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週刊READING LIFE vol.9

あの時感じた雰囲気は、はたして再現されるのか?《週刊READING LIFE vol.9「人生で一番思い出深い旅」》


記事:藤牧 誠

それは、「旅」と言えるほどのものではないが、母と子のふたり、日帰りで行った鎌倉旅行である。
恐らく母は50代前後で私は小学4、5年だったと思う。鎌倉に行く前の日「明日鎌倉に行くよ」と。確か学校の授業もあった平日だったと思う。強制的に学校を休んで行ったのだ。いや、正確には学校を休まさせられたのだろう。

我が家は男3人兄弟。母とふたりで、鎌倉に行ったのは末っ子の私だけだろう。兄たちは反抗期真っ最中といった年齢だし、父はもちろん仕事に行っている。
そんな家族のなか唯一、気軽に連れ出せたのは私だけである。しかし何故かは、当時わからない。言われるがままについていき、また、学校が休めるなら好都合である。

でも、母とふたりっきりとは、少し抵抗も出始める年齢でもある。
それは、近所の買い物でも、男友達に見つかると「お前、母ちゃんと一緒かよ」と馬鹿にされる。「おう、そうだよ」と強がってもなんの意味もない。また馬鹿にされた。
逆にそんな男友達を見つけても「まだ母ちゃんと買い物してるのかよ」と馬鹿にしてしまう。そんなこともあり、母親と一緒に歩くのがかっこ悪く感じると、距離をとりたくなるのは当然である。ちょうどいい年齢だったのだろう。これが中学生に近くなる歳や、中学生にでもなると、父親や母親とは一緒に歩くなんて恥ずかしくて絶対にない。

しかし、そんな事も気にせず、また見つかる可能性も低いので、少し安心して出かけられる。しかも私の知らない場所に行くので、母親となら安心である。

鎌倉と言っても、同じ神奈川県内に住んでいるので、電車で約50分の距離。小学生の私にとって「鎌倉」というと、「鎌倉幕府」や「鎌倉時代」しか思いつかない。なにか遠くの場所という認識しかないし、小学生の私の行動範囲も狭く、せいぜい最寄りの駅から習い事で3つ先の駅まで10分か15分程度であろう。
それは大人にしてみれば、たいした距離ではないが、私にとっては、ちょっとした旅であることには違いない。ちょっとワクワクしながら当日を待った。

鎌倉に行く当日、近所の子供たちは学校に行き、私たち親子は9時過ぎに家を出たと思う。ズルして休むのだから。ゆっくり出かけることは、子供心にちょっと優越感もあった。駅に着き母に「どこの駅で降りるの?」路線図を指差しながら「あそこの駅で下りるよ」と指を刺したのが「北鎌倉」である。北鎌倉から鎌倉の駅まで歩いて行く予定なのだろう。そんなことも私は知らなく「ふーん」とそっけない感じの返事をしたのだろう。それから
駅の窓口で「鎌倉フリーきっぷ」を2枚買って電車に乗った。

電車の中では窓から外を眺め、今の時間、みんなは何の授業をしているのか気になったが直ぐにそんな事も忘れ、外の景色をただ眺めていた。そのときは、母と椅子に座っており、私はドアのそばで立っている。

横浜駅に着くと、そこから横須賀線に乗換をして、目的地の北鎌倉に向かった。
横浜の町並みから徐々に緑が多くなり、民家が目立つようになってきた。北鎌倉に到着した。

北鎌倉の駅には円覚寺や建長寺などの大きなお寺がある。お寺に入ると周りの空気が変わり、背筋がピーンとなる感じは子どもの私でもわかる。円覚寺も建長寺も大きな建物に圧倒され、子供心に恐怖を感じた。そんなことを思っていることすら、母は感じていない。ゆったりと歩いて、楽しんでいる様子だ。しばらく周りを探索し、そこから八幡宮までかなり距離はあるが、途中休むことなく歩いていた。坂道もなだらかに長く続いた後、下りは短く感じた。すれ違う人たちも、どこか楽しげだった。周りの景色を楽しみ、おしゃべりも楽しげである。そんな余裕は私にはなかったが、母は楽しそうである。

その頃の母の年齢に近くなり、今となっては、少しその時の気持ちがわかる気がする。

きっとその当時の母は、仕事のことや子育てのこと、いろいろな悩みを抱えていたのかもしれない。反抗期の長男は、高校を中退し、引きこもり状態になっていたことも気にしていたのかと。何かあるたびにいつも、母と衝突していた。そのとばっちりが、こちらにもあった。
いつも休まらない母。

そんななか、こうして少しでも現実から目を背けることができる時間は必要でもある。また、ひとりではきっと寂しいから、私を連れてきたのだろうと。
そんな緩やかな時間が、ここ「鎌倉」を訪れるものに与えられる空間なのか。

ようやく、鶴岡八幡宮に着き、そこには大きなイチョウの木がある。その木に圧倒され、木を横目に階段を登って、境内でお参りをした。

それから、頼朝の墓や、日本三大天神の一つ荏柄天神へと。
荏柄天神には学問の神様である、菅原道真公が祀られている。
子供が勉強を出来る様になるために、どうやらここに来たかったらしい。母は「ここに来ると勉強が出来る様になるよ」というので、一生懸命お祈りしたし、お守りも買ってもらったのだ。ここは、数少ない写真を撮った場所である。比較的綺麗に写っていたのでいまでも、アルバムに一枚だけ残っている。境内に入る前に使い捨てのカメラで母を撮ったもので、母との鎌倉に行った唯一の写真である。アルバムの写真を見る度に、お互いに写真を撮ったことを思い出すのである。

それから1ヶ月もしないうちに、今度はクラスの友だち仲良し5人で、母と回った鎌倉に行った。前回来ているので、「鎌倉」を友達に案内した感じになった。母とふたりで来たことは話さなかったが、あの時の雰囲気と少し違う気がした。楽しいことは楽しいのだが、何か足りない感じがあった。同じ場所であるが、一緒に来る人が違うと感じ方も違う。

そして、中学生になっても、また友達と行ってみたり、高校、大学、社会人となっても、友達や彼女と「鎌倉」に行ったりしている。やはりその時々によって思い入れも、感じ方も違うのだ。

今でも時々、鎌倉に行きたくなる時がある。
そんなときはきっと、あの頃の母のようにストレスや悩みごとが、たくさんあるのかもしれない。もしくは、忙しい毎日についていくのが嫌になって、あの緩やかに時間が必要なのかもと思っている。そんな場所であることを母は知っていたのか、母は無意識のうちに、息子に伝えて教えてくれたのかと。

「鎌倉」はいつもどっしりと構えていて、そんな私たちを暖かく迎えてくれる場所である。また、時間を忘れさせてくれる空間でもある。いつも変わらない場所、変わって欲しくない場所であって欲しいと願う。

そんなことを今の母に話しても「そんなことも、あったかも」もしくは「そうねー」と誤魔化すのに違いない。また母と行ったら、きっとあの時感じた雰囲気が、訪れるかどうかを試してみたいものである。

❏プロフィール
藤牧 誠(Fujimaki makoto)
1971年神奈川県横浜市生まれ。鍼灸師。
高校・大学・社会人とラグビーを続けるが、自分の怪我をきっかけに施術家の道へ。
鍼灸・整体・ヨガばかりでなく「言葉の力」により身体が変化する楽しさを知る。2018年6月開講ライティング・ゼミに参加し、同年9月よりライターズ倶楽部に参加。

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2018-12-03 | Posted in 週刊READING LIFE vol.9

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