こんな時こそ『三立て』《こな落語》
記事:山田将治(READING LIFE公認ライター)
昔から、麺料理には三つの“立て”が有ります。粉の『挽(ひ)き立て』、麺の『打ち立て』、そして、『茹で立て』です。ところがこれが、いつもの大家さんみてぇに小言が多いプロに掛かると、少々事情が違ってきます。
そんな大家さんの所にやって来たのが、大家さんが隠居する前、工場で修業した末に独立して屋台の蕎麦屋を開業した、徳兵衛というお方で……
「大家さん、こんちは、御無沙汰しやして誠に相済みませんこって」
「おや、徳さんじゃないか、珍しいねぇ。まぁ、お上がりよ。
商売の向きはどうだい? 商売は‘商い(あきない)’ってぇ位(くれぇ)だから、飽きずにやるこった」
「いや、今日んとこは、そのことで伺ったんですよ」
「ほうほう、そりゃ、どういった趣き(おもむき)で?」
「大家さんも御存知の通り、このところの、お上から出た外出自粛の御達しのせいで、とんと人通りが無(ね)ぇんでさぁ。こちとらの商売も、人に出会ってナンボなんで、上り(売上)が全くなんでさぁ」
「そりゃ、大変(てぇへん)だねぇ、お察しするよ。
でもな、徳さん。世の景気が良い時に儲けるのは素人にでも出来るってもんで、こう、景気が悪い時にこそ上手に儲けるのが本当の商いの玄人(くろうと)ってぇもんですよ」
「そんなもんですかい。あっしは、まだまだ、とーしろ(素人)ってぇ訳ですかい」
「そうだな。私だったら、こんな御時勢だからこその売り方をするね」
「そいつは、どんな方法で?」
「本来なら、ロハ(‘ただ’のこと。漢字の『只』をバラしている)で聞かせる話じゃ無ぇんだけど、他でもない徳さんだから教えてやろう。よくお聞きよ」
「へい、有り難ぇこって」
「徳さんは、麺の『三立て』は御存知だろ? そう、『挽き立て』『打ち立て』『茹で立て』だね。
そんじゃ、この『三立て』は、単なる語呂合わせってぇことも、玄人だから知ってるね」
「へい、蕎麦粉・小麦粉は、挽いて直ぐじゃ粉が若過ぎます。麺だって、打つ途中で寝かせねぇと、塩梅(あんばい)の良い麺は打てません」
「ほう、流石は徳さんだねぇ。『茹で立て』が美味しいのは、素人でも解かるとして、粉が若過ぎるのは、どこがいけなぇんだい?」
「そりゃ、挽いて直ぐの粉は、熱っぽくていけねぇ。少し間を持たせねぇってぇと、麺にコシが出ませんでぇ」
「それじゃ、うどんを打つ時は、生地をどれ位(ぐれぇ)寝かせろって教わったんだい?」
「少なくとも、半日から一昼夜と」
「そうだろ。ラーメンも同じだな? だから、うどんやラーメンの『打ち立て』は、寝かせといた生地を熨斗(のし)て切って直ぐってぇ意味だよな」
「そう、習いました。それに、うどんは兎も角、打って直ぐのラーメンは、粉っぽくて若過ぎるってぇ感じになります」
「それじゃあな、反対に、誰でも分かる『三立て』で仕立てた方が良いのは、日本蕎麦だけかい?」
「へい、そうなります」
「そいだから、こんな御時勢だからこそ、『三立て』を逆手に取るってぇのはどうだい?」
「と、仰(おっしゃ)いますってぇと……」
「そうよ、徳さんが商ってるのは日本蕎麦だろ? しかも、店(たな)構えるんじゃなくて、天秤担いで行商だよなぁ?」
「へい、そうでやす」
「ってぇことは、人通りが無くても、こちらから御得意さんのとこに行けるってぇ寸法だよな?」
「へい」
「それを、使わねぇ手は無いだろ! 出来なぇ御託(ごたく・言い訳のこと)を並べたってぇ、キリが無ぇってもんだ。出来の悪い木っ端役人みてぇに。
商売人は特に、やると決めたらやれる方法だけを探すんだ。分かったか?」
「……」
「んだからな、普段の徳さんに一手間掛けて、表通りばかり歩ってねぇーで、路地迄入り(へぇり)込んで声を掛けるんだ。
町内の皆さんだって、外出自粛で買い物も儘ならねぇ。毎日同じ物喰ってる訳にもいかねぇってぇもんだ。飽きちまうからな。
しかも、こんな状況でも時には余興めいたものだって観てぇもんだし」
「そんで、アッしはどうすれば……」
「だからよ、路地迄入り込んで表戸だけ開けてもらうんだ。
そいでもって、そこで蕎麦を茹でるだけじゃなくて、その場で蕎麦も打つんだ。水はもらってな。
そうすりゃ、子供達だって麺打ちなんてぇ滅多に見るもんじゃ無ぇ。きっと、珍しくて喜ぶぞ。そうなりゃ、親御さんだって間が持つってぇ寸法だ。しかもな、目の前で麺を打って直ぐに茹でて出せるのは、蕎麦だけってぇもんだろ?
お前さんだって、いつもの十六文じゃなくて、もう少し御代を頂戴出来るだろうし、場合によっちゃぁ御捻り(おひねり・寸志のこと)だってぇ頂けるってぇ段取りだ」
「おぉ、流石に大家さんは知恵者だ。目の前が明るく広がりましたぜぇ。
有難うごぜぇます。これから早速、支度(したく)整えて商売始めます」
「あぁ、いいかい。天秤棒を担いだまま、路地の奥まで行き過ぎちゃいけねぇよ。回り込めなくなるから。こないだも、与太が南京屋(カボチャ屋)を手伝うってぇんで天秤棒担いだまま奥へ入り込んで抜けられなくなって大騒動になったんだ。お前さんは、そんなことが無い様に」
「へい」
「それとな、蕎麦粉は事前に挽いておくんだよ。『挽き立て』は香りは立つけど粉の熱が上がるからね」
「解ってますって。それに大家さん、重い石臼を天秤に付けたら、そう簡単には歩けませんから」
「そりゃそうだ。ま、しっかり御稼ぎよ。行っといで」
「有難う御座います」
≪お後が宜しいようで≫
*諸説有ります
【監修協力】
落語立川流真打 立川小談志
❏ライタープロフィール
山田将治( 山田 将治 (Shoji Thx Yamada))
1959年生まれ 東京生まれ東京育ち
天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター
天狼院落語部見習い
家業が麺類製造工場だった為、麺及び小麦に関する知識が豊富で蘊蓄が面倒。
また、東京下町生まれの為、無類の落語好き。普段から、江戸弁で捲し立て喧しいところが最大の欠点。
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