祭り(READING LIFE)

世界一の祭りに行ってみた! そこは見るだけではなく、踊ってなんぼの祭りだった!《READING LIFE不定期連載「祭り」》


2021/07/12/公開
記事:月之まゆみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「一ヵ月の休暇! そんな長期休暇、前例がないわ。ここは外国じゃないから承認はでけへんな……」
その日、会社の統括部長に呼ばれ、申請した長期休暇を突き返された。
 
「そうですよね。ここは日本ですから。……ではご迷惑をおかけすることになるので、退職させてください」
話のながれで自主退職の言葉が、ふいに口をついて出たが不思議と後悔はなかった。
自分でも驚いたがむしろ心は静かで少しも波立たない。
 
「ブラジルへ行く? 日系の親せきでもおるの? ブラジルにいったい何があんの?」
上司は話をそらした。
「プロジェクトが終わった今しかないんです。ずっとカーニバルに行きたかったんです。
今なら間に合う。今、行けなかったら、きっと一生行けません。部長にとっては価値の
ないことかもしれませんが、私にとっては、次の異動先では健康的に勤めるためにも、
一度日本を離れたいんです。
部長、お会いするのは1年ぶりですよね。私の変化が判りますか? この一年で、7キロも太りました。正直、ストレス太りです。期待していただくのは嬉しいのですが、一人で30人もの人をまとめあげる力は私にはありませんでした。その自省も踏まえて、私には適性がないと考えました。ですので自分の健康を取り戻せないのであれば退社させてください」
 
「傷病でもないのに一ヵ月の休暇は会社の就業規則にはないんよ。でも21日なら私がなんとか上を説き伏せる。21日でどう?」
流石。社内でも敏腕の交渉のプロだ。私は頭のなかでブラジル周遊計画のスケジュールを瞬時に引き直した。
そして行ける! と判断した。
 
そんな1週間前の会話がぼんやりと頭のなかで思い出されるが、自分が会社員であることすら思い出せなくなっていた。
昼夜、街に流れるサンバの音楽が時間の流れを止めていたからだ。

 

 

 

私は踊ることが好きだ。
理由はわからない。
特に複雑に刻まれるラテン音楽のリズムを聞くと、ヘソの内側あたりがポカポカと温かくなり踊りださずにはいられない。
 
ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで年に一度、開催される世界で最も有名なカーニバルにいつかは行ってみたいと願っていた。そしてその機会はあるとき偶然に訪れた。
毎年、変わる移動祝日に合わせて直前に休みがとれたのはむしろ奇跡に近かった。
 
日本から19,000キロ離れたリオに飛行機を乗り継いで丸二日かかったが、できるだけ日本から離れたいと考えていた私には本望だった。
 
リオに降り立つと、祭りはすでに街の路上のいたるところで始まっており、サンバを軽快に踊る人たちであふれていた。二歳児から老人まで、サンバの自由なステップが街の路上に刻まれる。街全体が熱病にかかったようで、私もすぐにその空気に溶け込んだ。
 
ストリートやイパネマの海岸で踊る人たちの間を縫う間、私もつかの間、彼らに交じって踊った。踊りの輪に中に入っては踊る。そんなことを繰り返しているから、少しも前へ進めない。
もう何ブロック、踊りぬけただろうか。
 
どのグループに加わっても、カリオカ(リオに住んでいる市民)たちは、私にどこから来たのかとは誰も聞かない。
「Linda(リンダ)?」と笑顔で聞いてくる。
踊りはかっこいいか? 人生は美しい? ここに来てよかった? 今、楽しんでいる?
この世に起こる事象に対してLinda(美しい)かどうか聞いてくる。
私も「Muito(とっても)!」と笑顔で答える。目の前で起こるすべてを美しく価値あるものと捉えれば、全てがそのように感じられるから不思議だった。
 
リオに到着してから、カーニバルの間、日のかげる夕方から明け方まで踊っては、ホテルに戻り、ワインやビールで朝食を流し込んで、ベッドに倒れこみ、夕方まで眠りこんだ。
 
そんな生活が続くと距離だけでなく、時間軸もすべて日本での生活が遠く蜃気楼のように感じられた。

 

 

 

夜も更けてから、念願の目的だったパレードを観に8万人を収容するカーニバル専用会場へ向かう。
その夜はサンバの頂点に立つそれぞれのチームが年間テーマに沿って1年間準備をしたサンバパレードでその成果をコンテストで競いあう。
巨大なサーチライトが夜空と会場を交互に照らしていた。バテリアと呼ばれるサンバの打楽器体の音が巨大なスタジアムの場外までもれ響いていた。
その音に、私はなぜか一瞬ひるみ脚が震えた。
そんな経験は初めてだった。経験したことのない巨大なエネルギーの渦のような気配を感じ、私はこの渦に確実にのまれてしまう。直感的にそう感じた。
 
抗えない大きな力に背中を押されるように階段をあがって会場に入る。
眼下には、強烈な照明のしたでこの世に存在するありとあらゆる色が交錯していた。
 
私は世界最高峰のダンスの中心点に立っていた。

 

 

 

サンバの大音量のリズムが大地をゆるがしていた。
それは地鳴りのようだった。
 
とても夜中の3時過ぎとは思えない出来事だ。
 
趣向と技巧をこらした踊りは時に内臓をむき出しにするようなグロテスクな力強さがあった。
生きていくなかで起こる様々な苦悩を挑発するようなリズミカルなステップは見る者をふるい立たせる。
 
そして大地を這うようなネイティブな激しい単調なリズムは、ブラジルの広大な
大地に息づくすべての生命力を呼び起こす。
 
日本の社交ダンスで習ったサンバのステップは、熱いトタン屋根で猫が軽々と踊るように軽快なそれだったが、目の前の本物のサンバは軽やかさどころか、生への歓喜としたたかな挑発に満ちていた。
 
頭のなかを空っぽにして、大地を軽やかに蹴り、腰でリズムを細かく刻む。
打ちならされる無数の打楽器隊の複雑なリズムは、すべてが不規則だった太古を呼び起こす。
 
名もないダンサーたちの多くは、スラム街出身が多い。
貧富の差の大きい国で、彼らはサンバをとおして独自の文化を築きあげた。
 
そしてパレードの中でチームのバテリアの女王のなかから、たった一人、最高の踊りのディーバ(女神)が生まれる。
 
それを決めるのはほかでもない自然に湧き上がる観衆の歓声だ。
 
彼女を乗せた巨大な山車が近づいてくる数キロ前から、世界の観客が興奮して歓声をあげ、
それは観客席で大きなうねりとなって私たちの席まで伝わってきた。
 
ディーバを一目見ようと、スタジアムの観客たちは立ち上がり前の席へ雪崩のようにおし寄せる。最前列はたちまちもみ合いになり怒号が飛び交う。
祭りの巨大な山車が数百人のダンサーに神官のように守られながらゆっくりと過ぎていく。
 
地上から数メートルも高さのある山車の中央に一人、際立って美しい女性のダンサーが乗っている。
チョコレート色の肌は汗でかがやき、その夜、産声をあげたばかりのディーバを一目、近くで観ようと、観客は色めき立ち、その場で隣人と抱き合い喜んでいたかと思うと、今度は小突かれたと言って互いにいがみ合う。
 
危険を感じて、私もその場から離れたいと思うが、押し寄せる人の波に逆らえない。
 
心のなかでうまれた感情はそのまま態度に表れた。
誰もが赤ん坊にもどる。
熱帯の夜がとけていく。
深夜なのに少しも気温がさがらない。
むしろ体内にどんどん熱がこもるようで放熱できずにいると野性的な感情が生まれる。
だから踊るしかない。
身体の中心で生まれた感情はそのまま踊りに昇華する。
 
最前列の観客は手すりから身を乗りだしディーバに手を振った。
向かい側のVIPルームの観客は酒を飲む手をとめ、冷房の効いた室内からガラス窓にはりつき、彼女をのせた山車が近づいてくるのを今か今かと待っていた。
 
一目、ディーバを見たい。
それは純粋な理由なき全員の欲望だった。
 
ファベーラと呼ばれる貧しい泥のなかから生まれた蓮の花が咲く瞬間を見てみたい。
 
今宵一夜は、まだ無名の誕生したばかりの、その場に居合わせた8万人を魅了するディーバに恋焦がれたいと願う。
 
鼓動が高鳴る。
興奮で気分が悪くなるほどだ。
手に持っていた空のプラスチックカップを口に運ぶ。
もう何時間も前からカップは空だった。時間がどれくらい過ぎたのかもわからない。
喉が渇いてしかたない。間断なくつづくサンバに身をささげていたのでもう汗もでない。
 
飲み物をスタンドに買いに行こう、何度もそう思いながら、次々と連なるサンバチームの踊りを見逃したくなくて、その場を離れていない。
 
背中に数十キロの羽で飾られプラチナ色のビキニをきた、ディーバが全身から黄金色のエネルギーを放ちながら近づいてきた。
 
それと同時に、まわりの空気が一瞬、重くなる。
近づいてきているのは女神だけでなかった。
もう小半時、遠くで光っていた雷とイナズマが少しずつ会場に近づいてきていた。
 
最初は天から地へまっすぐに光の線を落としていた雷は、遠巻きに獲物をねらう俊敏な生き物のようだ。
 
光だけだったイナズマはやがて雷鳴を引き連れて、ゴロゴロと威嚇的にとどろいた。
カーニバル専用開場に屋根や避雷針などあるはずもない。
 
山車に押し寄せる人の群れも危険だったが、雷はそれ以上に危険だった。
いますぐにでもそこから離れたい。
でも誰もその場所から離れられない。
 
意志をもつような空が近づいてくる。それに呼応するように大サンバのリズムが地響きのように大地に充満した。
 
貧血におそわれたアジア人の若い女性が倒れこみ、周りに抱き抱えられてでていった。
いつのまにか始まった経血が下着を通して、私の脚に細い筋をつくっていた。
仕事のストレスで3か月近く止まっていたのに……。でも恥ずかしさはみじんも感じなかった。むしろ、あぁ生きているんだと安堵する自分がいた。
 
生涯にたった一度だけしか見られないディーバはもう目の前だ。
彼女の踊りを目に焼き付けたい。
いのちのリズムを脳裏に刻んでおきたい。
 
遠い日本で感じた苦しみの悲壮感と違って、過ぎていく苦しみさえもブラジルでは輝く笑顔と狂乱の踊りで跳ね返すエネルギーに魅了されていた。
喉の奥から笑いがこみ上げてくる。
生まれて初めて自分のカラダと精神から自由になった気がした。
 
と同時に雷が頭上でとどろいた。
 
ガァァ。ゴロゴロゴロゴロ……。
バリッ! ドォ~~~ン。ドォ~~ン。
 
サンバのリズムは少しも乱れない。
むしろ呼応するように雷が踊りだす。
ダンサーたちは一糸乱れぬリズムで地上に丸い弧を描きながら踊ると、派手できらびやかな衣装が舞い上がる。
 
その時、ディーバは片足を前におしだして体の重心を低くする。一瞬かがんで激しく腰をふりながら両手をあげて慕うように天をあおいだ。
 
美しい鳥が舞い上がるようなその姿に観客が見惚れて息をのむ。
 
天がそれに反応したのか、熱された風がスタジアムを吹き抜けて一瞬で、湿気を含んだ雲が割れて大量の雨が降ってきた。
それでも無数の人間が大地でうごめきながら踊り続ける。私もただ地上でうごめいていた。
その場にいたダンサーも観客も山車も楽隊も全員が、激しい雨に打たれて、等しくずぶ濡れだ。
 
雨と蒸しあがる熱気で目の前で見えない。
 
濡れた手でなんども目をぬぐう。
ディーバの雨に洗われた体は発光した蝶のようにも見えた。
引き締まった豊満な身体と細い四肢の踊りはしなやかで大胆だ。
自分が世界に認められたことを知りながら圧倒的なエネルギー体となって、8万人に向かい笑顔とサンバで応える。
 
通り過ぎていく彼女を見ながらなぜか泣けてきた。ちょっと声をあげて泣いてみたが誰も気づかない。そして声をあげて泣くと実に気持ちが良かった。
 
瞬く間だった。
でも永遠だった。
 
意味もなく隣のだれかと抱き合った。
どしゃぶりの雨に打たれて熱を伴った人肌があたたかい熱気を発していた。
 
雨のおかげですべてが流された。悩む心も、喉につかえていた苦しみも軽血も陶酔もすべてが流されていった。
サンバが通り過ぎると輝きは遠のいた。
熱狂のなかに溶けていった。
全てが通り過ぎると何もなくなってしまった。
それは空虚ともちがう。
ただそこに自分はたしかに存在して生きているという実感だけがのこった。
 
未来が近づいてきて、今になり、そして目の前を通り過ぎて過去になっただけだ。
 
人生で起こるすべてのできごとも祭りを見るようにただ過ぎていくのではないかと思った。
手を伸ばしても、つかむことのできない光り輝くすべてに魅了されながら、腰を下ろす間もなく一生が過ぎていく。
それは長く短い、いつか終わりくる夢の日々。
 
私たちのそのほとんどが人生の観客となって、誰かが誰かの命をみている。
 
豪雨と雷が遠のいていく。
 
どれくらい経っただろうか……。
 
最後のサンバチームの踊りが目の前を通り過ぎた
その後に残るのは、深いため息と静寂。
 
観客たちは出口に向かいはじめている。
全てが終わっても私はしばらくその場に無言で座っていた。空っぽになってただ座っていた。
 
夜があけコルコバードの丘に朝日が昇る前兆の白々とした空気がただよう。
有名なキリスト像の輪郭がだんだんとはっきりと見えてきた
 
美しい景色だった。
熱狂と陶酔の夜があけた。
全てが再生していた。
 
Que lindo !(なんて美しい)
 
そして私は以前より自分の存在を愛せるようになっていた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
月之まゆみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

大阪府生まれ。公共事業のプログラマーから人材サービス業界へ転職。外資系派遣会社にて業務委託の新規立ち上げ・構築・マネージメントを十数社担当し、大阪地場の派遣会社にて現在、新規事業の企画戦略に携わる。2021年2月よりライティング・ゼミに参加。書き、伝える楽しさを学ぶ。
ライフワークの趣味として世界旅行など。1980年代~現在まで、69カ国訪問歴あり。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

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