危篤の父は、アイドルを夢中で見ていた《出してからおいで大賞》
記事:射手座右聴き (天狼院公認ライター)
「お父様は、もうダメかもしれない。一目会いたいと言ってるんです。
福岡まで来れませんか」
数年前、シルバーウィークの前半、父と同居している女性から電話があった。
行こうか、行くまいか。行こうか、行くまいか。私は悩んだ。
とんでもない親不孝者。そう思う方もいらっしゃるだろう。
でも、この親不孝な気持ちには、自分なりの言い訳があった。
まず、戸籍が違う。その姿の記憶もない。
父が私と母を捨てたのは、たしか3歳のときだった。
小さな弁護士事務所を営んでいた父は、ある日、従業員の女性と一緒に家を出て行ったらしい。それをきっかけに、私と母は、母の実家に戻った。らしい。記憶がないのに
突然、父親が危篤、と言われても、と思ってしまうのだ。
これが親不孝の言い訳その1。
離別以来、私は父と何の連絡もとらずに、生きてきた。幸いなことに、実家には祖父母も健在で、あまり不自由することもなく、高校までを過ごすことができた
そう。特に養育費をだしてもらうこともなく、父親のありがたみを思うこともなく
比較的、すくすくと育ってしまったのだ。
これが親不孝の言い訳その2。
そんな父とは一生会うこともないだろう、と思っていた。
しかし、一本の電話から、状況は変わった。
「お父様のことで取材させてください」
ライターの方から連絡をもらった。父親の何を取材しているのだろうか。
ちんぷんかんぷんだったが、急に興味がわいたので、ライターさんと会うことにした。
「お父様のことを、本にしたいと思っているんですよ」
50代の落ち着いた風貌のライターさんが、熱をこめてそう言ったのが、印象的だった。
よく考えたら、父のことを何も知らなかった。
「父親はいないと思え」
子供時代、母や祖父母との間には、暗黙のルールがあった。名前すらでることはなかった。自分と母親を捨てて、去っていった悪い人。小さい時からそう教えられてきた。
繰り返しそう教えられていたから、興味も持たなかったし、会いたい、
という気持ちもなかった。
「家族を捨てて、女といなくなった父」昭和のベタな私小説のような設定に
あまり疑問を持たなかったのだ。
まず検索してみた。父のことは、以前ちょっとしたニュースになっていた。
ある殺人事件が、冤罪である、という重要な証言をしたのだ。
世の中の不正をただす、勇気ある行動として、賞賛の声がたくさん上がっていた。
Youtubeを検索すると、様々なニュース番組で、その発言が取り上げられていた。
社会の不正に立ち向かう、権力に屈しない勇敢な老人。
メディアはそんなイメージを作っていた。
しかし、私はどこか違和感を感じていた。本当にそうだろうか。子供の頃から聞いていた父の悪い部分とはあまりにも違い過ぎて、にわかには信じられなかった。
「そんなに美談ですかね。なんかひっかかるんですよね」
私はライターさんに言ってみた。
「そうなんですよ。この話、本当に美談なのか、なんなのかわからないと思うところもありまして。息子さんの前で言うにはあれですが、本当に破天荒と言うか、無茶苦茶な人なんですよ。最初の取材でも、いきなり生ビール3杯飲んで、ちょっとびっくりしました」
開口一番、ライターさんは、私が感じていたことを言ってくれた。しかし、肝心の取材は1時間もかからなかった。なにしろ、3歳の記憶である。むしろ、こちらの得る情報の方が多く、ライターさんには申し訳ない気がした。
「いままで、娘さんにしか、取材できていませんでした。ほかの方が書いたお父様の本には、あなたは登場しません。息子さんがいることは誰も知らなかったので、それだけで十分です」
それから数ヶ月後だった。このライターさんを介して、一度父に会うことができた。
そのとき、同居人の女性とも会った。大きな声をあげて泣く父を見ながら、感動の再会、とまではいかなかったが、少しはほっこりした気持ちになった。そんなに泣くなら、いままでだって、連絡とるチャンスはあっただろうに。というツッコミを入れたい気持ちになった。だが、それ以上に、父とパートナーの仲のよさに驚いた。車椅子の父と、それを押すパートナー。年は大して変わらないおじいちゃんとおばあちゃんだ。彼女は嬉しそうに言った。
「毎年、二人で東京に行ってるの。いつかここで暮らそうって言ってくれるの」
青春映画か。わけのわからないこの高齢者カップルは、
長くなってしまったが、私の親不孝の原因を少しはご理解いただけただろうか。
そんな父のパートナーからの緊急連絡。
迷いながらも、東京駅に向かった。シルバーウィークだけあり
朝の新幹線は、満席だった。何本かをやり過ごして、乗ることができた。
自由席に座ることができたのは、名古屋からだった。1時間40分立っていて限界だった。
すぐに寝た。博多までの残り3時間あまり、いろいろ考えるのがめんどくさかった。
博多からJRで2駅ほどのところに、父の入所している介護施設はあった。
入り口で迎えてくれたのは、パートナーの女性。彼女は60歳の時に、父に公園をかけられたという。ナンパかよ。
「よく来てくれました。ありがとう」
彼女は深々とおじぎをした。会うのは二度目だが、微妙な気持ちになる。
ろくに会ったこともない父の、おそらくは最後のパートナーである女性。
継母ということでもないし、通りすがりのおばあちゃんでもない。
とにかくおじぎを返した。
施設は学校のように広く、長い廊下をずっと二人で歩いた。
「奇跡的に回復して。でも、話はできないの」
つきあたりのエレベータをあがって3階。また廊下を歩いて、ある部屋の前で止まった。
扉をあけると、車椅子の老人が食い入るようにテレビを見ていた。1000年に一度、と全国区になりつつあるご当地福岡のアイドルが出演していた。
「きれいな女の人が映ると、すぐ見るのよ、この人」
笑いながら女性が言った。父はしかめつらをして、首を振った。前も見たような絶妙な掛け合い。とても危篤のすぐあとは思えない元気さで、なんだかホッとした。
もう話はできないけれど、再会できてよかった。父がパートナーを見ると、紙とペンがでてきた。相変わらず、阿吽の呼吸だ。話ができないので、筆談をした。
元気なのか。東京のどこに住んでいるのか。どんな仕事をしているのか。そういえば、会社を辞めたことも言ってなかった。これが父と子の会話というものだろうか。なんだか、戸惑った。時折、涙を流しながら、握手を求めてくるのには、まいった。1時間ほどたっただろうか。父はこくりこくりとし始めた。元気に見えても、筆談は疲れるのだろう。
でもよかった。ろくに話したこともない父とはいえ、会話できてよかった。
自分にも父がいた。何十年もなかった感覚を感じることができた。
そんな気持ちで帰ろうとしたときだった。
「あのー。言いにくいんだけど、ちょっと相談があって」
パートナーの女性がもじもじしながら、私に言った。
「実は、ここの入居費のことなんだけど」
彼女は、ぼそぼそと、だけれども、止まることなく、自分たちの生活について
話し始めた。
父は、父なのだけれど、戸籍に入ってもいなければ、30年以上会っていなかった人だ。
その間連絡をくれるでもなく、別の家庭で過ごしていた人。さらに今でもこうしてパートナーがいるのだ。どこまで面倒を見ればいいのか、見当もつかなかった。わからなかった。
「やっぱり無理よね。あなたにお願いするのも、筋は違うかも、とは私も思うのよ」
彼女は言った。
「近くに銀行はありますか」
私は言った。なんだか、この二人を放って置けない気がしたのだ。普通に考えたら、
わりとひどい父だと思う。パートナーと言えども、なかなかの図々しさだとも思う。
でも、二人の微笑ましいやりとりを見ていて、少しなら助けてもいいか。
と思ってしまったのだ。悪い奴ほど、魅力的、とでも言うのだろうか。そればかりではない。
女手ひとつで三人のお子さんを育てた頑張り屋さんの女性が、60を過ぎてから
偶然で会った男を好きになり、面倒を見る、というのを、なんだか応援したい気持ちに
なってしまったのだ。
父には、「たとえ喋れなくても、彼女にいい夢を見させてあげてほしい」と思ったし、
彼女には、「わがままな父を、手のひらの上で可愛がってあげてほしい」と思った。
何度も頭をさげる彼女に、一回だけお辞儀をして、銀行の前で別れた。
振り返ると、彼女はスタスタと道を急いで戻っていった。
あっ。そういうことだったのか。
そのとき、やっと気づいた。
あの危篤のメッセージは、体の危篤だけではなかったのだ。
そう。財布の危篤という意味もあったのではないか。
そもそも、手ぶらできてはいけなかったのだ。
私は、いい歳の息子だ。もっと父の心配をすべきだった。
先回りして、用立てるお金を持ってくるべきだったのだ。
「出してからおいで、お金を」
彼女は言いたかったのだ。
そういうことか。
でもなんだか、親というよりも、恋をまっとうしようとしている、
あの二人を応援するのは、悪くないな。
父親という実感が薄いからこそ、そんな風に思えた。
帰りの新幹線では、発泡酒を飲んだ。
◻︎ライタープロフィール
射手座右聴き(天狼院公認ライター)
東京生まれ静岡育ち。バツイチ独身。
大学卒業後、広告会社でCM制作に携わる。40代半ばで、フリーのクリエイティブディレクターに。退職時のキャリア相談を
きっかけに、中高年男性の人生転換期に大きな関心を持つ。本業の合間に、1時間1000円で自分を貸し出す「おっさんレンタル」に
登録。4年で300人ほどの相談や依頼を受ける。同じ時期に、某有名WEBライターのイベントでのDJをきっかけに
WEBライティングに興味を持ち、天狼院書店ライティングゼミの門を叩く。「人生100年時代の折り返し地点をどう生きるか」
「普通のおっさんが、世間から疎まれずに生きていくにはどうするか」 をメインテーマに楽しく元気の出るライティングを志す。
READING LIFE公認ライター。メディア出演:スマステーション(2015年),スーパーJチャンネル, BBCラジオ(2016年)におっさんレンタルメンバー
として出演
http://tenro-in.com/zemi/86808