間違えて女性専用車両に乗ってしまい、自ら無限インスタ地獄を作り出した話
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:よもぎもちもち(ライティングゼミ 2026年5月コース)
※この記事はフィクションです。
記事:國分厚彦 (ライティング・ゼミ、2026年5月開講・渋谷、4ヶ月コース)
7月某日の金曜日、名古屋市営地下鉄東山線、高畑行きの電車に駆け込み、周りの乗客の顔を見た時、「俺の人生は終わった」と悟った。
その日、名古屋の大須での用事を済ませ、名古屋駅近くのホテルへ向かうため、Googleマップの導くままに23時30分ごろに上前津駅から鶴舞線に乗り込み、伏見駅で東山線に乗り換えることになった。
東京在住の私には、名古屋の地下鉄に乗る機会は今までにほとんどなく、名古屋の土地勘もあまりない。また、深夜の電車は一本の乗り遅れが致命的になることもあり得る。さらに、チェックインの時間も差し迫っている。急いで東山線のホームまで駆け込み、今にも発車しようとしていた地下鉄の、目の前のドアに飛び込んだ。
「ふう、なんとか間に合った」
ドアが閉まり、そう安堵するのも束の間、私は、何か車内の雰囲気がおかしいことに気がついた。
なぜか、他の乗客の頭の位置がみな低い。身動きするほどの余裕もない満員電車の中に、172センチの私より目線の高い乗客がほとんどいない。おかしいと思った私は、他の乗客の顔を見てみると、皆女性ばかりである。
「まさか、女性専用車両に乗ってしまったのか?」
困惑した私は車内ドアの方を向いた。そこには、『女性専用車両』とデカデカと書かれたステッカーが貼ってあった。
「やっちまった……でも、東京だったら女性専用車両の時間帯は平日のラッシュ時間に限られているし、大丈夫だよな?」
そう自分に言い聞かせ、もう一度ドアのステッカーの内容を読む。しかし、残酷にもステッカーには『平日の始発から終電まで』と青い網掛け付きで強調されていた。アウトである。この時「女性専用車両に堂々と乗る男」が誕生してしまった。
衆目の中でなければ、私はムンクの『叫び』のような顔で「終わったああああ」と叫んでいたことであろう。SNSで時々見かける、悪意ある見出し付きの「女性専用車両に乗った男たち」の動画が私の脳裏をよぎった。事情などお構いなしに撮影され、「堂々と乗り込む迷惑男」として顔を晒される。考えるだけで、鳥肌がたった。
土地勘のない場所で、時間のプレッシャーの中乗り込んだわけであるから、弁明の余地はあるが、女性専用車両に乗ってしまったのは事実である。やってしまったことは取り返しがつかないので、状況を悪化させることなく、やり過ごすしかない。
ここで、「名古屋駅に到着するまで、他の乗客から『女性専用車両に汗まみれのメガネをかけた三十代の男が乗っている』という事実に気づかれないでやり過ごす」という緊急ミッションが発生した。
私は酒と焦燥感で正常に機能していない脳をフル回転させて、このミッションを切り抜けるべく、自問自答した。
「名古屋までの間、他の乗客から『女性専用車両に男が乗っている』と気づかれないためにはどうすればいい?」
「他の人から気づかれなければいいんだ。木を隠すなら森の中って言うだろ。要は、他の人と同じような振る舞いをして『擬態』すればいい」
「擬態? どうやって?」
「ほら、他の乗客たちを見てみろ。様子を見るに、みんなインスタで適当にいいねしたり、リールで動画見たり、YouTubeのショート動画とか見たりしてるだろ。あれを真似して、下向いてインスタ開けばいいんだよ」
「でも、俺インスタほとんど見てないけど。YouTubeも音漏れしたらアウトだぞ」
「うるせえ、いいから名古屋駅に着くまで下向いてインスタいじってろ」
私はスマホで、一度も投稿歴のないインスタを開き、ひとまずタイムラインをスクロールした。普段あまりインスタを見ず、フォローもちゃんとしていなかった弊害が出て、どれだけスクロールしても、似たような投稿ばかりである。「女性専用車両の中で、ひたすらじっとインスタを見続けなければいけない。さもなくば、他の乗客にバレて、大変なことになる」なんて、まるでB級ホラー映画みたいな状況である。我ながら、とんでもない状況に自分を追い込んでしまった。
同じ姿勢を続けることで、首が軋む。電車が揺れるたびに、他の乗客に体が触れないか神経が過敏になる。近くの乗客が少し頭を上げたり、スマホの手を止めるたびに、心臓が跳ねる心地がする。気づかれたら、アウトだ。
普段は煩わしいゲームの広告が、砂漠の中にあるオアシスのように、この時ばかりは最高に面白いコンテンツのように感じた。
伏見〜名古屋の間は1駅のみで、おおよそ3分で到着するはずだが、その3分が永遠に感じた。
永遠とも言えるほど長い間、緊張しながらインスタの広告を眺め続けていると、ようやく地下鉄の車窓に光が差し込んできて、「まもなく、名古屋」のアナウンスが聞こえた。ミッションコンプリート。私は、ようやく胸を撫で下ろした。「他の乗客に気づかれたら、下手したら社会的な死が待っている」と言う、生死を賭けるレベルの緊張の中、無限インスタ地獄に耐え抜き、女性専用車両の中をやり過ごすことができたのだ。
ドアが開き、他の乗客たちが、スマホを見ながら一斉に出ていく。彼女たちは、名古屋駅に到着してもなおスマホの画面に夢中で、そのままスマホを見ながら改札口へ向かうエスカレーターに乗って行った。「女性専用車両に乗っている汗臭い32歳のおっさん」に一瞥もくれることはなかった。
結局、テンパった私の被害妄想で、誰も私のことを気にも留めていなかった。私だけが勝手に女性専用車両をB級ホラー映画の舞台に変え、勝手に社会的な死を覚悟していたのである。
私は、せっかくだからインスタの広告にあったゲームをダウンロードしようと思ったが、電車から降りた瞬間急につまらなさそうに見えた。そもそも、インスタを見たところで女性専用車両の乗客に擬態できるわけがないだろ、とこの時初めて気がついた。そのままインスタを閉じ、ホテルに向かった。
《終わり》
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