蕎麦通は“新蕎麦”を好まないって本当? 蘊蓄大家に訊いてみた《こな落語》
記事:山田将治(READING LIFE公認ライター)
落語では『やはり、秋刀魚(さんま)は目黒に限る』なんてぇことを言いますが、今年は今迄に無く秋刀魚が不漁だそうで、こんなことが続きやすと『目黒の秋刀魚』が高座に掛からなくなっっちまうてぇことに為り兼ねない状況で。
落語ばかりでなく、兎角、江戸っ子は旬の物を好む傾向が有りやして、中でも初鰹(かつお)なんかになりやすと、“女房を質に入れても”買いに行くてぇ乱暴な話が有ったりしまして。
初鰹程じゃ無ぇにしても、この時期になりやすと江戸っ子が挙(こぞ)って喰いに行く物に“新蕎麦”が御座います。
そんな新蕎麦を食したのが、長屋一のうつけ者、与太郎と何故か良い仲の別嬪(べっぴん)さんのお節ちゃんです。何やら不満があったらしく、大家さんを訪ねて来ました。
「大家さん、こんにちは。いらっしゃいますかー?」
「はいはい。これはこれは、お節ちゃん。与太がいつも御世話に為ってます」
「いえいえ、世話に為っているのがこちらの方で、この間(こないだ)なんかは、ウチの母の為に棚を吊ってくれたんですよ。与太さんが。一時(2時間)と掛からずに」
「ほう、そりゃ良かった。アイツはちょいと頭足らないけれど、大工(でぇく)の腕だけは一人前ぇだってからね。陽が出てる間は。
えっ? 『夜も結構役立ちます』って、何、顔を赤くしてんだい! お節ちゃんてば!嫁入り前の娘が、ふしだらですよ! 祝言前に別の“おめでだ”なんてぇみっとも無ぇことしたら許しませんよ。私ゃ、与太の大家だ。大家と言ゃ親も同然だ。髪結いしながら、片親でお節ちゃんを育て上げたお母さんに、侘びのし様も無ぇってもんだ。
それに、ウチの長屋には、与太の他にも若い衆(わけぇし)が居るんだ。そいつ等にも示しが付かなぇってもんだ」
「ハイ、そっちは気を付けてます」
「うん、それは良い心掛けだ。そいでもって、今日のご用は何だい? お節ちゃんや」
「そうですそうです。この間、与太さんが川向こうの蕎麦屋に『新蕎麦始めました』って、張り紙を見たというので、一緒に行ってみたんですよ」
「ちょいと待てよ、お節ちゃん。与太は字が読めねぇよ。誰かに読んでもらったんじゃねぇのかい」
「そうかもしれませんが、与太さんは食べ物だけは字が読めるらしいですよ。喰い意地が張ってるから。
それでですね、与太さんに連れられて食べてみたんですけど、全然美味しく無いんですよ。香りも弱いし」
「ほうほう。蕎麦の色はどうだった? お節ちゃん」
「色は、緑っぽいっていうか、若葉を薄くした感じの色でした。
でもね、大家さん。与太さんは、そんな味の薄い新蕎麦を『美味しい、美味しい』って言って、八枚も手繰ったんですよ」
「ィよ! お節ちゃん、流石に江戸っ子だねぇ。『手繰る』なんてぇセリフが、サラッと出てきて。
与太は、抜けてるから味なんざぁ解りゃしねぇよ。放って置いていいよ。
んで多分、新蕎麦に関しちゃぁ、お節ちゃんの言う通りだと思うよ」
「そんなもんですかぁ。でも、何で美味しくもない新蕎麦を、張り紙迄して食べさそうとするんですか?」
「そりゃね、お節ちゃん、新し物好きの江戸っ子気質ってぇもんなんだ。よく言うだろ。ほら、初鰹なんてぇ脂が乗ってんだか乗って無ぇんだか解らない品物(しろもん)を『女房を質に入れても』なんてぇ言って有難がるのは、江戸っ子だけらしいよ。鰹の本場の土佐じゃ、秋に為っての“戻り鰹”しか喰わ無ぇらしいよ。脂が少ない初鰹は、全部干しちまって節(鰹節)にしか使わないって聞いたよ。
んで、節にし切れなかった初鰹を、何も解らなくて人数が多い江戸っ子に売り払っちまおうてぇ寸法らしいんだ」
「新蕎麦も同じなんですか?」
「実は、そうなんだ。本来なら、蕎麦の実を刈り取って直ぐには挽くことが出来ないんだ。蕎麦の実の水分が多過ぎてね。しかも、実を挽いた蕎麦粉も、本来なら一月(ひとつき)は寝かした方が良いんだ。挽いて直ぐの蕎麦粉は、熱を持っているからね」
「へぇ、そんなもんですなんですね」
「水分が多かったり熱っぽい蕎麦粉で打った蕎麦は、味が薄いし香りも弱いのが相場だ。
ところがだ、お節ちゃん。蕎麦は年に一回しか取れないわな? 夏過ぎるとどうしたって、刈り取って置いた蕎麦の実も挽いてあった蕎麦粉も底をついて来る訳だ。そこで、仕方なく今年穫ったばかりの蕎麦を出さなきゃならない訳だ。
ただな、お節ちゃん。江戸っ子の中にゃ味にうるさいのも居る訳だ。しかも、文句は江戸弁で捲くし立てるもんだから、うるさくてしょうが無ぇ訳だ。
そんなうるさい奴等を、新蕎麦ですよ、初物ですよ、あんたら江戸っ子は好きでしょ、ってんで黙らせようてぇ寸法なんだ。
その上、新蕎麦てぇ奴は色だけは緑が掛かって初々しいから丁度いい訳だ」
「そうなんですか。それじゃ、私の方が真っ当ってことですね」
「そうだよ、そうだよ。だから、もう少し落ち着いて、涼しく為ったらもう一遍行ってごらんよ。美味しい蕎麦が食べられる筈だよ」
「ハイ、そうさせて貰います。蕎麦粉の熱が抜ける頃になったら、与太さんを質に入れても蕎麦屋さんに行きます。
今日は有難う御座います」
≪お後が宜しいようで≫
*諸説有ります
【監修協力】
落語立川流真打 立川小談志
❏ライタープロフィール
山田将治( 山田 将治 (Shoji Thx Yamada))
1959年生まれ 東京生まれ東京育ち
天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター
天狼院落語部見習い
家業が麺類製造工場だった為、麺及び小麦に関する知識が豊富で蘊蓄が面倒。
また、東京下町生まれの為、無類の落語好き。普段から、江戸弁で捲し立て喧しいところが最大の欠点。
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