メディアグランプリ

夫が海賊になると言い出した


 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:桜井陽(ライティング・ゼミ GW集中講座)

 

夫が昨年の夏、突然会社を辞めた。大学を卒業してすぐに入社した大手の新聞社だ。「記者は俺の天職だ」と言っていたのに。確かに、この10年はしょっちゅう「俺は大きな組織から飛び出して、一人の力でやってみたいんだ」みたいなことを言っていた。だからってなぜ今? 息子の中学受験がようやく終わり、学費の高い私立校に入ったばかりなのに。正直、呆れ果てた。

 

「辞めたんじゃない。独立したんだ」と夫は言う。どこが違うのか、私にはさっぱりわからない。「独立」なんて格好つけているけど、大きな会社の後ろ盾がなくなったということでしょう? 30年近く、黙っていても給料が振り込まれる環境にいたのに、50歳を超えてから会社を辞めて、あなたになんのスキルがあるの? 

 

確かにNIKKEIリスキリングとかいうメディアの編集長はやっていたから、やたらとスキルがどうこう言っていたけど、じゃあ、そのスキルとやらは家族が安心して暮らしていけるだけのお金に化けるんでしょうね?

 

本当に不安だ。なぜって、私は人材会社の企画職として事業開発もやってきたし、ミドルシニアの就労支援もやってきた。新しい事業を作ったり、それなりの年齢に達した人がきちんとした職と収入を得たりすることは、簡単ではない。この点については、誰よりも実態をよく知っているという自負がある。

 

夫に「あなた本当に大丈夫なの」なんて聞くと、怒られそうで怖い。でも不安な気持ちをずっと押し殺しているのも辛い。だから先日、ささいなきっかけから口論になってしまった。

 

「独立とかって言ってるけど、事業計画とかあるわけ? 見せてみてよ」という私の言葉に、夫は「長年、独立のために準備を重ねてきた俺を侮辱するつもりか」と激怒した。確かに上から目線で計画を見せろと迫った私も悪かった。でも、きちんとした計画なんかなさそうだったから。

 

夫は新聞社にいながら、ウェビナーの司会やリアルイベントの企画運営、ポッドキャストのMCなど、ここ5年ほどは書く仕事よりも喋ったり場を作ったりする仕事をメーンにしてきた。記者や編集者はどちらかといえば裏方だが、司会の仕事は顔をさらして舞台に上がるという点で全然違うと言っていた。

 

「舞台で顔をさらして司会をするのは怖いよ。なぜって、その日のイベントが成功するか失敗するかは、はっきり言って登壇者よりも司会者にかかっている。どんなに素晴らしい人が登壇してくれたとしても、仕切りがまずかったらお客さんに届かないから」と夫はよく言っていた。やりがいは感じているようだった。

 

「でも、俺が立っているのは会社が用意した舞台なんだよ。会社という存在がなかったら、この世にない舞台なんだよ。ポッドキャストしかり、ウェビナーしかり。そこにもやもやするようになった。港を離れて、一人で航海に出たいんだ。俺は海賊になりたいんだ」と夫。海賊って……。いい年なのに、ワンピースのルフィかよ。

 

夫の言うことは半分理解できるけど、半分は理解不能だ。立ちたい舞台を自分で用意したいというのは、要するに、自分がメディアをつくりたいということでしょう? それは理想だし、美しいかもしれないけれど、誰がお金を払ってくれるの? 誰のどんな課題をあなたのメディアは解決するの?

 

「計画ばっかりしていたって、面白いものはできないんだよ。メディアってそう。特に小さいメディアだったらなおさらそうなんじゃないかな。例えばバッと集まってみんなで喋って、それを収録してポッドキャストにして、活字にして本にして。そうやって収益が少し出たら海賊みたいに山分けすればいいんだよ! それこそが独立ってもんだ」 やれやれ、また夢みたいなことばかり言っている。

 

この話になると、夫は興奮してくる。そうやってパッと作った本を誰がどうやって流通させるのよとか、頭の中が「?」だらけになる。頭痛がしてきた。でも、なぜか夫の顔は晴々ともしている。なんかムカつくし、悔しい。

 

「君も結局、大学を卒業してから同じ会社に20年もいるじゃないか。もう辞めたっていいんだぜ、心からの衝動があればね」

 

この言葉を聞いて、一瞬詰まってしまった。私の中にどんな衝動があるんだろう。昔は世の中のためにもっと役立ちたいという熱い気持ちはあったし、夫とも夜飲みながらそんな話をした。でも、子育ても大変だし、私の両親も夫の両親も年を取ってきたし、日々の家事もあるし、そんな浮世離れしたこと考えている暇なんてないんだよ! と叫びたくなりつつも、なんとなく、心がざわついたのも確かだ。

 

独立してから夫は、突然ポートレート写真を狂ったように撮り始めた。「MCのときも、相手の一番良いコメントを引き出そうとしているし、ポートレートもその人の一番良い顔を引き出したい。構造としては同じだから面白くてさ」

 

ポートレートの練習だといって、福岡に行ったり京都に行ったり名古屋に行ったり、日本中を飛び回っている。で、それってお金になるわけ? 聞くと、それなりに撮影の依頼がポツポツと入り始めたらしい。中学生の息子も、夫が撮った写真を見て、「お、やるじゃん。俺のことも撮ってよ」と言い出す始末。ちょっと前までカメラを向けても「俺のこと撮るな」とか言ってたくせに。

 

私のもやもやの正体はいったいなんなのだろう。自分勝手な夫への怒り? それもあるけどそれだけじゃない。夫が先に自分の道をどんどん進んでしまうことへの苛立ち? それは近いけど、それだけでもない。将来への不安? もちろんそれはある。でも自分も働いているしなんとかなる。あ〜、私だけなのかな。こんなもやもやを抱えているの。わからなくなってくる。

 

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実はこの文章、夫である私が妻の視点で書いたものです。この文章を読んだあなたは、夫と妻のどちらに共感しましたか。もしよければ感想をお寄せください。

 

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