週刊READING LIFE Vol.40

彼女は、上手い。《 週刊READING LIFE Vol.40「本当のコミュニケーション能力とは?」》


記事:森野兎(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

Sさんは、とにかく上手かった。
 
Sさんは、わたしが勤めている会社で、総務部にいたころの同僚だ。
入社当初、わたしはSさんに秘かなライバル心を燃やしていた。Sさんとわたしは同期入社だった。とはいえわたしは新卒入社で、Sさんは中途採用なので、年齢は一回り離れている。年齢も社会人としてのキャリアもSさんの方が上だが、Sさんは前職でずっと接客業をされており、総務部の業務とは畑違いだと思った。年の近い若手社員が総務部にいなかったこともあり、同じタイミングで入社したSさんと、わたしは内心、張り合っていた。
どちらが先に、電話を取るか、会議の準備をするか、お客様にお茶を出すか、新人がやる仕事を奪い合っていた。Sさんの方は決してわたしと張り合うつもりはなかっただろうが、非常に謙虚な人なので、「中途採用といえども新人なのだから」と、細々した仕事を率先してやる人だったのだ。
しかし、そんなちっぽけなライバル心は、気が付けば「Sさん、すげえ……」に変わっていた。
 
Sさんは負けるのが上手かった。
総務部が、他部署と軽く揉めたことがあった。双方の部署にそれぞれ非はあったのだが、他部署の担当者からは、総務部の責任だと言わんばかりの勢いで、一方的に責められた。他部署の担当者は、年配の方で、威圧的なところがあった。そんなときSさんは、まず折れた。「こちらの確認不足でこういうことになってしまって、ごめんなさいね」と先に謝った。
威圧的な態度を取る人に対して、同じように強い態度で接すると、大炎上してしまう。まさに火に油を注ぐようなものだ。Sさんは相手の性格を考えて、カチンときて言い返したくなるのをグッとこらえ、まずは負けてみせた。
自分の非を認めない人は多い。心のどこかでは、「自分にも悪いところがあった」と思っていても、一度怒り出してしまったら引っ込みがつかないのか、謝ったら負けだと思っているのか、素直に「自分が悪かった」とは中々言わない。でも双方がその姿勢だと、落としどころを見つけられない。だからSさんは先に折れるのだ。相手もそうなると、攻撃力が落ちてくる。そこでSさんは、
「でもこちらが確認できる範囲も限られていますし、今回のようなことがまたあるといけないので、もし可能であれば、次からはこうしてもらえるとありがたいんですけど……」
と腰の低い姿勢を取りながら、こちらの要求を通すこと忘れなかった。相手はお客様ではなく社内の人間だ。向こうにも非があるのなら、全面的に自分たちだけが責任をかぶることはない。こちらの意見も主張したい。
Sさんは話し方もマイルドで、トゲを感じないので、相手も「NO」とは言わない。相手に応じて接し方を計算し、相手のメンツを潰すことも、関係性を悪化させることもなく、思惑通りにことを運ぶ。負けたようにみせかけて、全然負けていない。そういうことをできるのがSさんだった。
 
また、Sさんは気遣いの引き算が上手かった。
フラットな関係性においては、ギブアンドテイクのバランスが悪くなることは避けたい。「なんでわたしばかりが与えているの」という不満を持つこともあるが、「わたしばかり与えてもらっている」という居心地の悪さを感じることもあるからだ。Sさんとわたしは会社の役職上、大きく変わらなかった。でもSさんは人一倍親切な上に仕事もできるので、わたしの方が相談したり、助けられることの方が、ずっと多かった。Sさんに感謝する一方で、同じ立場であるSさんに頼りっぱなしであることを、わたしは申し訳なく感じていた。そんなわたしに、Sさんは時々、「ちょっとお願いしていい?」と言って時々頼みごとをしてくれた。わたしは「もちろんです!」と快諾した。わたしがSさんにしてもらったことと、わたしがSさんにしてあげられたことでは、全然釣り合いが取れていなかったが、それでもSさんの役に立てることで、わたしは申し訳なさが薄れた。Sさんは自分の手が回らなくて頼んだのではない。「頼ってばかりですみません」と、いつも言うわたしの気持ちを考えて、Sさんは、わざわざわたしに頼みごとを作ってくれたのだ。「気にしないでいいよ」ということを、直接的な言葉ではなく、「じゃわたしからもお願い」という形で返すSさんの思いやりがありがたかった。
なんでもかんでもやってあげるのが、「気遣いができる」ということではないんだな、と気付かされた。「ついでだから全然手間じゃなくて」「じゃ最後の仕上げはお願いしちゃおうかな」と、やってもらった相手がなるべく負担に思わなくて済むよう、「気遣いの向こう側」まで配慮する。気遣いには足し算だけでなく、引き算も必要だと学ばせてくれたのが、Sさんだった。
 
入社当初にSさんをライバル視していたころ、Sさんの前職である接客業を、総務部とは畑違いだと思っていた。確かに、業務の内容は全く違う。でも、相手に合わせて行動する力、相手に気を遣わせない力、相手の気持ちや立場を考える力は、総務部にとっても、どの仕事でも、とても大切なことだと思った。
Sさんはいつでも相手のことを考えている。だからみんなSさんを信頼していて、Sさんのことが好きなのだ。
Sさんを見ていると、「コミュニケーション力がある人」って、こういう人のことをいうのだなあ、と思った。それまでは、話すのが上手な人だったり、誰とでも仲良くできる人を、漠然と「コミュニケーション力があるなあ」思っていた。でもSさんと出会って、相手のことを考え抜けることが、本当のコミュニケーション力ではないかと思っている。
 
入社当初、学生に毛が生えた程度のわたしが、Sさんをライバルだと思っていたことが恥ずかしい。ライバルだなんてとんでもない。Sさんはわたしが目指すべき存在だ。
Sさんの素敵なところを、たくさん真似して盗みたい。そして、本当のコミュニケーション力を持って、周りに接することのできる人になりたい。
部署が離れた今でも、Sさんのことを、わたしは心から尊敬している。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
森野兎(READINGLIFE編集部 ライターズ倶楽部)

アラサー。普段はOLをしている。2019年3月より、天狼院書店のライターズ倶楽部に参加。ライティング素人が、プロを目指して挑戦中。

 
 

http://tenro-in.com/zemi/86808

 


2019-07-08 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.40

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