川代ノート(READING LIFE)

「私はできる」という呪い《川代ノート》


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記事:川代紗生(天狼院スタッフ)

 

私たちは、呪いをかけられている。
それは「自分はできる」という呪いである。
その呪いは、いつまでも私に、私たちにつきまとって、離れることがない。
この頑固な呪いを、私は、いまだに解くことができずにいる。

 

「上司が本当にカスでさー」
「マジで使えないんだよな」
「また俺がフォローしないといけないんだよ」

社会人になったとたん、そんな愚痴をよく聞くようになった。同世代の友人たちからだ。

会社の同期も、高校、大学の同級生たちも、オンラインでつながっている、ペンネームとアイコンしか知らない遠くの誰かも、社会の「使えない大人」について愚痴を言っていた。
そしてそんな風に言っているのは、私も同じだった。

「カス」くらいの強い言葉を使わないまでも、愚痴を吐いていた。

けれども思えば、こうやって自分の上にいる人たちの悪口をいうのは、今にはじまったことではない。
大学生の頃からそうだった。

だって、私がアルバイトをしていた職場では、ほとんど全部の店舗で、上司か、店長か、社員は、裏で悪口を言われていた。

だいたいどのお店にも、「仕事のできない社員さん」「いつも忙しそうでスタッフの管理ができていない店長」「訴えても何もしてくれないマネージャー」のうち少なくとも一人は、存在していた。金太郎飴みたいに、テンプレ通りの。

そしてこれもよくあることだが、どの店舗でもだいたい権力者的なアルバイトスタッフが存在して、その人に従っていればとりあえず大丈夫、的な空気が漂っていたのだった。
誰だって、「仕事ができないやつ」扱いされたくないし、「悪口を言われる対象」にだってなりたくはない。

だから、その職場で「できないやつ」がいると、とても都合がよかった。
なぜなら、そいつの悪口さえ言っていれば、少なくとも自分が「できないやつ」扱いされることはないからだ。

幸か不幸か、私はその職場で誰が権力を握っていて、そして誰が悪口を言われる対象なのかということを見極める観察力が、昔からとても鋭かった。

小学生の頃、いじめられていた経験があるから、そのせいで、まわりの人間関係をよく見る癖がついていた。だから、必然的に、誰にどう従えば最低限、「ダメなやつ」扱いされなくてすむか、ということを見極める能力が非常に高かったのだ。

だから、私は新しいアルバイトをするといつも、誰に従えば正解で、誰をハブにすれば自分の地位は安定したままなのかということをまず判断するようにしていた。

そんな経験を、大学のコミュニティ、アルバイト先、社会人になった職場で積んでいた。どの職場でもそういったことは起きた。これは毎回起こることなんだろうと思っていた。

 

これが社会の常識である。
どの職場にも「できない社員」はいて、「悪口を言われる対象」がいる。いないと困るのだ。
だってそいつがいる間は、最低限、自分は「できないやつ」扱いされずに済むからだ。

これが、私たちにかけられている「呪い」である。

「自分はできる」という呪い。
いや、むしろ、別の言い方をすれば、「自分よりできないやつがいる」という呪いである。
「私はビリじゃない」という、呪い。

「ビリじゃないから、あいつよりまだマシだから、頑張らなくていい」と言い訳することほど、愚かなことがあるだろうか。

誰のせいでもなく、きっと潜在的に、私たちの頭のなかには、防衛本能として、その呪いがかかっているんじゃないかと思うのだ。

 

大学生の頃から数年経過し、私は今、「店長」という仕事をやっている。

結論から言えば、私はあの頃に自分が悪口を言っていたような「仕事のできない社員さん」であり、「いつも忙しそうでスタッフの管理ができていない店長」であり、「訴えても何もしてくれないマネージャー」になってしまっていると、最近、思った。

大学生の頃、さんざん悪口を言う仲間に賛同していた私の姿が蘇ってくるのだ。

「〇〇さんって本当仕事できないですよね」
「なんであんなに気が利かないんだろう」
「またあんなミスしてた」

ああ、盛大なブーメランというのはまさに、このことだったんだろう。

もしもあの頃の私が、今の私に出会ったとしたら、きっと今の、25歳の私の悪口を言うだろうと思った。「川代は使えない」と言うだろうと思った。批判するだろうと思った。「あいつはダメだ」と散々愚痴を吐くだろうと思った。

その程度だったのだ。
私という人間など、その程度だったのだ。

そして一番の問題は、私が「その程度の人間」だという事実ではなく、「その程度の人間」であると気がついていなかったという事実だった。

私は潜在的に、「自分はできる」と思い込んでいた。
いや、「自分よりもできないやつがいる」という事実を盾にして、自分を守ろうとしていた。

その呪いが、いつかかったのかはわからない。

あるいは、小学生の頃、いじめられたからかもしれない。
あるいは、高校生の頃、受験に成功したからかもしれない。入りたかった大学に合格できたから。
いい成績をとれたから。
就活で周りに出遅れているから。
仕事ができたから。
ミスをしたから。

私たちは日々、いろいろな経験をしている。前に進み、また、後ろに下がる。

傷ついては回復し、回復したかと思ったら、また、傷つく。
その繰り返し。

日々ぐるぐると考えるうちに、自信がなくなっていって、とにかく、何も考えたくなくなる。逃げたくなる。

守りたいと、思う。自分自身を。

「傷つきたくない」という強い防衛本能によって、あるいは、呪いをかけてしまっているのかもしれない。

「私はできる」という強い呪いを。
「私は実力がある」と。
「私は才能がある」と。
「私はいつか、ちゃんと芽が出る人間だ」と。「今は調子が悪いだけ」だと。

だってその呪いをかけていれば、事実と向き合わなくてもすむからだ。

「私はできる」という呪いをさらに強くするために、自分よりもできないやつを探し、そして、「私はマシだ」と思い込もうとする。

けれども、人と比べ、比較し、「私の方がマシ」と言い続ける人生の、何が面白いのだろう。

 

人生は、ポーカーゲームなんかじゃ、ない。

手持ちのカードを増やし、カードを切り、勝ったか負けたかだけで判断するのが、人生ではないのだ。

 

呪いを、解こう。

真正面から自分を見つめ、誰とも比較せずに生きていけたなら、どんなにいいだろう?

心の底から「自分が好きだ」と言い、「自分を誇りに思う」と言えることができたなら、どんなに、素敵だろうかと、最近、そればかり考えている。

 

「私はできない」と思うこと。

まずは、そこからなのかもしれない。

誰と比較するでもなく、勝った負けたで判断するのでもなく、私は、私のことをどう思うか。

私は、私を信頼できているだろうか。

私は、人の役に立てているだろうか。

常に自分と向き合い、自分を律し、自分を叩く。

見栄でもプライドでもない、「矜持」を培うためには、まずは、そこからなのだ、きっと。

 

呪いをかけてしまったのが私自身なら、呪いを解けるのもまた、この世に私しか存在しないのだ。

 

 

❏ライタープロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)
東京都生まれ。早稲田大学卒。
天狼院書店 池袋駅前店店長。ライター。雑誌『READING LIFE』副編集長。WEB記事「国際教養学部という階級社会で生きるということ」をはじめ、大学時代からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。天狼院書店スタッフとして働く傍ら、ブックライター・WEBライターとしても活動中。
メディア出演:雑誌『Hanako』/雑誌『日経おとなのOFF』/2017年1月、福岡天狼院店長時代にNHK Eテレ『人生デザインU-29』に、「書店店長・ライター」の主人公として出演。

 

この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」木曜コース講師、川代が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2018-10-21 | Posted in 川代ノート(READING LIFE)

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