製麺屋が行く蕎麦屋の条件・その弐《こな落語》
記事:山田将治(READING LIFE公認ライター)
「こんちはー。大家さん御在宅ですか」
「おぅ、これはこれは踊りの御師匠さん。御用の向きは何ですか」
「実は、大家さん。今度(こんだ)、日本橋蠣殻町(かきがらちょう)で、発表会があるんですけど、予行演習(ゲネプロ)を含めると、お昼を跨(また)ぐんですよ。皆んなに、お昼を振る舞わなくちゃいけないんですよ」
「ほぅ、昼御飯を振る“舞う”。踊りの御師匠さんだけに」
「嫌ですよ、大家さん。冗談なんか言っちゃ」
「いえいえ、褒め言葉ですよ。大したもんだってね。隣町の豪着く張り(ごうつくばり・ケチのこと)なお茶の師匠は、稽古の時に菓子も持参させるってぇ悪評判だからね」
「それでですね、一度に集まってお昼を頂くというので、御蕎麦屋さんが良いかと思って」
「おぅ、そりゃ良い考えですねぇ」
「そこで、ウチに習いに来ているお節ちゃんが、大家さんに聞いてみると良いって言ってたもんで伺ったんですよ」
「お節ちゃんてぇのは、ウチの与太郎と良い仲の別嬪さんのことかい? 有り難いもんだねぇ。そんな事で、頼られるなざぁ年寄り冥利(みょうり)に尽きるってもんでぇ」
「嫌ですよ、大家さん。年寄りだなんて。まだまだ、男盛りじゃありませんか。
何テレてるんですか、男って生(うぶ)何だから」
「それで、何だっけ? 聞きたい事てぇのは。そうそう、大勢で行く蕎麦屋ね。
でも、蛎殻町周辺なら浜町や人形町に近いんだから、広めの蕎麦屋なんて幾らでも有るでしょうが」
「大家さん、それがですね、お節ちゃんが言うには、大家さんに聞けばとても美味しい蕎麦屋さんを教われるとお聞きしましたよ」
「でも、あんまし見繕う時間がない訳だろ?」
「そうですね、混み合っちゃうと大変なんで、事前に探そうかと」
「するってぇと、そうだね、先ずは、結構な人数が座れ無いといけねぇって訳か。うーん、そんじゃ、二階にも座敷がある所がいいねぇ。兎角、広い店を探そうってぇと、間口(まぐち)ばかりを見比べちめぇがちだけど、そうりゃぁ、とーしろ(素人)の所作だね。ちったぁ気の利いた輩(やから)だったら、暖簾潜(くぐ)った途端に『二階(にけぇ)は空いてっかい?』って聞くね」
「ほぉ、そんなもんですか」
「特に、御師匠さんみたいに艶っぽい女(ひと)にそんなこたぁ言われようもんなら、聞いた主人は変な気起こして『はいはい、幾晩でもどうぞ』なんて、旅籠でも無ぇのに間抜けな事言い始めまっさぁ」
「嫌ですよ、大家さん。変なこと言っちゃ」
「まぁまぁ、冗談はさておき、二階に座敷が在る店だったら、大勢でも大丈夫なはずだよ。それにしてもお弟子さん達には、ちったぁ美味しい物食べさせたいよねぇ。それが、一眼で判る方法が有るんですよ」
「何です、その方法って」
「お弟子さんには、男の人も居るのかい? 少しは居る。そうりゃぁ、好都合だ。与太みてぇに大喰らい居るだろ? そいつらは、蕎麦だけじゃ足りないだろうから、丼物を付けてやりなさい。ただし、玉子丼限定でね」
「何で、玉子丼なんですか? 天丼やカツ丼、親子丼じゃ駄目なんですか?」
「天丼やカツ丼は、揚げ物(もん)を仕立てなきゃいけ無ぇんで、大人数の時は嫌われるんでぇ。それと、親子丼は、鶏肉の良し悪しで出来が決まっちまうんでさぁ。その点、玉子丼は出汁が旨く無いと美味しくないってぇ寸法で。ってぇことは、出汁に自信の無い蕎麦屋は、玉子丼は出せない。玉子丼の無い蕎麦屋は美味しく無いってぇ山段ですよ」
「玉子丼ねぇ、そう言えば、大家さんのいう通りですね。他に、何か有りますか」
「あ! 大事な事言うの忘れてた! 店に入る(へぇる)でしょ。直ぐに壁に貼ってある“お品書き”を見てくんなせぇ。そこに、“ラーメン”とか“中華そば”ってぇ品書きがあったら、踵返ぇして(きびすけぇして)帰った方がいい。現金しか使えねぇ、オダギリジョーの店先みてぇに」
「『ジャ、イイデスゥー』って、洋風に言うんですか?」
「そうじゃ無い。お師匠さんがボケちゃいけない」
「だって、大家さんがオダギリジョーなんて言うもんだから。でも、何で“ラーメン”がメニューに有ったらいけないんですか?」
「それはだねぇ、蕎麦屋にゃ茹で釜が一つしか無いからなんだ」
「え! 茹で釜ですか?」
「そうなんだ。蕎麦屋てぇのは、蕎麦湯を濃くする為に営業時間中は茹で湯を交換しないからな。その釜で、蕎麦の合間に中華麺茹でられちゃぁ、たまったもんじゃ無いってぇこってす。何故なら、蕎麦・うどんの茹で湯は、本職なら酢を盃一杯位(くれぇ)入れとくもんでさぁ。弱酸性で茹でた方が、麺肌が綺麗に仕上がるからね。弱酸性ったってぇ、ph(ペーハー)値で6位(中性が7)かな。そこへ、強アルカリ性の中華麺を入れられちゃ、何にもならないってぇこってす」
「大家さん。中華麺って、強アルカリなんですか?」
「そうだよ。中華麺には“かんすい”が練り込まれてるんで。お上も法度(はっと・法律のこと)で、かんすいを使用した麺が中華麺って決めてるんでさぁ。そいでもって、中華麺を茹でる時には、強アルカリ性のかんすいが茹で湯に溶け出すから、茹で湯のph値が高く(アルカリ性)になっちまってとても飲め品物(しろもん)じゃない訳で。だから、麺と汁はべつにつくるってぇ段取りで」
「そんなもんなんですねぇ」
「だから、ラーメンのメニューが有る蕎麦屋は、茹で釜ん中が酸性かアルカリ性かわかんなくなちゃって“わやや”状態ってこってすよ。そんな蕎麦屋に、可愛いお弟子さんを連れってちゃぁいけやせん」
「有難う御座います、大家さん。とてもいい知恵を付けて頂きました。これで、皆んなで美味しいお蕎麦が頂けます。お礼と言っては何ですが、これ、発表会の招待券です。是非、御運び下さい。他にも、御連れさんがいらっしゃる様でしたら、当日、受付で申し付けて下さいね。ただし、他の方の分は有料ですけど」
「はいはい、分かりましたよ。
それにしても、ウチで集客狙うなんざぁ、御師匠さんも大した球だね」
「え! バレました? 流石、大家さんには敵(かな)いませんわぁ」
≪お後が宜しいようで≫
*諸説有ります
【監修協力】
落語立川流真打 立川小談志
❏ライタープロフィール
山田将治( 山田 将治 (Shoji Thx Yamada))
1959年生まれ 東京生まれ東京育ち
天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター
天狼院落語部見習い
家業が麺類製造工場だった為、麺及び小麦に関する知識が豊富で蘊蓄が面倒。
また、東京下町生まれの為、無類の落語好き。普段から、江戸弁で捲し立て喧しいところが最大の欠点。
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