素麺を茹でる極意とは《こな落語》
記事:山田将治(READING LIFE公認ライター)
「大家さん、こんちわぁー」
「おやおや、八っつぁん」
「日頃は、賃店(店賃・家賃のこと)が滞り気味で御迷惑を御掛けしてやす。
それでってぇ訳じゃ無ぇんですが、これ、つまらねぇ物(もん)ですが、御盆の御中元です」
「ほぉー、そりゃ有難ぇものを。そういや、もう御盆で、すかっり暑くなったねぇ」
「へい。そいでもって、ウチの奴の実家から、小豆島の素麺がたんまり送られて来たんで、大家さんへ御裾分けと思いましてね」
「おぅ、そりゃ、有難うよ。(奥を向いて)おいおい、この素麺、八っつぁんが持ってきてくれたから、ちょっと、そうそう、そこの薦(こも)を取ってくれ。そうそう、そいでもって、この素麺を箱ごと薦でくるんで、そうそう。そのまま、台所の床下に仕舞っておいて。そんで、代わりに去年の素麺を、そうそう、出して棚に乗っけといて。はいはい、それでよし」
「大家さん、何で去年の素麺を取ってあるんです?」
「八っつぁんも、トーシロ(素人)だねぇ。素麺は、最低でも1年、出来れば2年位ぇは寝かした方がコシが出るって寸法なんだ」
「そんなもんですか? なんでも、お上が言うには素麺の賞味期限は1年てぇこったそうで」
「何!? 木っ端役人が何決めたか知らねぇが、製麺のプロは“ひね素麺”を好んで手繰(たぐ)るもんなんだ」
「何ですか? その“ひね素麺”てぇのは」
「まぁ、聞きなさい。前に拵(こしら)えたり、仕入れた物を商売人は符丁(ふちょう・合言葉のこと)で呼ぶもんなんだ。しかも、それぞれの業種で、違った呼び名でね。例えば、八百屋や魚屋で古い商品は“兄貴(あにき)”だな。豆腐屋だと“山”てぇ言うそうだ。それが製麺屋だと“ひね”と呼ぶんだ」
「へぇ。んじゃ、店先で“兄貴”とか“山”とか聞いたら気を付けねぇといけないってぇ訳ですかい」
「ま、そう単純なもんじ無ぇなが、まぁそうだ。ただな、他所のことは知らねぇが、製麺屋に限っては“三たて(挽きたて・打ちたて・茹でたて)”ってぇ言葉が有る割に、寝かした方が味が良くなるってぇもんが有るんだ。例えば、中華麺だな。俺は最低でも1日寝かした方が良い」
「んじゃ、“ひねラーメン”って言うんですかい」
「そうは言わねぇ。“ひね”はもう少し長い時間寝かす時に使うんだ」
「へぇ、難しいんですね」
「だいたいな、素麺とか冷麦とかの乾麺は、保存用のもんだろ? しかも、乾麺てぇのは、出来上がって直ぐはまだ、水分が抜け切っていねぇんだ。だから、うんと寝かせて、水分がもう出ねぇってぇ状態の方が、茹でる時間が短くなるってぇもんなんだ」
「えっ! 何で、乾いた方が早く茹るんです?」
「おぅ、良い質問だねぇ。それはな、素麺から水分が抜けると、あの細い麺の中に沢山の気泡が開くんだ。そこへ一気にお湯が入り(へえり)込むから、早く茹るってぇ寸法だ。しかもな、茹でる時間が短い方が、茹で伸びも少ないしコシも残るってぇもんだ」
「へぇ、そんなもんですかい。んじゃ、今年届いた素麺は、手ぇ付けねぇで来年まで取っておいた方が良いんですかい」
「まぁ、全部仕舞っちまうってぇもの後生なこったから、少しは頂いてもいいんじゃないのかい」
「でも、美味しくねぇんでしょ」
「それじゃな、八っつぁんにだけ、素麺の美味しい茹で方を教せぇーてやるとしよう」
「難しいのはダメですよ、アッシは馬鹿なんですから」
「そんあこたぁ、言われる前から分かっとる。黙って聞きなさい」
「へい」
「先ずはだな、鍋にたっぷりの湯を沸かすんだ。しかもそれを、しっかりと沸騰させてな。そんでもって、湯が沸騰するチョイと前に或る物を入れるんだ。湯に」
「何を入れるんです? 普段アッシは、湯に塩を入れやすが」
「それが、トーシロてぇんだ。塩入れたって、湯の温度を下げるだけだろーが。何の役にも立ちゃあしねぇ。素麺を茹でる時には、湯に少量の酢を入れるんだ」
「酢ですか? 何でまた」
「茹で湯のPh(ペーハー)値を下げるんだ」
「大家さん嫌ですよぉ、変な横文字使っちゃ。アッシなんかに分かる訳無いじゃねぇですか。何です、そのペーパーてぇ林家の回しもんみたいなのは」
「おぉ、それはスマンこって。‘ペーパー’じゃなくて‘ペーハー’だ。Phてぇのは、水素イオン指数…… って、これも無理か。ま、ありてぇに言うと、酸性かアルカリ性かてぇこった。Ph7が中性、水とかだな。んでもって、麺、それも中華麺以外を茹でる時は、弱酸性で茹でた方が麺の肌が滑らかに出来上がるんだ」
「へぇ、そんなもんですかい。んじゃ、ハナッから酢で茹掻いちまったろうどうです?」
「バカだな、八は。酢を火に掛けたら、爆発して大変(てぇへん)なことになるぞ! だから、よく聞けてぇんだ。俺が言ったのは、茹で湯を弱酸性にしろてぇんだ。Ph値で6.5~6.7で十分だ。大まかに言うと、大鍋に多めに沸かした湯に小匙(さじ)半分位の酢を入れるんだ。そうすりゃ、ツルっとのど越しの良い素麺が茹で上がる手ぇもんだ。カミさんに伝えて、やってもらうと良い」
「へぇ、そんな簡単なことで、素麺ののど越しが変わるんですかい。是非、やってみます。有難うごぜぇやす。ウチの奴も、直ぐに『讃岐の出だ』とか偉そうなこと言いやがるんで、茹で湯に酢いれてギャフンと言わせてやります」
「バカなこと言うもんじゃない。そんなこと言ったら、また、夫婦喧嘩になるだろが。喧嘩はいけないよ。特に夫婦喧嘩は」
「へいへい、分かりやした」
≪お後が宜しいようで≫
*諸説有ります
【監修協力】
落語立川流真打 立川小談志
❏ライタープロフィール
山田将治( 山田 将治 (Shoji Thx Yamada))
1959年生まれ 東京生まれ東京育ち 天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター
天狼院落語部見習い
家業が麺類製造工場だった為、麺及び小麦に関する知識が豊富で蘊蓄が面倒。 また、東京下町生まれの為、無類の落語好き。普段から、江戸弁で捲し立て喧しいところが最大の欠点。
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