週刊READING LIFE vol.9

I am the very very lucky-man ! 《週刊READING LIFE vol.9「人生で一番思い出深い旅」》


記事:山田THX将治(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

 

「オイ! 行けないってどういうことだよ!!」
10年前の年頭、私は思わず電話口で叫んだ。
その年の初夏、一緒にアメリカへ旅行しようと約束していた友人が、仕事の都合で行けなくなりそうだと伝えてきたのだ。子供でもあるまいし、一人で行けば済むことだったが、私は‘英会話’がからっきし出来ないのだ。旅行中の会話は、全て英語が堪能なその友人に頼ろうと思っていたのだ。
では、私はアメリカ旅行を諦めたのかというと、そう簡単に諦めたくない事情が有ったのだ。

実はこのアメリカ旅行、2008年を最後にクローズするNYの旧ヤンキースタジアムへ、もう一度行きたいと私が発案したものだったのだ。“ベーブ・ルースが建てた家”という別名を持つ旧ヤンキースタジアムはその当時、ヤンキースに日本人の松井秀喜選手が在籍していたこともあり、連日のMLB中継でおなじみだった。その旧ヤンキースタジアムに、英語が堪能な友人は行ったことが無いとのことだった。ネイティブと変わらぬ発音が出来るくせに、“ベーブ・ルースが建てた家”に行ったことがないなんて‘不健全’極まりないと、私が無理やり誘っていたのだった。
私といえば、せっかくなじみになったスタジアムを最後にもう一度目に焼き付けたいという思いが強く、結局は一人でも旅行を強行することにしたのだった。

一人旅となったので、もう一つ‘わがまま’を付け加えることにした。
それは、せっかくアメリが東海岸まで行くのだから、ボストンにも立ち寄ろうと考えたのだ。何故なら、ボストンには旧ヤンキースタジアムより古い、世界最古のボールパークである“フェンウェイパーク”があるからだ。またいつ日か訪れるであろう‘フェンウェイパークにお別れする年’に、再び東海岸を訪れるのは大変おっくうなことだからだ。しかも、映画の舞台としては何度も観ているボストンには、私はまだ行ったことが無かったのだ。
そうなると、持ち前の‘貧乏性’が顔をのぞかせ、“フェンウェイパーク”だけでは飽き足らず、“ボストン美術館”・“ボストン交響楽団ホール”・“ハーバード大学”・“マサチューセッツ工科大学”・“戦艦コンスティテューション”そして、“フリーダムトレイル”という観光道を、行先に加えた。結局、NY行きの前にボストンで4日間過ごすことにした。
そんな身勝手をしても、誰からも文句を言われなくて済む一人旅は、まんざらでもなくなっていた。

当時、直行便のなかったボストンへは、シカゴでのトランジット(乗り換え)が必須だった。ハブ空港であるシカゴ・オヘア空港は、成田よりも広く、より多い便が世界各地から乗り入れている。
私が搭乗したユナイテッド航空便がシカゴに到着する直前、中国・北京便とインド・デリー便が到着していた。入国審査口は多くのアジア系外国人(USAから見ると)でごった返していた。
「Oh! Unlucky」
私は何故か、英語でジョークが口に出た。入国審査口の係員は、アジア人にうんざりしているのか、面白くなさそうに笑顔に一つも見せていなかった。長蛇の列になっているアジア人は、私を含め一向に前に進めずにいた。例の係員の手際が、著しく‘やる気’が出ていないからだ。
1時間以上待たされた私の前には、6人の中国人(と思われる)家族がいて、子供を含む全員の指紋照合を行っていたのだ。しかも、全ての指の指紋を。計60か所の指紋照合に余計に時間を取り待たされた私は、もう数十時間タバコが吸えなかったこともあり、イライラが頂点に達しようとしていた。
「これで、俺の指紋も全部取りやがったら、レッドソックス(ボストン)ファンを止めてやる!」
今度は日本語で、ブツブツつぶやいた。

やっと私の番になった。パスポートを渡すと例の係員は、やや笑みを浮かべ
「日本人か? ようこそ自由の国へ。指紋認証は右手中指だけでいいよ」
と急に愛想よく言ってきた。やはりアメリカは、私にとっての友好国だ。
「Luckyだ!」
私は一人、ガッツポーズを取り急いで‘喫煙ブース’へ駆けつけた。ボストン便の時間が、迫ってきてしまったからだ。

それでも何とか遅れずにボストン便に乗り、予定より少しだけ遅れてボストン・ローガン空港に到着できた。空港で夕食も買うことが出来た。“Lucky”だ。
トランクを転がしながら喫煙所を探した。空港の一番端にあるとの表示に“Unlucky”の言葉が口を突いて出た。10分以上歩いただろうか、喫煙所で立て続けに2本タバコを吸った。
近くで私と同じく‘煙く’なった男性に、たどたどしい英語でダウンタウンまでの連絡ミニバンはどこで乗るのかを訪ねた。ミニバンの待合が喫煙所のすぐ近くにあると教えられ、“Oh lucky”と言ってしまった。
まぁまぁの一日目だった。

アメリカ東海岸一人旅二日目。
ジェットラグではっきりしない頭を何とか起こし、ボストン市街を探索した。“フリーダムトレイル”と名付けられた観光道は、道路に付けられた赤い線をたどると歴史的名所を徒歩で回ることが出来る道だ。ボストンという場所柄、アメリカ建国の歴史をめぐることが出来た。
“ユニオン・オイスター”というジョン・F・ケネディ大統領も贔屓にしていたレストランにも行った。“戦艦コンスティテューション”も見学できた。“ハーバード”“マサチューセッツ工科”の両大学は、それはもう、これぞ‘学問の府’といった雰囲気だった。

一日中歩き回って疲れたので、早めにホテルへ戻ってみた。コンシェルジュから鍵を受け取ろうとしたら、ただ一人の日本人スタッフが急に表れて
「山田様。当ホテルのスタッフが、本日のフェンウェイ(パーク)のチケットを持っていたのですが、急用で行けなくなりました。良かったら使って頂けませんか? 勿論、無料で結構です」
と告げてきた。私が取ったチケットは、明日のゲームだったので、断る理由などなかった。
“Oh! Lucky!!”とまたしても口走ってしまった。
「しかも、今日の予告先発は松坂ですよ」
日本人スタッフは、さらに嬉しいことを言ってくれた。
街歩き中に買い求めたお土産を、文字通りホテルの部屋に投げ込み、私は一路地下鉄で憧れのフェンウェイパークに向かった。

フェンウェイに着くと、私は早速写真を撮りまくった。レフトに在る“グリーン・モンスター”と名付けられた高さ11mのフェンスを生で観て、思わず目頭が熱くなったりした。
チケットに指定された席を探し、最古のボールパークらしい旧式の木製ベンチの座面を倒しゆっくり座った。途端に、真後ろの少年が私を突いてきた。いぶかしげに振り返ると、何事か早口で言ってきた。当然英語だ。
「スマン、私は英語をほとんど話せないし聞き取れない。ゆっくり言ってくれないか」
たどたどしい英語で少年に応えると、全く通じていないらしい。困ったなぁと思っていたら、隣の席のリチャードと名乗る青年が、
「この少年(名はクリス)は、ミスターの後ろだと観辛いので席を代わってくれと言っています」
と通訳してくれた。私は異存がなかったので、“勿論”と応えクリスとハイタッチして席を代わった。
それにしても、日本語をしゃべることが出来る人が普通に居るとは、ボストンってなんと文化的なのだと感動した。

国歌斉唱(歌えます、私)の後、いよいよプレイボールとなった。
ただし、想定外の光景がフェンウェイに起こった。ホテルのスタッフは、確かに今日の予告先発を松坂と伝えていた。しかし、マウンド上には見慣れぬサウスポー(左腕)投手が、投球練習を始めていた。
“Oh! My GOD!! Unlucky”
私は独り言を言ってしまった。リチャードに聞いたところ、ジョン・レスターという若手左腕が、難病を克服し急に一軍に上がったので、松坂を飛ばしたらしいのだ。文句を言っても始まらないので、私は黙って観戦し始めた。
不運というものは得てして続くもので、この試合(対ボルチモア・オリオールズ)は、レッドソックスの一方的試合となった。
その上、5月の下旬だというのに、とてつもない寒さになってきた。東京の真冬でラグビーを観戦するくらいの寒さだ。初夏の東京から来た旅行者は、軽装に決まってる。私は寒さに耐えかね、7回に入ったところでこの一方的な試合に見切りを付け、帰ることにした。風邪をひいてしまったら、元も子もないからだ。

周りの観衆に挨拶をし、席を立とうとしたらクリス少年が何やら言ってきた。またしてもリチャードに助けを求めると
「ジョンがノーヒットを続けているのに帰るとは何事だ!」
と訴えているらしかった。
「だって、ジョンはもう90球以上投げているぜ。交代じゃないの?」
「いや、フランコーナ(監督)はそんな無粋なことはしない!」
「そいかい? 日本じゃ、チャンピオンシップの最終戦だって、パーフェクト(完全試合)を続けているピッチャーを代えるぜ。しかも、その監督が名監督って言われているぜ」
「そんなの狂ってる!!」
リチャードを介した会話で、私は完全にクリスに屈した。
もう一度座りなおすと、最後まで観戦する覚悟を決めた。

ジョン・レスター投手は、レッドソックスファンの思いが通じたのか、見事に“ノーヒット・ノーラン”を達成した。
誰彼構わずハイタッチする観客席で、私はクリスに
“Thanks the million !”
と礼を言った。クリスはめいっぱい高く掲げた手で、私の手を握りしめながら
“Mr. Did you say Unlucky ? No_No. You are the very very Lucky-man !”
と言ってくれた。
今度は、リチャードを介さずとも会話が成り立った。

気温は既に、10℃と切っていただろう。
でも、今までに感じたこともない気持ち良い寒さだった。

 
 

❏ライタープロフィール
山田THX将治( 山田 将治 (Shoji Thx Yamada))
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が開設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり勤め続けている 自称、淀川最後の直弟子
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり

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2018-12-03 | Posted in 週刊READING LIFE vol.9

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