卵は万能薬
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事: 福乃 玲 (ライティング・ゼミ名古屋会場)
「玲ちゃん、髪がぱさぱさだよ」
六十代のおじさまから言われた。
その方は毎月、愛知県から東京の美容院に通っている。
カラーリングも欠かさないので髪は真っ黒でつやつやだ。白髪を見たことがない。
顔にはシミひとつなく、洋服もいつもおしゃれである。
正直なところ、私よりよほど美意識が高い。
私はというと、朝は子どもたちの支度に追われ、気付けば髪を一つに結んで家を飛び出していることも少なくない。
そんな方から言われたのだから説得力がある。
この年になると、正面から身なりについて指摘されることは少なくなる。
夫もきっと思うところはいろいろあるのだろう。けれど優しいので、まず口にはしない。
だからこそ、おじさまの言葉にドキッとした。
実はその頃、私自身も髪の状態が気になっていた。
早く美容院へ行きたい。
ところが、私が絶大な信頼を寄せる美容師さんは一か月の病休中だった。
どうしよう。
そのとき思い出した。
そうだ、卵だ!
ちょうどその頃、SNSで見かけた投稿が頭に残っていた。
「四十代女性は朝食に卵を食べなさい。いいことしかないです」
私はお酒が好きなので、夕食は食べ過ぎないようにしている。
揚げ物も控えめ、夜遅くのラーメンも必死に我慢している。
その反動だろうか。
朝食だけは自由だ。
家族がまだ寝ている早朝、コーヒーをいれ、本を読みながら好きなものを食べる。
この時間だけは完全に私のものだ。
だから、ときにはケーキ。
クッキーだけで済ませてしまう日もある。
大人になってからの方が、子どもみたいな朝食を食べている気がする。
だが、最近は何となく疲れが抜けなかった。
ケーキだけの日は、その後チョコレートを爆食いしてしまうこともある。
夕方には集中力も切れる。
これはまずい。
卵は腹持ちがよく、髪や肌にもいいらしい。
試してみよう。
翌日から朝食にゆで卵を二つ食べることにした。
すると二日目あたりから変化があった。
まず、午前中にお腹が空かない。
以前は十時頃になると何か食べたくなっていたのに、昼食まで温かいルイボスティーだけで過ごせる日が増えた。
チョコレートに手が伸びる回数も減り、体が軽くなったような気がする。
もちろん気のせいかもしれない。
けれど、人間は単純な生き物だ。
効いている気がするだけで少しうれしい。
さらに卵は飽きない。
塩で食べてもいい。
マヨネーズでもいい。
その日の気分で楽しめる。
冷蔵庫に卵があると少し安心する。
お弁当の一品が足りなければゆで卵。
夕食のおかずが少なければ卵焼き。
気力がなければ卵かけご飯。
体の栄養になるだけではなく、
「今日もなんとかなる」
そんな気持ちにもさせてくれる。
朝、ゆで卵の殻をむく時間も嫌いではない。
少しひびを入れて、殻を少しずつはがしていく。
つるんと白い卵が顔を出すと、それだけで少し気分がいい。
以前の私は、朝は一分でも惜しくて、せわしなかった。
けれど今は、卵を食べながら「今日は何をしようか」と一日を思い浮かべる余裕が少しだけ生まれた。
たかが卵、されど卵。
私にとっては、一日の始まりを整えてくれる、小さなスイッチになっている。
さて、肝心の髪である。
正直、つやが出たかはよく分からない。
ただ、不思議なことに意識は変わった。
せっかく卵を食べているのだから、髪も大事にしよう。
そう思うようになったのだ。
ヘアミルクを付ける。
きちんと乾かす。
以前なら面倒で省略していたことをやるようになった。
その結果なのか、前ほどパサつきは気にならなくなった。
もっとも、卵生活には思わぬ副作用もあった。
我が家の卵の消費量が急増したのである。
息子も卵が大好きだ。
朝は卵二個の卵焼きをぺろりと平らげる。
夕食にオムライスをリクエストされれば、さらに二個。
そこへ私のゆで卵二個が加わる。
気付けば卵が飛ぶようになくなっていく。
以前は十個入りを買えば安心だった。
しかし今は違う。
冷蔵庫を開けるたびに残数を確認する。
あと六個。
まだ大丈夫。
あと四個。
少し不安になる。
あと二個。
緊急事態である。
最近ではスーパーで特売の卵を見ると、条件反射でかごに入れてしまう。
私は昔からこういうところがある。
良いと思ったら、とことんやる。
ほどほどが大事だと分かっていても、その「ほどほど」ができない。
健康に良いと聞けば毎日続ける。
気になることがあると、とことん調べる。
面白いドラマがあると、寝る間も惜しんで一気見してしまう。
そして、たいてい少しやり過ぎる。
心にいいのかどうかは分からない。
それでも、私には密かな楽しみがある。
あのおじさまにもう一度会うことだ。
美意識の高いあの方なら、私の変化に気付いてくれるだろうか。
「玲ちゃん、髪につやが出たね」
そう言われたら、うれしい。
そんなことを思いながら、今日も私は冷蔵庫を開ける。
あと二個。
やっぱり今日も補充が必要だ。
我が家の万能薬は、今日もよく効いている。
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