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あの人たち、本当は神様だったのかもしれない《週刊READING LIFE Vol.360「本当は“神様”だったのかも」》


 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:雨宮さよ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

困った。神様の話を書こうと思ったのに、神様が出てこない。

 

私は特定の宗教を信仰しているわけではない。だから神様について詳しいわけでもないし、神様がいるのかいないのかと、誰かと真剣に議論したこともない。

 

それでも人生を振り返ると、不思議なことがある。あの人がいなかったら、今の私はいなかったかもしれない。そう思う人が何人かいるのだ。たぶん誰の人生にも、そんな人が一人や二人いるのではないだろうか。

 

恩師かもしれない。上司かもしれない。友人かもしれない。あるいは、たまたま隣に座った人かもしれない。その人の名前を久しぶりに思い出したり、ふとした瞬間に当時の言葉がよみがえったりすることがある。

 

人生は前に進むだけではなく、ときどき振り返ることで見えてくるものもある。本人は忘れていても、こちらだけが覚えている言葉というものがある。

 

もちろん彼らに羽根が生えていたわけでもない。後光が差していたわけでもない。どこにでもいる普通の人たちだ。ただ、その人たちが何気なく言った一言によって、私の人生は大きく動いた。

 

一人目は大学時代の同級生だった。

就職活動がうまくいかず、私はかなり落ち込んでいた。何社受けても結果が出ない。周囲は少しずつ進路が決まり始めているのに、自分だけが取り残されているような気がしていた。

 

そんなある日、同級生が声をかけてくれた。

「就職課へ行ってみたら?」

 

今思えば、ごく普通の言葉だ。そのときの私は視野が狭くなっていたのだろう。自分で何とかしなければと思い込み、頼れるものを何ひとつ頼っていなかったのだ。

 

言われるまま就職課へ行った。そしてそこで紹介された求人に応募し、私は就職することができた。あの同級生は、たぶん自分の言葉を覚えていないだろう。でも私は覚えている。

 

一人で何でも頑張らなければと思っていた未熟な私をそっと後ろから膝カックンしてくれたあの瞬間を。

 

人生には、自分ではもう前へ進めないと思ったときに、少しだけ肩を押してくれる人がいる。

私にとって、あれが最初の神様だったのかもしれない。

 

振り返ってみると不思議だ。そのときはただのアドバイスだったように見える。むしろ拍子抜けするほど普通の言葉だ。けれど、後になって思う。その言葉がなければ、今の自分はいなかったかもしれない、と。

 

人は人生を変えるような言葉を、もっと劇的な形で受け取ると思いがちだ。映画の名セリフのように、忘れられない名場面とともにやって来るものだと思っている。

 

ところが実際は違う。就職課へ行ってみたら?そんな一言だったりする。人生を動かす言葉は、案外そのくらい普通なのかもしれない。

 

二人目は、起業前夜に会った女性の先輩起業家だ。

当時の私は、コミュニケーションスキルを教える講師として独立するつもりだった。五年後の目標も決めていた。そこへ向かうために何を学び、何を実践し、どんな形で事業を育てていくのかも考えていた。

 

私は一度決めるまでに時間がかかる。その代わり、決めた後はあまりぶれない。そのときも、自分の中ではすでに未来が決まっていた。なぜかというと、いま人間関係で悩んでいる人のほとんどが、コミュニケーションのコツを知らないからだと思ったのだ。

 

若者と高齢者、親と子、夫婦など、世代間だけでない何かが、円滑な関係構築を阻害している。なぜだろう。そういえば、コミュニケーションの取り方を学んだことがないことに気が付いた。

 

いじめ問題は決して子供たちだけのものじゃない、社会に出ても就職しても職場いじめという言葉があるくらいだから。圧倒的に何かが足りない……。それがスキルとしてのコミュニケーション術だと思ったのだ。

 

私は、いま、関係構築に悩んでいるひとすべてに向けて、こういうスキルを身につけたら生きやすくなりますよ、と伝えたかった。それにはコミュニケーションスキル講師が一番便利だったのだ。

 

A3の紙を横にして、5年間の目標をかいた。フロントのスキル紹介セミナーを年に50回、その先に進んでもらうセミナーは年に2回。もちろん集客案も考えていた。

 

5年後には書籍を出して、講演会に呼んでもらう。呼んでもらったら全国どこにでも行くつもりだった。そして10年後にはこの仕事一本で食べていけるようになるスケジュールを作っていたのだ。

 

そんなときだった。同居していた人から、一緒に起業してほしいと言われた。もともとはその人が始めようとしていた事業だった。現場には女性の視点が必要だと思ったらしい。社会的にも意味のある仕事なんだと言ってきた。話はとてもよく理解できた。

 

でも私は首を縦に振らなかった。正直に言えば、「何を言ってるの、この人は」と思った。頭の中にクエスチョンマークが三つくらい浮かんだのを覚えている。

 

講師業なら大きな設備投資もいらない。一人でも始められる。けれどその人が始めようとしていた事業は違った。設備もいる。場所も人もいる。責任も背負う。起業して十年続く会社はほんの一握りだと言われている。私は自分が考えてきた道を歩くつもりだった。だからなかなか返事ができなかった。

 

そうこうしているうちに登記の日だけが近づいてくる。何度も話し合った。その夏は特に暑く感じた。

 

そんなある日のこと。当時、私たちには共通の女性の先輩起業家がいた。二人とも何かあると相談していた人だ。懐が深くてきっぷがよくてそれでいてコツコツと積み上げている、私には理想の先輩だった。私が甘えられる数少ない相手だった。

 

その先輩がたまたま東京へ来ていると聞き、三人で会うことになった。待ち合わせたのは青山のスパイラルカフェ。キンキンに冷えた空調で一気に汗が引いていく。アイスコーヒーを飲みながら待っていると、先輩がやってきた。

 

相変わらず明るい笑顔だった。再会を喜び、一通り近況を話したあと、私たちは今抱えている話を聞いてもらった。先輩はほとんど口を挟まず、黙って聞いていた。

 

そして最後にこう言った。

「彼が起業して漢になろうってときに、求められて、一番近くにいるあなたが一緒にやらなかったらどうするの」

 

私は何も言い返せなかった。それは損得の話ではなかった。リスクの話でもなかった。もっと根っこの部分の話だった。

 

私は昔から、家族や近しい人を応援することを大事にしてきた。起業してからは社員やスタッフが元気に働けるのは、仕事に対する「家族の理解と応援」がなければ成立しないと、骨身にしみている。

 

だからこそ、その言葉が真っすぐ刺さった。理屈で考えれば断る理由はいくらでもあった。

でも、その一言の前では全部が色あせてしまった。

 

私は社長を引き受けた。それから十年が過ぎた。順風満帆だったわけではない。むしろ想像もしなかったトラブルやハプニングの連続だった。この10年で社会も変わった。災害やコロナ禍を経て、価値観も大きく変わった。人との別れもあった。思い通りにならないこともたくさんあった。それでも私は今ここにいる。

 

あの日、スパイラルカフェであの言葉を聞かなければ、まったく違う人生を歩いていたと思う。そう考えるたびに思う。あのときのあの瞬間の先輩は、本当は神様だったのかもしれない。

 

人生には分岐点というものがある。右へ行くか、左へ行くか。そのときは重大な決断をしているつもりでも、振り返ると決め手になったのは理論や計画ではなく、誰かの一言だったりする。

 

私はA3の紙に未来を書き込み、10年先まで見据えていた。それでも最後に私を動かしたのは、一人の先輩が口にした短い言葉だった。

 

人は合理的に生きているようでいて、本当に大切な場面では理屈以外の何かで決断しているのかもしれない。

 

三人目は、キリマンジャロ登山のときに出会ったグループリーダーだ。

2018年、私はアフリカ最高峰のキリマンジャロに挑戦した。高度順応をしながら七日間かけて頂上を目指す。

 

それまで海外トレッキングの経験はおろか、国内で登山もしていなかった私。標高の高さの身体への影響は想像をはるかにこえた過酷な体験だった。

 

標高が上がるにつれて呼吸は苦しくなる。少し歩くだけで息が切れる。頭も重い。常に酸素不足で思うように身体が動かない。高山ではあたりまえの症状だということも、本当にショックだった。

 

上で思ったのが、下山したら、当たり前に呼吸が楽にできることに感謝しながら生きていこう、だった。人間は酸素が足りなくなるだけでこんなに弱くなるのか。健康は失って初めて価値が分かるというけれど、本当にその通りだと思った。

 

とにかく、朝起きても息苦しい。夜中に目覚めて酸素飽和度を測ると76%とかでる。ちなみに平地では95〜100%が正常値らしい。76%という数字を見たときは、「本当に大丈夫なのか」と少し怖くなった。

 

テントから出るのに、靴紐を結ぶだけで息が上がるし喉が渇く。酸素不足のため指先がずっとチリチリしている。その指で靴紐を結ぶのは面倒くさかった。

 

膀胱はパンパンなのに早く歩けないからトイレに行くだけで時間がかかる。テントには非常用の大きなタッパーを用意していた。何度かお世話になった。恥ずかしいとか言ってる場合ではなかった。

 

そして頂上アタック前夜。標高4500メートルを超えた山小屋で夕食をとっていたときだった。グループリーダーが静かに話し始めた。

「我々ひとりひとりにそれぞれの頂上がある」

「もちろん頂上にタッチできたらそれはそれで素晴らしいことだ」

「しかし皆には、自分しか経験できない頂上への過程と向き合ってほしい」

 

その言葉が不思議なくらい心に残った。なぜあんなに残ったのかは分からない。今でも鮮明に覚えている。

 

高山で六日間も過ごせば、脳も酸素不足になれてくるのか、頭に霧がかかった状態でも日常の行動は問題なくできるようになる。その代わり、日に日に食欲は落ちていく。私の場合、固形物が喉を通りにくくなっていった。

 

夜もたびたび目がさめる。文字通り星が降ってくるような夜空の美しさったら凄かった。そして、頂上が見えて来た。怖いような、本当に自分が登れるのかという恐怖があった。それを吹き飛ばしてくれた言葉だった。

 

それまでの私は、どちらかといえば結果を見るほうだった。頂上に立てたか。成功したか。達成できたか。もちろん今でも結果は大事だと思う。ただ、あの日を境に少し考え方が変わった。

 

山の価値は頂上だけにあるわけではない。苦しい時間もある。歩きながら見た絶景もある。仲間やポーターさん達との会話もある。途中で立ち止まって飲んだ水の美味しさもある。そのなかを一歩一歩、進んでいる。そういう全部を含めて、その山なのだと思うようになった。

 

振り返ると、その後の私の登山スタイルはあの言葉によって決まった気がする。

 

私は今でも山を歩いている。速くはない。力強くもない。それでも歩き続けられているのは、たぶん頂上だけを目指しているわけではないからだ。その過程そのものに意味があると知ったからだと思う。

 

あのリーダーは、きっと私のことなど覚えていないだろう。でも私は今でもあの言葉を覚えている。今思うと、この言葉は登山だけの話ではなかった。仕事もそうだ。人間関係もそうだ。

 

私たちは結果ばかり見てしまう。成功したか。評価されたか。達成できたか。もちろん結果は大事だ。でも、結果だけで人生を測ろうとすると、その途中で出会った人や経験の価値を見落としてしまう。

 

私がキリマンジャロで得たものは、頂上の景色だけではなかった。苦しさも、不安も、仲間との時間も含めて、全部があの日のキリマンジャロだった。そしてたぶん人生も同じなのだと思う。

 

ここまで書いてきて、不思議なことがある。それは人生を変えた人ほど、自分が誰かの人生を変えたことに気づいていないのかもしれない、ということだ。

 

就職課へ行ってみたらと言った同級生。スパイラルカフェで背中を押してくれた先輩。キリマンジャロで言葉をくれたリーダー。誰も長い説教をしたわけではない。たった一言だった。でも、その一言が人生を動かした。

 

神様が本当にいるのかどうか、私には分からない。ただ、人生にはときどき不思議な人が現れる。そのときは気づかない。何年も経ってから振り返って、ようやく分かる。ああ、あの人がいたから今の私があるのかもしれない、と。

 

人生を変える出会いというと、私たちはつい特別な人物を想像する。テレビに出るような有名人かもしれない。尊敬する先生かもしれない。けれど、私の場合は違った。

 

同級生だったり、先輩だったり、登山のリーダーだったりした。しかも本人たちは、きっと私の人生を変えたなんて思っていない。だからこそ不思議なのだ。

 

私はときどき思う。

あの人たちは、本当は神様だったのかもしれない。≪おわり≫

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