チーム天狼院

激レアさん放送後「歯茎」と言われ続けてコンプレックスが増えた話《川代ノート》


 

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記事:川代紗生(天狼院スタッフ)

 

えーと、激レアさんが放送されてからもう半年以上たつんですけどね、いまだに思い出すんですよ。なんでだろうね、名前も顔も年齢も知らない、何ひとつ知らないはずなのにね、浮かんでくるんですよ、あの歯茎をぐいっと剥き出しにしたキャラクターの顔が。毎朝鏡を見て化粧水を塗るとき、洋服を着替えたとき、あとはとくにあれかな、口紅を塗るときかなあ。顔色がパッと明るくなる、レブロンのオレンジのやつ。大学生のころからお気に入りでもう何本もリピートしてて、塗った瞬間にふわっと気分が上がる。本来そういう瞬間だったはずなんだよね、私にとって、このリップを塗る瞬間っていうのはさ。でも今じゃ、明るいオレンジで血色よく見えるなあ、わーいやったあっていうポジティブな面よりも、ああやっぱり笑うと歯茎でちゃうなあとか、そういうネガティブなほうに目が行ってしまう。そう、あの瞬間から、歯茎は私のコンプレックスになってしまった。なっちまったんだよ。

 

激レアさんが放送された直後のことだった。たしか、2月頭頃だったと思う。ありがたくも「失恋の腹いせに『元彼が好きだったカレー』通称元カレーを商品化してバズった人」として取り上げていただく機会を得た。やはりテレビの影響というのはすごいもんで、ツイッターには知らない人からたくさんのリプライやメッセージが届いていた。

そのうちのほとんどが「面白かった」とか「今度カレー食べに行きますね」とかの暖かいメッセージで、炎上して血塗られた手ぬぐいが自宅ポストに投げ込まれるんじゃないかと戦々恐々としていた私は心の底からほっとした。ディレクターの方々が素晴らしく盛り上げて編集してくださったおかげだなと、いやーさすがプロは違うわと感動して五体投地させていただきたくなるくらいだった(事実、心のなかでは五体投地していた)。

 

ところが、である。

「面白かったよ!」とあっちらこっちらから連絡をもらって浮かれポンチになっていた私のところへ、とあるメッセージが届いた。

けっこう前の話なのでもうはっきりとは思い出せないのだが、たしか、こんなようなことが書いてあった。

「歯茎がすごいですね!」

見た瞬間、えっ? と思った。私のことじゃないよね? と。でもその人は明らかに激レアさん放送直後にフォローしてくれた人だったし、私がテレビで話している映像を観てメッセージを飛ばしてきているのだろうことは明らかだった。

 

あー、そっかあ。私、歯茎出てるタイプなのかあ。

 

言われてみれば、と思わず鏡をのぞく。たとえば写真を撮るときに歯を出して笑うくらいならばそこまで目立つわけではないが、たしかに大笑いすると上唇がめくれ、上の歯茎がぐいっと丸見えになってしまう口の構造をしていた。テレビの放送を観直しても、大笑いするシーンで歯茎が剥き出しになってしまっている。

うーん、そうかあ、気がつかなかったなあと思った。ガタついたところはいくつかあるにせよ、歯並びは悪くないほうだと思っていた。芸能人じゃないんだし、まあこの程度の歯並びなら困ることもないし、このままでいいだろう、と。

 

だから、人生ではじめて「歯茎すごいですね」と言われても、はじめのうちはあまりピンとこなかった。そりゃ私のことを知らない赤の他人が観るんだから、それくらいのことは言われるだろう、血がボタボタ滴るタオルを家の窓から放り込まれるよりはずっとマシだろうと、その程度に捉えていた。

 

しかし、である。

来るのである。

また、来るのである。

「歯茎」についての指摘がちょくちょく来るのである。

早く忘れたかったので具体的に何を言われたのか、どれくらいの頻度でそれが届いたのかまでは思い出せないのだが、まあとにかく、「あなたの歯茎はすごいです」という趣旨のメッセージがそのあとも届いた。しかもご丁寧に、アカウント名がわざわざ「歯茎」に設定されていた。おまけによくよく見ると、アイコンも歯茎を剥き出しにした謎のキャラクター画像になっているではないか!
それに気がついたときの私の衝撃といったらなかった。

 

いやいやいや……え?

いや歯茎が気になったのはわかるが……え?

どゆこと? 

えーと……。

え?

そういう趣味の人なん?

 

いや、もうこれには本当にびびった。マジでびびった。そういう人がいるという話はなんとなく聞いたことがあったが、幸い、普段私の周りにいるのは心の優しい人ばかりなので、わざわざ手間暇かけてそういう嫌がらせをする人に出会ったことはあまりなかったのだ。だから、「おお、お忙しいところお世話になります……」と思いつつ、最初は無視していたのだけれど、なんとなくモヤモヤしてきたので、結局そのアカウントはミュートして見ないようにすることにした。

 

それ以降、容姿に関することで攻撃してくるようなメッセージもリプライもなくなり、平和な日常が戻ってきた。ホッとした。しばらく時間を置いてからもう一度そのアカウントを見にいったことがあるがどうやら捨てアカだったらしく、飽きたからなのかどうでもよくなったのか理由は定かではないが、私へのリプライも消えていた。

 

私はといえば、そんなふうに言われたことも忘れ、元気に過ごしていた。しょせんは会ったこともない赤の他人の気まぐれなのだ。相手は誰でもよかったはずだ。攻撃できる誰かを探していて、そのときたまたますれ違ったのが私だった。運が悪かったんだよ。それだけだった。

 

それだけだった……はずだった。

うん。はずだったんだよ。そうやって終わらせるはずだったんだよ。

はずだった、んだけどなあ。

 

何度言葉で言い聞かせても、自分に問いかけても、ふとした瞬間に蘇るのだ、あの歯茎を剥き出しにしたキャラクターの顔が。私ってああいう笑い方してるのかなあ、他の人からはああ見えてるのかなあ。鏡を見るたび、化粧をするたびにそんなことを思う。家族や友達、恋人と大笑いするとき、ふっと上唇がめくれる感覚があって、その瞬間、ああ、私いま歯茎出てるだろうなとか、前歯がちゃんとしまえてないだろうなとか、ブスになってないかなとか、そんなことを思う。そして咄嗟にグラスに口をつける。手で口を覆う。意図してやっているわけじゃない。「またあんなふうに思われちゃったらどうしよう」という焦りと不安が身体中を駆け巡って、手が勝手に動いてしまうのだ。

 

そんな日がしばらく続いて、半年以上たってもコンプレックスがなくなることはないどころかむしろますます気になってきて、いままで全く考えたことのない歯列矯正まで検討しはじめるようになって。

それでいまは、どこか他人事みたいに諦観している部分もある。うーん、もう染み付いちゃったんだなと。

目や貧乳や脚、幼い頃から蓄積されていたコンプレックスたちからはもう解放されたと思っていた。目をより大きく見せる化粧の仕方を覚えることで、自分のチャームポイントを見つけることで、私は前ほどコンプレックスを気にしない人間になったと思っていた。外見を磨くのは自分自身のためであって、他人からどう思われようとも気にしない。気にする必要はないと思っていた。そもそも、赤の他人の言うことなんか聞く必要ないじゃないか、とも。

その程度のメンタルの強さは手に入れられたと思っていた。

 

でも違った。いや、違ったというか……、そもそもコンプレックスを気にしてしまうかどうかというのは、私が鍛えてきたメンタルの強さ云々に関係ないんじゃないかと思うようになった。

コンプレックスや欠点というのはもしかして、自分で発見するものではなくて、他人に指摘されてはじめて生まれるものなんじゃないか、と。

思えば、他のコンプレックスだってそうだった。つり目が大嫌いになったのだって幼稚園でガキ大将に「お前はポケモンでいうとユンゲラーだ」と言われたからだ(人気のあるおめめがぱっちりした女子にはイーブイだのプリンだのロコンだのとかわいいポケモンばかり言っていて、媚を売りやがってと幼心にはらわたが煮え繰り返るかと思った)。左の脛のど真ん中にある1センチ大のほくろが嫌になったのだって、小学生のころ同級生たちからさんざん「泥ついてるよ」「とってあげようか?」「なんでそこ汚れてるの?」と揶揄われたからだ。いや、知らんがなとはじめのうちは思った。でもそうやって大勢の人たちに「不正解」のレッテルをぺっと貼られ続けることによって、どんどん私のなかでそれは「あってはいけないもの」「本来存在すべき形ではないもの」「直さなければならないもの」に変わっていったのだ。

 

そうだ。何もかもそうだ。いい言葉も悪い言葉も、過去に投げかけられたことは呪いみたいに貼りついていて、消えることがない。ほとんど無意識下に染み付いている。「あなたってこういう人間だよね」「こういうところがダメだよね」「おとなしい人だよね」「コミュ障なの?」「ちょっと変なところあるよね」「あー、川代さんってとっつきづらいところあるから」「目、空いてなくない?」「この人って下ネタとかだめな人なんで優しくしてあげて」「紗生ってすごく冷たいよね」「他人に興味がないんだと思う」「感情に左右されすぎじゃない?」「そんなでかいほくろあるのによく足出せるね!」「真面目だよね!」「あんたは本当に肝心なところでいつもミスするんだよ」「歯茎すごいですねー」「こういうところはいいんだけど、ここは直した方がいいよ」「あなたは気が付いてないかもしれないからあえて言わせてもらうけど、本当はこういうことがしたいんじゃないの?」

 

ああああああ!!! もう!! うるさい!!!

うるさいうるさいうるさい!!!

他人の声が反響する。息ができなくなる。金縛りにあったみたいに体が固まる。呼吸が荒くなる。何をすればいいかわからなくなる。目が回る。くらくらする。目を閉じる。深呼吸する。

 

はあ、と深く息を吐いて、呼吸を整えて、ようやくもとの世界に戻ってこれる。

 

この繰り返しだ。子どものころからずっと変わらない、直したくても直せない癖。過去に言われたことがぶわっと一気に脳裏に蘇って、何もできなくなる。動けなくなってしまう。うず高く積まれた言葉の山に埋もれて脂汗が出てきて、何をすればいいのか、どこへ向かっていけばいいのかわからなくなるのだ。

 

たぶん、この癖はずっと治らないんだろうな、と半ば諦めている。仕方のないことだ。

ただ、とふと私は怖くなるのだ。もしかしたら、ああやって私を襲ってくる「あんたはこういう人間だよね」というレッテルの大群たちのなかには、もしかしたら、私がこれまでに投げかけてきたものも含まれているんじゃないか、と。そして、自分自身に強く誓いを立てる。この一件を、被害者面して終わらせることだけは絶対にしてはならないのだと。私がいまこうして感じている痛みは他人の痛みであり、社会の痛みであり、世界の痛みであり、戒めとして自分の体に深く刻みつけておかなければならないのだ、と。

だって、他人に言われて嫌だったその鬱憤を晴らすために、私だって他人にレッテルを貼り続けてきたじゃないか。「あんたってこういう人好きじゃん」「こういうタイプだよね」「あー、あの人って隠してるけど絶対こういう性格だよね」と友人たちの恋話や噂話に相槌をうつふりをしながら好き勝手にカテゴライズしてきたじゃないか。先輩風を吹かせるために、たいして仲良くもない後輩の悩みを無理やり引き出して「大丈夫、大丈夫。あなたはきっとこんなことで悩んでるんだろうけど、気にする必要ないからね。私がついてるからね」と、承認欲求を満たすための道具に使って恍惚感を味わってきたじゃないか。

そうだ。脳裏に浮かんでくる「他人に貼られたレッテル」と同じか、それ以上にたくさんのレッテルを、私は貼り続けてきたはずなのだ。

 

他人に言われたのか、自分が言ったのか、そのへんで聞いたのを耳にしたのかわからない言葉たちがぐちゃぐちゃになって、頭のなかで蠢いている。誰かが誰かを責めている。誰かが私をカテゴライズして怒っている。私が誰かを縛って動けなくしている。私がいま感じている痛みは誰のものなんだろう。他人の痛み? 私の痛み? 社会の痛み?

もうわからない。ぐちゃぐちゃとした言葉の渦と罪悪感にのまれて溺れてしまいそうだ。もう何もかもめんどくさくなって、全世界に土下座したくなってしまう。

 

言葉によって私はつくられているんだなと、つくづく思う。ポジティブなところもネガティブなところも、他人から言われたり自分から言ったりしたことで固定されてしまうような気がする。私はこういう人間。私はこういう性格。私はこういうのが苦手。私はこういうのが得意。

本当はわからないはずなのにね。簡単にカテゴライズしたりできるはずないのに。でもどうしてもそのほうが簡単だから、私は手っ取り早い言葉を見つけて処理したくなってしまう。「コンプレックス」としてラベリングされて補完された部分は、「直した方がいいボックス」に収納されて、そしていつのまにか「私が幸せになれない理由」という新しいラベルが貼られていたりする。

 

そんな簡単に処理できるもんじゃないよな、と最近思う。処理できるもんじゃない。処理できるわけないよ。

簡単じゃないよ。生きるのって。難しいよ。めんどくさいよ。

 

でも、こうして処理できずにぐちゃぐちゃと溜まっているものがあるからこそ、生きるのが面白いのも、事実なんだよなあ。

そう考えると少しだけ、楽に息ができるようになったような気がする。

 

ぐちゃぐちゃでわけのわからないものすべてを詳らかにせずに、ぐちゃぐちゃのままの形で真空パックして取っておくこと。

人生にはそういう時期があってもいいんじゃないかと、そんなことをふと思うのだ。

 

 

 

さて。
歯茎さんのおかげで本当に、すごく大きな学びがあったわけだが。
ただ、うーむ、私の歯茎はどうしよう。歯列矯正しようか。ちょっと迷う。
きっと私は一生、鏡を見るたびに歯茎が気になるだろう。モヤッとするだろう。写真を撮るとき、あまり歯を出して笑えないだろう。
そうしてコンプレックスに追いやられた私は、歯茎さえ治れば私は幸せになれるんじゃないかと、そう錯覚するだろう。歯茎のせいで私は幸せになれないんだと、そう思い込もうとするだろう。

でもたぶん違うのだ。いくら歯茎を治しても、私は幸せになれやしない。
そんなことよりも、この強い痛みを忘れることなく、嘘のないまっすぐな言葉を紡ぎ続ける。

そういうことの積み重ねでしか、きっと前には進めない。

痛みとはときに、何よりも強い武器になる。
なってくれるはずだ。

いまはそう、信じるしかねえよなあ。

 

 

 

 

 

❏プロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)

ライター。 天狼院書店スタッフ。ライティング・ゼミ講師。東京都生まれ・早稲田大学卒。WEB記事「親にまったく反抗したことのない私が、22歳で反抗期になって学んだこと」(累計35万PV)等、2014年からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。レシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。天狼院書店で働く傍ら、ライターとしても活動中。

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