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仕事よ、消えないで!《週刊READING LIFE Vol.62 もしも「仕事」が消えたなら》


記事:一色夏菜子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

もしもこの世から仕事という概念が消えたなら、ハッキリ言って、私は困る。
自分が働かなくても生きていけるのはまぁ良い。私自身には不都合はないだろう。
しかし、それはつまり、「先生」も働く必要がなくなるということだ。
 
私は、何かを学ぶのが好きだ。いくつかの習いごとをしている。
 
この世から仕事が消えて、「先生」が働く必要がなくなって、私にあれこれを教えてくれる先生が「先生」として働くことを辞めてしまったら、私は習いごとが出来なくなってしまう。
 
そうなったら、私はどうやって学べば良いのだろう?
 
ちょっと考えてみよう……。
 
私は現在、パラグライダーを習っている。英会話を習ったこともある。 
 
もちろん、先生につかなくても、何かを学ぶことはできる。長い人類の歴史上、今のように「先生」にお金を払って学ぶようになったのは、つい最近のことだ。この世界に「先生」を仕事にするひとが一人もいなくなったとしても、お金を使った「習いごと」が出来なくなるだけ。独学で学ぶことはできる。
 
世の中には、良い本や教科書がたくさんある。今はインターネットも発達している。本の取り寄も情報収集も、インターネットさえあれば自宅で出来てしまう。
 
私が習っているパラグライダーも英会話も、ちょっと検索すれば情報はたくさん出てくる。本もネット情報も、さらにはYouTube動画も、教材は数え切れないほどたくさんある。
 
しかし、問題がある。
 
私は運動音痴だ。
 
パラグライダーを独学するのはちょっと怖い。
 
世界で初めて空を飛んだライト兄弟のような有名人をあげるまでもなく、空飛ぶ技術を開発しようとする人や、(市販のパラグライダーを使うにしても)先生なしに独学で飛ぼうとする人は、いる。昔の話ではない。21世紀になった今でも、たぶんあなたが想像するよりも沢山いる。
 
そういう人たちは、普段はあまり目立たない。有名になるのは、フライト中に大怪我をしてニュースに取り上げられたり、逆に成功してメディアに取り上げられたりするときだ。最近だと、ドローンに乗って空を飛ぶ中国人のおじさんがTwitterで話題になった。
 
しかし、運動音痴で凡人の私に、そんな度胸はない。
 
やっぱりできれば、独学ではなく、誰かに教えてもらいたい。
 
だから、もしもこの世界から「仕事」という概念がなくなっても、私の「先生」たちには先生の仕事を続けて欲しいなあ……と思う私は、ワガママだろうか。
 
「先生」という仕事がなくなったら、その恩恵を受けている私のような生徒=お客さんが困ってしまう。……ということは、私の仕事も、なくなったら困る人がいるのかもしれない。
 
いやいや、そんなことはないのでは? 「先生」がいなくても、独学じゃなくても、誰かに教えてもらう方法はある。21世紀はAIで仕事が消える世紀だっていうし、人にものを教える「先生」なんて、なくなっても良い仕事の代表格なのではないか?
 
そうだ。部活などのコミュニティに入って、他の人と知識を共有すればいいのではないだろうか。先生に教わるよりも効率は落ちるかもしれないが、お金を払って「先生」を雇わなくても、仲間を探して学ぶ方法はいくらでもある。
 
インターネットがあれば、同じことを学んでいる人は簡単に見つけることができる。オンライン検索をすれば数えきれないほどの情報が見つかるし、その周りには掲示板やSNSなど、学ぶひと同士の交流の場がたくさんあるのだから……。
 
実はこれは、20代の頃の私が考えたことだ。そう考えた私は、友人を誘って、英語の勉強会をはじめた。他の人が開催している勉強会にも、いろいろ参加した。しかし、いずれのコミュニティも、半年〜1年ほどで自然解散してしまった。
 
なぜだろう?
 
「先生」がいなくても、参加者同士がお互いに教え合い、高め合う……それができれば理想的だ。しかし勉強会を開催しようとすると、時間や場所の設定、場所代などの費用負担など、細々とした「仕事」を誰かが引き受けなくてはならない。そういう細々したことを引き受けて、毎週勉強会を開催して、さらに勉強する内容を充実させていこう……とすると、かなり手間ひまがかかる。
 
コミュニティが大きくなればなるほど、細々とした「仕事」にかかるコストは大きくなる。そうするとコミュニティ主催者は、運営にかかる手間ひまのために、勉強時間が削られる。学びを得るために始めた勉強会なのに、それにまつわる「仕事」で疲れてしまい、勉強まで手が回らない。
 
……おかしい。
 
「先生がいなくても、独学じゃなくても、誰かに教えてもらう方法」として、勉強会を始めたはずなのに、勉強以外のことで忙しくなるなんて。
 
世の中には人の輪の中心になるのが好き・人に頼られるのが好きな人もいるから、自発的にコミュニティ運営の仕事を引き受け、それに楽しみを見出す人もいるだろう。しかし、私は自分の学びを優先したかった。
 
他の人が開催している勉強会も、似たような状況だった。勉強熱心なひとほどコミュニティ運営に疲れてしまい、勉強よりも懇親会に精を出すようなひとが運営する勉強会もどきが増えた。試行錯誤の結果、コミュニティ的な勉強会よりも、習いごととしてお金を払って「先生」についたほうが効率的と結論付けて、私は「先生」がいない勉強会から距離を置くようになった。
 
コミュニティ活動に伴うあれこれを考えると、習いごとでお世話になっている「先生」たちは、教える以外の細々とした「仕事」も引き受けてくれている、ということに気がついた。
 
「先生」という仕事をしてくれる人がいるから、仲間が集まる。
 
仲間が集まり、良い学びの場になるように「先生」や教室の人たちは仕事しているのだ。
 
実際に、私がパラグライダースクールや英語教室という習いごとから得ているものは、「先生」から具体的に教わる知識やスキルだけではない。学びと直接は関係しないように思える雑多な会話や、教室の雰囲気、そして先生がいるからと集まってきた同好の士との交流も楽しい、かけがえのないものだ。
 
困りごとや不安があるとき、信頼できるひとに相談できるという安心感も、大きい。
 
繰り返しになるが、私は運動音痴だ。
 
体育の授業はできるだけサボって生きてきた。
 
そんな人間が空を飛ぼうとするのだから、色々な不安がある。オンライン検索で解決することもあるが、アウトドアで体を動かしている最中に「どうすればいいの?」という状況に遭遇したとき、気軽に質問できる人が身近にいるという安心感は、何ものにも変えられない。右からも左からも風が吹いているように感じるとき、隣にいる人に「どっち?」と聞けるのは、良いものだ。グーグルは賢いが「今は風が巻いてますね」とは教えてくれない。
 
英会話でも、「なんだこれは?」という場面に遭遇することはある。英語はインターネットと相性が良いから、辞書やオンライン検索を駆使すれば、だいたいの問題は解決はできる。しかし、オンライン検索をして出てくる情報は、膨大だ。
 
たとえば「クリスマスを祝うために使われているMerryという形容詞は、誕生日を祝うときにも使えるの? Merry Birthdayって言うの?」という疑問を抱いたら、どうするだろう?
 
「Merry Birthday」
 
とグーグル検索すると、1億件以上の検索結果が出てくる。Merry Birthdayと言うことはあるという説もあるし、ネイティブはそんな表現は使わないという説もある。
 
さて、どれが正しいのだろう?
 
そういう判断を1つ1つ、疑問があるたびに全て一人で判断するのは、それ自体が難問だ。
 
わからないことだらけの時でも、「先生」がいる教室にいけば、好きなだけ質問も相談もできる。そういう場があるのって、ありがたい。そう思うから、私はお金を払って習いごとをしている。
 
だから、私がお世話になっている先生たちには、仕事がなくなっても「先生」を続けて欲しい。
 
この願いは、私だけのワガママではないと思う。
 
そして、お客さんに「続けて欲しい」と願われる仕事は「先生」だけではない。
 
私が「先生」や仲間たちと交流して、楽しく学び続けるためには、スクールを運営するために働いている「受付さん」や「経理さん」にも、仕事を続けてもらう必要がある。
 
そう言われたら、本人たちは驚くかもしれない。「仕事しなくていいなら、したくない」と言われるかもしれない。けれど、でも、その仕事が消えたら、ハッキリ言って、私は困るのだ。
 
そう思って周りを見渡してみると、なくなっても誰も困らない仕事というのは、ほとんどない。あなたがよく使うお店やサービス、お世話になってるインフラ、などなど、色々な仕事を想像してみてほしい。
 
だから私は「もしも「仕事」が消えたなら」と言われたら、大声でこう返したい。
 
お願い、仕事よ、消えないで!

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
一色夏菜子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1982年生まれ。 TOEIC985、英検1級。パラグライダー歴2年。
日本で5年働いた後、シンガポール移住。あちらで5年働いた後、日本帰国。たまに東南アジアに帰りたくなりつつ、日本で空を飛んでます。


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