「こっちへ来なさい」
手招きされて行くと、
「宿がないの? プラハでいい? 今から探してあげるから、ここでじっと待っていて」
そんなことを言い、あちこちに電話をかけ始めた。
二十分ほどして、一軒だけ今から泊まれる宿を見つけてくれた。
値段も安く、三泊できるという。迎えの車が来るから、それに乗ればいいらしい。
空港を出ると、また怪しい男たちが近寄ってきた。
「僕たちは泊まるところがあるんだ」
今度は胸を張ってそう言うと、彼らは離れていった。
ところが、その先に待っていたのが、この旅で一番の恐怖だった。
迎えの運転手の運転が、とんでもなく荒かったのだ。
合流では後ろの車と紙一重ですれ違い、クラクションが鳴り響く。
「ひいぃ!」
僕と友人は悲鳴を上げた。
「スローダウン! スローダウン!」
叫んでも運転手は平然とアクセルを踏み続ける。
初めての海外旅行で交通事故死は嫌だ。
明日のニュースになるのかな……。
そんなことを考えながらシートベルトを握りしめていた。
暴走は三十分ほど続いた。
宿に着いた瞬間、生きていて良かったと心から思った。
友人も「マジで死ぬかと思った」と泣きそうな顔をしていた。
その宿は、普通のマンションの一室だった。一家が暮らす部屋の一室を貸し出しているようだった。
どんな場所であれ、夜遅く突然受け入れてくれたことがありがたかった。
四十代の女性が迎えてくれた。
疲れただろう、ゆっくり休んでね、夕食はあの辺りで買うといいよ、朝食は用意するね、みたいなことを言っていたと思う。
その女性はチェコ語しか話せなかった。
僕たちが日本人だということは分かっているようだった。
翌朝は朝食を用意してくれ、街へ出かける僕たちに窓から手を振ってくれた。
まるで家族のように接してくれた。
どうしてこんなに親切にしてくれるのだろう。
一日観光して帰ると、また笑顔で迎えてくれる。
「どうして、そんなに親切にしてくれるのですか」
そう聞きたかった。
けれど、言葉が通じなかった。
彼女はいろいろな言葉で話しかけてくれた。
僕たちはほとんどその言葉を理解できなかった。
でも、その音色から、きっと優しくて気づかいのある言葉だったのだと思う。
言葉は通じなくても、相手を思いやる気持ちは伝わるのだ。
海外へ行くまでは、外国人との会話は単語や語彙力が重要だと思っていた。
でも実際は逆だった。
人は言葉が分からないからこそ、表情や声、話す速さやしぐさを一生懸命読み取ろうとする。
言葉よりも先に気持ちが伝わることもあるのだと、その時初めて気がついた。
初めて出会った外国人が、彼女で本当に良かったと思った。
三日間その宿で過ごし、僕たちはプラハを後にすることになった。
最後の日、「ありがとう」と伝えると、女性はキッチンへ来るように手招きした。
棚を指差す。
そこには日本人が写った写真と、一羽の折り鶴が飾られていた。
折り鶴の横には手紙も置かれている。
ああ、そうか。
以前ここに泊まった日本人がいたんだ。
その人が、僕たちをつないでくれたんだ。
彼女がキッチンで話している内容は、正確には分からなかった。
でも、彼女が伝えたかったことは、僕にはちゃんと伝わった。
「ありがとう」
僕は彼女だけではなく、会ったことのないその日本人に向けて言っていた。
先人たちの誠実な振る舞いがあったからこそ、今の僕たちも温かく迎えられた。
僕たちの行動もまた、未来にここを訪れる日本人へつながっている。
初めての海外旅行、初めての宿で、そのことを強く感じた。
折り鶴は、日本人の丁寧さと誠実さの象徴だったのだと思う。
そしてきっと、あの折り鶴は、日本とチェコを結ぶ小さな架け橋だったのだ。
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