ストレッチは一日にしてならず~一分の習慣で未来の自分を守る方法~《週刊 READING LIFE vol,100 「1分」の使い方》
記事:緒方愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「よろしくお願いしまーす!」
先日、福岡の繁華街、天神の大通りを歩いていると、活気ある声が前方から聞こえてきた。何だろうと、視線を遠くへと切り替えると、赤いTシャツを着た、数人の男女が等間隔で並んでいた。同じ色の服、同じ紙袋を手に下げているのを見るに、同じ所に所属している人たちのようだと推測した。紙袋に手を突っ込み、何かを道行く人に渡している。
あ、ティッシュ配りの人たちだ
私は、鼻炎持ち。お金に困窮しているわけではないけれど、ティッシュは欲しい。ケチと思われても良い、タダならなおさら、ティッシュが欲しい。この際、ゴワゴワの低品質でも文句は言わないから。
私は、スッと顔を上げ、赤いTシャツの人々の前を歩く。ティッシュなんて興味ありません、という風を装いながら。
だが、どうしてだろう。誰もティッシュをくれない。
六人くらいの前を通ったというのに、私に手を差し伸べてくれない。中には、私を見て、紙袋にティッシュをしまう人までいる。
どうして、こんなにもティッシュを欲しているのに。もしかして、そっけなくしすぎたのだろうか。
少し、悲しくなる。
通りすがりざまに、赤いTシャツに書かれていた文字を流し見た。新しくできたのであろう整体の店名が書かれている。
ますます、わからない。
私は、多くの場合大荷物で移動している。バックパッカーの様な男性用のリュックに、水筒、ノートパソコン、一眼レフ、ノートなどをみっちり詰め込んで、カフェや取材場所などを徒歩とバスで渡り歩いている。
小柄な女性が、大きな荷物を背負っている。疲れないはずないだろう。なぜ、労ってくれようとしない。
未練がましく考え続けてふと、気がついた。
彼らは、私の顔、というより、背中の辺りを見て居た気がする。
自分の体の横幅の二倍ほどの荷物を、背を曲げずに、シャッキリと歩く人間。
客観的に観察すると、私は対象外だったのかもしれない。
そうか、私は、試合には負けたけど、勝負には勝ったのか?
途端、ひとり、誇らしげにマスクの下で笑ってみる。
実は、私は子どもの頃から、慢性的な猫背だった。小学校の検診や、担任教師に心配されるくらいの重症な。
それを、私は克服できたのだ。あの数ヶ月で、私は進化できたのだ。
激しい筋トレや、厳しい整体に行ったわけではない。
そう、毎日たった1分ちょっとの習慣。それを毎日続けたから、私は、こうしてドヤ顔できるのだ。
「ほわっ、なん、だ、これ、は!?」
六月末の早朝。私は、爽やかな朝日が、カーテン越しに差し込む自室で悶絶していた。敷布団の上、私は、両足をつけたまま、両腕だけで上半身を支えていた。腕立て伏せをしているわけではない。腰から下が、痛くて動かないからだ。なんとか膝を曲げて四つん這いにまでは姿勢を変えることができた。だが、それから動かそうとすると、鈍い痛みが腰に、衝撃が稲妻のように背中から脳天に走る。
これは、ギックリ腰をやらかしたかもしれない。
ドイツでは、ギックリ腰のことを「魔女の一撃」と言うそうで。確かに、この衝撃にピッタリな表現かもしれない。それを思い出した私は、心身にショックを受けた。
我が一族は、腰が弱い。ギックリ腰の悲劇に見舞われた人間が多数いる。とうとう、私にも来てしまったのか。
私の部屋には、湿布も腰痛コルセットもない。スマートフォンも、手に届く所にない。部屋から出ないと、病院にも行けないのだ。気力を振り絞って、手足をじわじわと動かしてみる。生まれたての子鹿、というより、猟師に打たれて死にかけの鹿みたいだ。自分の妄想で笑えば、その小さな衝撃も腰に響く。真面目に、身体の起動を試みる。なんとか、座り直し、服に着替えることができた。ゆっくりと壁に手を付き、伝って歩く。
「診察室へどうぞ」
「お、お願い、し、ます」
私は、よぼよぼと整形外科の診察室に入った。その後ろから、瀕死の私の代わりに、看護師さんが私のでっかいリュックを持って付いてきてくれる。
症状を医師に説明する。先生はクールにうなずくと、カルテから顔を上げた。
「レントゲンで細部を診てみましょう」
また、よぼよぼと部屋を移動する。ダブルベットより大きなレントゲン台に寝そべる。それから、苦悶のうめき声を上げながら、裏表、膝を立てるなど、いくつもポーズを変えながら、撮影を行う。なすがまま、煎餅のようにひっくり返されながら、私はひっそり覚悟した。
こんなに痛いんだ。椎間板ヘルニアとか、重症に違いない。手術も必要だろうか。
撮影が終わり、診察室で、うなだれながら、宣告を待つ。
だが、
「骨も、筋もとてもきれいです。何の問題もありません」
「え?」
先生がレントゲンを指差した後、目を丸くする私を見つめた。
「おそらく、動かないことで、筋肉や筋が固まっているんです。何か心当たりはありますか?」
「……はい」
今年の春、世界中を未曾有の事態に陥れた、新型コロナウイルス感染症。
弊社は、一時出勤ができなくなり、リモートワークとなった。私の自宅には、パソコンデスクはなく、小さなちゃぶ台しかない。そこに、座布団を敷いて、デスクワークをしていた。慢性猫背の私は、長時間同じ位置に座り続けていたのだ。
仕事だけじゃない。
趣味の書き物、読書。座布団の上に座っているのは良い方。大抵は、畳の上に直に座るか、腹ばいに寝転ばるか。腰や首に不安定な姿勢でやりたい放題。その生活を約三ヶ月。私の身体にとっても、経験したことのない事態だったのだろう。
とうとう、身体の不満は爆発したのだ。
それを、私が説明すると、先生の眼鏡の奥の瞳が、細まった。
「ストレッチや、身体をほぐす運動はしていましたか?」
「たまに、散歩をしたり、前屈を」
先生は、何かおかしな生き物でも見たよう。口端を上げて、私を吐息で笑った。音に表すなら「へっ!(笑)」である。
先生、ちょっと失礼ではないか。このニヒルな顔を見るに、私の行動は不十分であったことを瞬時に理解した。
「リハビリテーション室で、理学療法士から、緒方さんに合った正しいストレッチの方法をお教えします」
「わかりました」
「では、お教えしますね。まず、仰向けに寝転がってください。そして、片膝をゆっくり胸に抱えてください」
台の上に寝転がり、コクリと私はうなづく。随分簡単な動作だな、はじめはそう思った。
「イダダダダダ!?」
ちょっと膝を、傾けただけで、このありさま。理学療法士さんは、やわらかい笑顔で、私に話しかけてくれる。
「今はまだ、身体がこわばっていますから、ゆ~っくりでいいですよ」
私は、その言葉に大きくうなづく。じわじわと、胸に膝をつける。
「では、そこで十秒キープしてください」
「じゅ、十秒!?」
「それを三セットします」
私は震えた。こんな簡単な動作すら、スムーズにできなくなった自分にもショックだったが、この苦しみを伴う動作を繰り返さなければならないなんて。
「では、次の動作をしてみましょう」
「……次?」
私は、理学療法士さんの非情な指示に、そっと目を閉じた。
合計六種類の簡易ストレッチを教えてもらった。満身創痍の私に、今回のストレッチ方法を書いた紙を渡してくれた。有り難い、さまざまな衝撃で、断片的な記憶しか覚えていなかった。
「これを、がんばって毎日続けてくださいね」
「毎日?」
「可能でしたら、身体が強張っている、起きた直後。あとは、お風呂上がりの、身体がやわらかくなっている時に行ってください」
「つまり、一日二回、これらをする必要があるということですね?」
紙を持ったまま、小刻みに震える私に、理学療法士さんが眉を下げて笑う。
「毎日続けることが大事です。無理せず、少しずつ行ってください」
「はい、わかりました」
地獄のメニューを大事にリュックに仕舞い、私はよぼよぼとリハビリテーション室を後にした。
「ひぃぃぃぃ」
さっそく、夜の就寝前、習ったことを自宅で復習する。どのストレッチをしても、身体からミシミシと嫌な音と、激痛が走る。なんとか、すべてをこなした。重症ではなかったことへの安堵、痛みからの開放で、一気に眠気が押し寄せ、気絶するように眠り込んでしまった。
翌朝、目を開けて、どきどきしながら身体を動かす。なんとか、痛みのないように起きなければ。そう身構えていたが、ひょいっと上半身を起こすことができた。私は目を丸くした。病院からは、痛み止めだけを処方してもらった。湿布や塗り薬は、皮膚の弱い私は使えないからだ。
まだ、ストレッチメニューを二回しただけ。にもかかわらず、嘘のように身体が軽い。まだ痛みはある。だが、まるで、重力から解き放たれたような気持ちだった。
今度は、感動に震える。
あれだけで、こんなに効果があるなんて。私は、どれだけ自分を痛めつけていたのだろう。
作業環境も整えなければ行けないけれど、まずは、自分のコンディションを整えよう。
心身の健康が、すべての資本。
この言葉が痛いほどに身にしみる体験だった。
あれから、時間が経過しても私は、ストレッチを続けている。当時、特に痛みを感じたストレッチの種類を覚え、重点的に行なっている。
約一分ほどに簡略させた、私の健康ルーティーンができあがった。
もう、朝晩悶絶の悲鳴を上げることはなくなった。むしろ、行うとリラックスした気持ちになる。身体のこわばった筋だけでなく、心もほぐれて行くようだ。
注意しないといけないのは、あまりの気持ちよさに、朝、二度寝しそうになってしまうこと。これは、鋼の意志で阻止したい。
あの日以来、病院へ再診に行くことも、死にかけの鹿に戻ることもなくなった。
春先に比べ、若干ではあるが、私の周囲では、行動の緩和をされたことがらもある。だが、油断は禁物。手洗い、うがいなどを主に気をつけなければならない。
自分の勤める企業に出社できるようになった方も増えたようだが、まだリモートワークの方も多いことだろう。
今までにない事態に、ストレスフルになっている方も多い。私のように、身体を壊してしまった人もいるのではないだろうか。
そんな方に、この事態をチャンスと考えて、自分の体調や生活習慣の見直しをすることを提案したい。
ジムに通うことや特殊な運動器具を購入しなくとも、できることはたくさんある。
朝起きた時や眠る前のストレッチ。台所で、お湯が分けるまでのスクワット。通勤や電子レンジの食品があたたまることを待つまでの、つま先立ち。「ながら運動」は、プレッシャーを感じず行うことができ、持続させやすいように思う。
心身のリフレッシュだけではなく、未来設計にも役立つ。
今から少しずつ、続けていた習慣は、未来の私の身体を形作る。逆に、今サボったツケは後から、思わぬ時に襲ってくる。
高齢者になった時、一人暮らしのアパートで、死にかけの鹿になるなんて悲劇でしかない。
未来に生きる自分のために、まず、今の自分を労って。
たった一分、簡単なことから。
新しい時代を目指すために、あなたに合った新習慣を、はじめてみませんか?
□ライターズプロフィール
緒方 愛実(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
福岡県出身。アルバイト時代を含め様々な職業経験を経てフォトライターに至る。カメラ、ドイツ語、占い、茶道、銀細工インストラクターなどの多彩な特技・資格を修得。貪欲な好奇心とハプニング体質を武器に、笑顔と癒しを届けることをよろこびに活動している。
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