環境カウンセラーと行く! ものづくりの歴史と現場を訪ねる旅

【環境カウンセラーと行く! ものづくりの歴史と現場を訪ねる旅】第7回:誰にも真似できないものをつくれ――新しい価値を生み出すものづくりの旅(メニコンANNEX) 


2022/10/24/公開
記事:深谷百合子(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
日本のコンタクトレンズは名古屋が発祥の地だということをご存知だろうか?
 
名古屋市内の眼鏡店に勤めていたひとりの青年。彼はコンタクトレンズの実物を見たこともなかったのに、日本で初めて角膜コンタクトレンズの実用化に成功した。70年ほど前のことである。
 
その彼が創業した株式会社メニコンの本社に、ギャラリーとホールを兼ね備えた施設がある。ギャラリーに入ってみると、コンタクトレンズをつくっている会社なのに、なぜか竹彫や木彫りの作品が並んでいる。どの作品も精巧なつくりである。竹でできた小さな仁丹入れには、拡大鏡がなければ何が書いてあるのか判別できないほどの小さな文字が彫られている。
 
その脇には、大きなボトルの中に組み立てられた薬師寺西塔の模型が置かれている。高さ120cmはあるだろうか。ボトルシップにヒントを得て制作したその作品は、「ボトルアーキテクチャ」というそうだ。ボトルの中に入っているのが建造物だからだ。構想から完成まで約3年。8500点に及ぶ部品を1本の丸太から削り出し、入口18cm、直径43cmのガラス製ボトルの中で組み立てたものだ。
 
仁丹入れに書かれた微細な文字、大きなボトルの中に組み立てられた模型を見ると、「できない」というのは思い込みだと思い知らされる。
 
「ここに展示されている作品は、創業者一家が制作したものです。創業者の父は竹彫工芸作家でした。仁丹入れは創業者の父である田中華山、ボトルアーキテクチャは創業者の弟でメニコンの生産開発アドバイザーを務める田中勇輝の作品です。実はこのボトルアーキテクチャが完成したとき、ギネスブックに申請しようとしました。ところが、断られてしまいました。ギネスブックというのは、後を追って記録を抜こうとする人がいないと認定してくれないのです。つまり、これを真似しようとする人がいないということなんです」
 
コンタクトレンズの実物を見たこともなかった青年が、どうして日本初の角膜コンタクトレンズをつくることができたのか? その理由はこのギャラリーに来れば分かる。そこには「誰もやっていないことに挑戦する」というものづくりの原点があった。
 
 

(写真右)深澤 尚宏さん
株式会社メニコン渉外広報部 チームリーダー

(写真左)伏屋 咲希さん
メニコンANNEX事務局

 
 

知らなかったからできた! 日本初の角膜コンタクトレンズ



 
コンタクトレンズといえば、指先にレンズをのせ、目を大きく開け、黒目(角膜)を覆うようにしてつける場面を思い浮かべる方もいらっしゃるでしょう。黒目と同じ位の大きさで、直径約10mmのレンズ。しかし、眼科医から「これはコンタクトレンズじゃないよ」と言われた時代がありました。戦後間もない1951年の頃です。当時開発されていたコンタクトレンズはどんなものだったと思いますか? 実は白目までを覆うレンズで、直径は20mmほどの大きさだったのです。
 

<一番左が白目までを覆う強角膜レンズ。右の3つが角膜コンタクトレンズ>

 
メニコンの創業者である田中恭一は、国民学校高等科を卒業後、14歳で名古屋市内の眼鏡店で働き始めました。持ち前の手先の器用さと旺盛な探究心でメガネの加工技術の腕を上げ、眼鏡職人として名を知られるようになります。また、その人の顔型に合うように眼鏡のフレームのデザインを工夫するのも得意だったようです。
 
そうした評判が広まり、名古屋市内にあったアメリカ軍病院から声がかかります。当時の日本製眼鏡フレームはアメリカ人の顔型に合わなかったため、恭一の腕に期待したのでしょう。やがて、恭一の勤める眼鏡店を訪れるアメリカ軍関係のお客様が増えてきました。
 
恭一が19歳のときのことです。それまでにも何度か来店していたアメリカ軍将校夫人が恭一にこう言ったのです。
 
「私、コンタクトレンズを持っているのよ」
 
恭一はコンタクトレンズの存在は知っていましたが、実物を見たことはありませんでした。「ぜひ見せてほしい」と懇願しましたが、夫人は「高価なものだから」とハンドバッグをおさえたまま、最後まで見せてはくれませんでした。
 
実物を見ることができなかったことで、恭一の負けず嫌いな性格に火がついたのでしょう。
「アメリカ人につくれて日本人につくれないことはない。見せてくれないなら自分でつくってやる」と決意したのです。
 
恭一は自分や家族の目を観察し、レンズの形状を研究しました。レンズの材料は戦闘機の窓ガラスや眼鏡のフレームに使用されていた風防ガラスといわれたアクリル樹脂を使うことにしました。端材なら入手しやすかったからです。また、レンズを削り出す旋盤を手に入れるため、名古屋市内のバラックを歩き回りました。そうして手に入れた小型旋盤を恭一は自ら修理、改造しました。
 
実は恭一は戦時中、学徒動員で軍需工場に派遣されたことがあります。その工場で旋盤加工の技術を丁寧に教えてもらえた経験が役に立ちました。
 

 
こうしてコンタクトレンズらしきものができると、目に入れて痛くないだろうか、ずれたり、外れたりしないだろうかと、恭一は自分の目にレンズを入れて確認をし、試行錯誤を繰り返しました。レンズを入れたまま跳んだり走ったり、目を開けたまま自転車に乗って風を受けてみたり、家の近くの木曽川に飛び込んでみたりもしたそうです。どんな時にずれたり、外れるのか、目にゴミが入るとどんな痛みがあるのか、自分の体を使って実験をしたのです。そして遂に、現在のハードコンタクトレンズとほぼ同じ形状のコンタクトレンズを完成させました。アメリカ軍将校夫人にコンタクトレンズを見せてもらえなかったあの日から、3ヵ月後のことでした。
 
そんなある日、恭一はある新聞記事を目にします。「名古屋市内で開業していた眼科医がコンタクトレンズにより患者の視力を回復させることに成功した」という記事でした。恭一は早速、自分のつくったコンタクトレンズを持ってその眼科医を訪ねました。
 
そこで開口一番に言われたのが「これはコンタクトレンズじゃないよ」という言葉でした。
 
当時の眼科医の間では「白目までの部分を覆うものがコンタクトレンズである」というのが常識でした。目全体を覆わなければ落ちてしまうと思われていたのでしょう。でも、黒目の部分にだけのせても、レンズがずれたり落ちたりしないことを自分の体で実験済だった恭一は自信がありました。恭一は眼科医でもなく、専門の勉強をしたわけでもない、一介の眼鏡店員でしたが、自ら蓄積した知見は裏切りませんでした。恭一のつくったレンズは「はめやすいし、痛くない」と患者からの評判はよく、結局その眼科医と共同研究をすることになり、商品化にこぎつけました。
 

 
恭一はコンタクトレンズを見たことがなかったからこそ、常識にとらわれず、独自の発想でコンタクトレンズをつくることができたのです。自分や家族の目を観察し、「黒目に収まるものをつくればいいだろう」という発想からスタートしました。実験を繰り返す中で、黒目を覆うだけの小さなレンズでも外れないということが分かり、今のハードコンタクトレンズの礎を築きました。
 
「世の中に無いものをつくる」「人の真似をしない」「ないものは自分の頭で考えて自分でつくる」というのは、メニコンの経営理念である「創造」「独創」「挑戦」に繋がり、メニコンのものづくりのDNAとして受け継がれています。
 
 

「独創」と「挑戦」を応援する場をつくる



 
「ギャラリーMenio」は、もともと名古屋駅前にあるビルの一角にありました。1989年に名古屋で開催された「世界デザイン博」に出展した際、「デザインコンペティション」を行いました。これをきっかけに、デザイナーを志す若者たちの独創と挑戦を応援しようと、メニコンの直営店があったビルの一角を借り上げてギャラリーにし、発表の場を提供していました。
 
駅前ビルの建て替えで、ギャラリーはしばらくの間WEB上での活動になっていましたが、2012年に「HITOMIホール」と「ギャラリーMenio」をメニコン本社北館にオープンし、総称を「メニコン ANNEX」としました。「視ることから広がる社会とのコミュニケーション」をコンセプトに、文化の発信や地域住民の方との交流を目的としています。
 
多目的ホールである「HITOMIホール」は、席数は110席ではありますが、本格的な音響・照明設備を備えています。視覚だけでなく、五感を通じて心豊かな時間を過ごして頂ける空間にしています。プロやプロを目指す方の演奏会のほか、落語や朗読の公演など、様々な活動に使って頂いています。
 
「ギャラリーMenio」では、創業家の田中一族が培ってきた「メニコンのものづくりの原点」となる作品を展示しているほか、メニコンの歴史や今の事業を見て頂くことができる「ものづくり精神の発信基地」です。また、レンタルスペースを設け、地域住民の方や若手芸術家に交流や発表の場として使って頂いています。
 

 
オープン当初はホールやレンタルスペースの存在を皆さんに知って頂くことが課題でした。ホームページやSNSを活用して情報発信することで、徐々に使って頂ける頻度が増えました。今ではおかげさまで、リピートで使って下さるお客様も多く、「予約のとれないホール」と言って頂けるまでになりました。
 
 

「見る」ことの素晴らしさを広めたい



 
今年の夏休みには、「見る」ことの大切さを学ぶ体験型の展示「目のしくみ、目のはたらき、目のふしぎを体験しよう」というイベントをギャラリーや市内の商業施設で開催しました。動物の目の見え方を紹介したり、運動時の動体視力のトレーニングをゲーム感覚で体感して頂いたりしました。また、目の健康を守るための方法を学んで頂きました。
 
イベントに参加したお子さんの中には、いつもはスマホでゲームをするのに、その日は家に帰った後、「イベントでお話を聞いたから、今日は目のためにゲームの時間を短めにする」と言ってゲームをしなかったというお子さんもいたそうです。その話を聞いて、「効果があったんだな」と嬉しくなりましたね。そうしたイベントを通じて、ちょっとでも行動を変えてもらうきっかけになったかなと思います。
 
そして、「見る」ことの素晴らしさを感じるのは人間だけではありません。動物も同じです。きっかけは獣医師からの「犬も白内障になりやすい。犬用の眼内レンズをつくれないか」という依頼でした。視覚障害者を支えてきた盲導犬も、年をとると白内障にかかることがあるそうです。その話を聞いて、「白内障になった盲導犬を救うことはできないだろうか」という提案が社員から出ました。
 
海外には動物用の眼内レンズはありましたが、国内品はありませんでした。人用の眼内レンズの技術を応用すれば犬用の眼内レンズを開発できます。しかし、認可の問題がありました。人用は厚生労働省の管轄、動物用は農林水産省の管轄だったからです。そこでメニコンは一から調査を開始し、日本で最初に動物用眼内レンズの認可をとり、事業化しました。
 
今では犬猫用の健康をサポートするサプリメントや治療用コンタクトレンズなども販売しています。人にも動物にも環境にも優しい地球企業でありたいと考えています。
 
 

偶然発見した酵素から誕生した新しいビジネス



 
メニコンではコンタクトレンズだけでなく、レンズの洗浄、保存液など、レンズケア用品の基礎研究、開発にも力を入れています。この研究過程で偶然発見されたのが植物繊維を分解する酵素でした。
 
コンタクトレンズに付着する主な汚れはタンパク質です。ですから、タンパク質を分解、除去する洗浄法を研究していました。ところが、肝心のタンパク質は分解されません。その代わり、植物繊維を分解することが分かったのです。
 
「何かに活用できないか」と考えていたとき、新潟県出身の研究員が稲わらの分解に活用することを思いつきました。
 
稲刈り後に残ったわらは、以前は燃やして処分することが多かったのですが、煙による周辺の生活環境への影響が問題になっています。今では、土にすき込んで肥料にするなど、有効活用することが求められています。ところが、土にすき込んでも十分に分解されていない稲わらが残っていると、翌春田んぼに水をはったとき、残った稲わらが水面に浮かんで田植えの邪魔になったり、メタンガスなどのガスが発生して、稲の生育に悪影響を及ぼしたりする可能性があるのです。稲わらの処分は、コメ農家の方にとって頭の痛い問題でした。
 
そこで、偶然発見した植物繊維を分解する酵素を使って稲わらの分解を促進する材料の開発に取り組みました。農家の方たちの協力を得ながら実験を繰り返し、製品化しました。
 
洗浄液開発研究で培った酵素・発酵技術は、食品リサイクルにも活用しています。スターバックスコーヒージャパン株式会社と共同で取り組んだコーヒー豆かすのリサイクルでは、2014年度「第2回食品産業もったいない大賞」農林水産大臣賞を受賞しました。
 
現在力を入れているのは、山梨県内のワインの製造工程で発生するブドウ搾りかすのリサイクルです。これまで搾りかすは主に堆肥として使われていました。しかし、ブドウの搾りかすには多くのポリフェノールが含まれています。これを堆肥にしてしまうのはもったいないですよね。そこで、ブドウの搾りかすを乾燥させて粉末にし、飼料にする技術を確立し、実用化しました。今は、山梨県のブランド鱒である「甲斐サーモンレッド」の飼料として活用されています。
 
従来は全く接点のない異業種とのコラボレーションですが、これも「その業界の常識を知らなかったから、柔軟な発想ができた」と言えるのかもしれません。
 
 

誰も想像していない未来に



 
今は情報化が進み、意識するしないにかかわらず、多くの情報が入ってきます。検索すると簡単に情報を得られる時代でもあります。昔と比べて「分からないこと」「知らないこと」を見つけにくい世の中かもしれません。「何もないところから新しい価値を生み出す」という中で、「世の中にないもの」「新しいもの」を探していくことが求められています。
 
常に問いを持ち、「常識だと思っていること」を疑うことが「誰も想像していない未来」へのスタートかもしれません。まだ誰もやっていないことにチャレンジし続ける、創造型スペシャリスト企業であり続けたいと思います。
 
メニコンが大切にしている「探究心」「チャレンジ精神」を展示を通して感じて頂き、五感で感動を味わう体験をしに、ぜひメニコンANNEXへいらして下さい。そして「メニコンってこんな会社だったんだ」と記憶にとどめて頂けたら嬉しいです。
 
 

メニコンANNEX
所 在 地:愛知県名古屋市中区葵三丁目21番19号
開館時間:9:30~18:30 (土日祝は16:00まで)
休 館 日:ゴールデンウィーク・夏季連休・年末年始
入 館 料:無料
アクセス :JR中央線または地下鉄東山線「千種駅」5番出口より徒歩4分、
地下鉄桜通線「車道駅」4番出口より徒歩7分
駐 車 場:無し
ホームページ: https://annex.menicon.co.jp/


 
 
写真提供:株式会社メニコン
文:深谷百合子、写真:松下広美(名古屋天狼院店長)

□ライターズプロフィール
深谷百合子(READING LIFE編集部公認ライター)

愛知県生まれ。三重県鈴鹿市在住。環境省認定環境カウンセラー、エネルギー管理士、公害防止管理者などの国家資格を保有。
国内及び海外電機メーカーの工場で省エネルギーや環境保全業務に20年以上携わった他、勤務する工場のバックヤードや環境施設の「案内人」として、多くの見学者やマスメディアに工場の環境対策を紹介した。
「専門的な内容を分かりやすく伝える」をモットーに、工場の裏側や、ものづくりにかける想いを届け、私たちが普段目にしたり、手にする製品が生まれるまでの努力を伝えていきたいと考えている。

この記事は、人生を変える天狼院「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」をご受講の方が書きました。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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