本当は“神様”だったのかも《週刊READING LIFE Vol.360「本当は“神様”だったのかも」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:歩楽三(2026年5月開講 新・ライターズ倶楽部)
これは、いろいろな意味で怖い話なので、一部妻へは伝えていない。
ある出来事が僕たちの人生の選択に少なからず影響を与えたのだ。
ところどころ記憶が定かではないが、大筋はこんな話だ——。
あれはもう30年ほど昔のことになる。
妻がまだ「彼女」だった頃の話だ。
若かった(まだラブラブだった)二人は、毎週末どこかしらへデートに出掛けていた。
付き合いの期間も結構長かったので、「結婚」をそれなりに意識はしていたが、具体的にそれについて話し合っていたわけではなかったし、僕もぼんやりとまだ自由な時間を楽しみたいと思っていた。
そんなあるとき、吉祥寺へ映画を観に行った。
肝心の映画の内容は、今となってはまったく思い出せない。誰が出ていたのか、どんな筋だったのか、面白かったのか、つまらなかったのかさえ曖昧だ。
いずれにしても、映画を観終わると、その日は夕方早い時間でフリーになってしまった。
その時間帯だと、夏の西陽がアスファルトに反射し、むっとする湿気もまだ襲ってくる。
あまり長くは外にいたくなかった。
夕食には少し早いが、どこかお店に入ろうということで、道すがら居酒屋を探すことにした。当時はスマホもネット検索も無かったので、口コミを参考にするか、事前にガイドブックで調べるか、出たとこ勝負でうろうろするか……。消去法でうろうろするほかなかった。
吉祥寺なのだが、夕方5時少し前だったこともあり、周囲には開いているお店も無く、しばらく裏道なども彷徨った。次第に彼女が当てのない店探しで不機嫌になりかかったところ、なんとか開いてそうな店——1軒の沖縄料理屋を見つけたのだった。
そこは、いつもならスルーしてしまうような店構えだったが、背に腹はかえられず、ちょっとのぞいてみることにした。すると、「まだ準備中なのですぐにはちゃんとしたものは出せないけれど、それでも良ければどうぞ」と言うので、お言葉に甘えて入店することにした。
そそくさとカウンターに座らせてもらい、ようやく落ち着き「ホッ」とする。
とりあえずビールをお願いして、彼女と二人「お店に入れて良かったね」と顔を見合わせて乾杯した。
ビールを飲みつつ改めてお店を観察してみると、夏だったので日が落ちるのは遅く外はまだ明るかったが、店内はひんやりと薄暗かった。店の中だけがもう一段深い夕暮れに沈んでいるように感じた。有線放送の音楽も冷蔵庫のうなるような音も無く、お店は静かだった。
お店の作りはというと、庶民的な田舎風居酒屋というしつらえだ。
沖縄料理と言うだけあって、カウンターの目の前の棚には、何年ものなのかは分からないが、泡盛の古酒と思われる甕がいくつも並んでいた。
しばらくすると、先ほど応対してくれた店主がカウンターの内側に入り、お通しの海ぶどうを出したり、ゴーヤチャンプルーなど注文された料理を作りながら、僕たち二人の話に加わった。どうやら一人でお店をやっているようだ。風貌からすると50〜60歳くらいで、話をすると楽しく気さくな感じだったが、何か不思議な雰囲気に包まれていた。
その不思議な雰囲気とは——店主が「マスター」なのか「ママ」なのかはっきりしなかったのだ。ちょっとオネエ言葉なのだが、声が低くて男性のようにも年配の女性のようにも聞こえた。着ている服もなんとなく中性的だった。
当たり障りのない世間話がひとしきり落ち着くと、不意に店主は「実は、私見えるんです」と語り始めた。
つまりは霊能者みたいなもので、相手のことがいろいろとわかるとのこと。
「へえー」と僕は面白がって、僕たちのことがどんな風にわかるのか聞いてみた。
まず店主は、僕たちの星座と、二人の出身地を当ててみせた。これくらいなら、勘の良い人なら行動や喋り方、アクセサリーなどを観察して、ある程度当てることはできるだろう、と僕は内心高をくくっていた。
ところが、そのほかにも誰にも話していないようなことまで言い当てられたのだった。さすがにここには書けないが、当時の僕たちの間でしか共有していなかった出来事や、彼女の家の事情に近いことまで口にされた。さすがに笑いが少し引っ込んだ。観察では届かないところをのぞかれている気がした。
次第に不思議さが高まってきたところで、店主は田舎にある彼女の父方の菩提寺の名前を口にした。彼女自身、その寺の名前をよく覚えていなかったというのに。「ご先祖様がお墓参りして欲しいと言っているみたい」「早いうちに今度行ってみたら」と店主は勧めた。
そんなことを言われ、彼女がちょっと引いていたのが感じられた。
そして、ふと彼女がトイレに立った時、その短い数十秒の間に、店主はすっと僕の方に顔を寄せ、「そろそろ結婚してあげた方がいいわよ」と耳打ちしてきた。確かに付き合って長かったものの、結婚というところまではまだ気持ちが固まってはいなかった……。誰にも、彼女にすら言っていない、自分でもまだ言葉にしていなかった迷い——そんな心をいきなり見透かされた気分だった。この店主には一体僕たちの何が見えているんだろう、と思うと心臓を掴まれたようでゾッとした。
薄ら怖くなり、そろそろ帰ろうかと会計をし始めると、席に戻った彼女がしばらく休みたいと言い出した。少し具合が悪くて歩けないとのことだった。
店主は「休んでいて大丈夫。気にしないで」とやさしく彼女を座らせた。
そして、「待っている間に秘蔵の泡盛があるから試しに飲んでみる?」と僕に甕から掬った泡盛を勧めた。「これはかなり強くて腰が抜けるけど、30分もしたら嘘のようにスッと抜けるの」と言う。
心をのぞきこまれる怖さよりも、秘蔵と言われる酒への興味が勝り、僕はストレートで1杯飲んだ。何年ものかは忘れたが、甕から注がれた古酒は、喉を焼くような強さこそいかにも泡盛らしいものの、香りも味もまろやかで、どこか上品だった。
それまでに飲んだ泡盛の中では最高に美味かったが、確かに強い酒だった。あっという間に酔いが回り、カウンターで束の間うたた寝をしていたらしい。
気がつくと30分ほど経っていて、泥酔したのが嘘のようにさっぱりと酔いが醒めていた。その頃には彼女の方も体調が戻り、休ませてもらったお礼を言って二人で店を出た。
もう夜のお店が本格的に商売をしている時間になっていたが、その沖縄料理屋には僕たち以外にお客は入って来なかったようだった。
店を後にしながら、先ほどの不思議な体験を自分の中でどう消化したら良いのか、僕は少し戸惑っていた。
後日、彼女が父親に菩提寺の名前を確認すると、なんとあの店主が言い当てた通りだった。
そして「ご先祖様がお墓参りして欲しいと言っている」という言葉が妙に気になり、ある日の週末に僕たちはその菩提寺へ向かうことにした。
その日は元々雨予報ではあった——。
車で高速道路を走り、北西に向かう。
いつもの楽しいドライブではなく、二人とも何となく神妙な感じで会話も弾まない。
雨足は、目的地に近づけば近づくほど、激しさを増していった。
車は高速道路を降りて、田舎の山道を通り、ようやくお寺に到着する。
お墓の場所まではわからなかったので、詰所の扉を叩き、住職を呼んでどこにあるのかを尋ねた。激しい雨の中での参拝者に、さすがに住職もびっくりしたようだが、場所を調べて教えてくれた。親切にも、傘と長靴も貸してくれた。
そして僕たちは土砂降りの雨の中お墓を目指して歩いた。
目標のお墓に行くには少し傾斜のある小道を登るのだが、激しい雨がじゃばじゃばと泥水となって上から流れ落ちてくる。長靴を履いていても、その泥水に足がとられて危うく転びそうになる。
これは彼女のご先祖様が、嫌がっているのか、試練を与えようとしているのか……そんなことを考えてしまうようなひどい雨だった。
なんとか小道を上がってお墓を見つけ、二人で手を合わせる。
確か「幸せにします云々」と心の中で唱えていたと思う。
すると、お参りを済ませた頃から雨が小降りになりはじめ、車に戻った時には雨はすっかり上がり、虹まで出ていた。
これは、なんとか赦されたのだろうか——と少しホッとしながら、これまで来た道をまた車で戻る。今度は少し夕焼けがかった、雨上がりのきれいな空の下、帰り道は気持ちの良いドライブになった。
その後しばらくしてから、思い立って、再度吉祥寺のその店を訪れようとした。
たしかこのあたりだったはずなのに……どうしても見つからない。
道順は概ね覚えているつもりだった。映画館からどちらへ歩き、どのあたりで曲がったかも、少なくとも自分の中でははっきりしていた。ところが、そこにあるはずの店がない。似たような路地はあるのに、あの薄暗い入口だけが、まるで最初から存在しなかったように見つからない。
少し探索範囲を広げたところ、ほど近い場所に同じく沖縄料理のお店があった。しかし、のぞいてみると、とても明るい雰囲気で店主も全く別人だった。あの店を知っているかと思い、話を聞いてみても、そんな店は心当たりがない、と言う。
あの店、あの空間は何だったんだろうか……。あれは本当にただの店だったのか。
あのマスターなのかママなのかよく分からなかった店主は、一体何者だったんだろうか。
よくできた占い師だったのか。酒のせいで記憶がすり替わっただけなのか。あの薄暗いお店ごと、二人で見た長い夢だったのか。
それとも、本当は人ではない何かで、もしかすると“神様”だったのかもしれない——。
あるいはほかの何か……。
僕にはいまだにどれとも決められないでいる。
そして、時々思い出してみては、ぞくりとするのだ。
いずれにしても、「そろそろ結婚してあげた方がいいわよ」というあの一言が、その後の僕の選択に大きな影響を与えたことだけは間違いない——。
それが神様の言葉だったのか、ただの店主の勘だったのかは、今もわからないけれど。
——と、そんなことを言ったら妻にどんな顔をされるのか……。
「私への愛じゃなくて、あの怪しいマスターだかママだかの言葉が決め手だったの!?」と激怒されるに決まっている。
いや、激怒してくれるならまだしも、「あなたはそういう人よね……」と静かに軽蔑の眼差しを投げかけられるのではないか。
どっちにしても、怖くてとても言えたものではない。
《終わり》
□ライターズプロフィール
歩楽三(ぶらぞう)(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
2026年1月ライティング・ゼミに参加。5月よりライターズ倶楽部参加。
演歌の似合う北国育ち。東京都在住。
長らく勤めた会社を2024年に退職しフリーランスへ転身。
現在は、世田谷近辺の居酒屋をぶらぶら巡っている、遅咲きのゆるゆる漫画家。
割と節操なく、気ままに、エッセイ、SF、ペットものなどの漫画を描いたり文章を書いたりしています。
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