ゼミ

不器用な人のための杖《週刊READING LIFE Vol.373「効率化の先にあるもの」》


 

 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

 

 

記事:仲西悠歌(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

1 給湯室の冷たい麦茶

「最近ってyoutubeでなんでも学べて便利だよね」

 同僚の女性がお弁当の蓋を外しながら、ふと思い出したように言った。流しの蛇口から出るお湯を自分のマグカップに注ぎながら、口角を少しだけ引き上げて、「そうだよね」と相槌を打った。

 その瞬間、自分の喉の奥がきゅっと冷たく縮むのがわかった。真夏に氷を入れ過ぎた麦茶を一気に飲み干したときみたいな、あの不自然な冷たさだ。

 同僚はちっとも悪くない。むしろ彼女は、仕事を終えた後に机に向かって、無料の動画を上手に使いこなしながら資格の勉強をしている「今どきの器用な人」として、私を素直に褒めてくれたのだ。ただの情報を倍速で聞き流し、要領よく最短ルートを走って合格をさらう。そんな軽やかな現代の枠の中に、私を優しく押し込んでくれただけのことだっった。

 けれど、その微笑みの裏側で、私の胃のあたりはずっしりと重たくなっていた。

 嘘つきだな、と思う。

 本当は、がっつりと課金している。毎月の手取りのお給料からすれば決して気軽とは言えない金額を銀行から振り込んで、資格の先生の門を叩き、何をどういう順番で頭に入れればいいのかを手取り足取り教わるコースにちゃんとお金を払っていた。

 どうしてそれを「いやいや、全然独学じゃ無理でお金を払っているよ」とからりと笑って言えないのだろう。

 理由は自分でもよくわかっていた。お金を払って近道を教えてもらわないと、人並みのスタートラインにスラ立てない自分の頭の出来の悪さを認めるのが、どうしても恥ずかしかったのだ。

 なんだかズルをしているみたいだった。

 自分でテキストを読み解いて合格していく人たちに対して、自分だけお金の力を使って、裏口からこっそりエレベーターに乗せてもらっているような、後ろ暗い罪悪感。要領の悪さをお金で買い取ってもらっているようなみっともなさが、胸の奥に小さなトゲみたいに刺さっていた。

 三十歳という節目が、もう目と鼻の先まで迫っていた。

 このまま不動産の事務の仕事をなんとなく続けて、気づいたら三十代になって、四十代になっていくのかなと思うと、足元からうすうすと冷たい風が吹き込んでくるような心細さがあった。

 何者かになりたい、なんて大した野心があるわけじゃない。ただ、自分で自分のことを「まあ、これぐらいなら悪くないんじゃない?」と、少しだけ胸を張って認めてあげられるような、確かな拠り所が欲しかった。そうして手を伸ばしたのが、宅建(宅地建物取引士)という国家資格だった。

 けれど、合格率が十五パーセントそこそこの試験は、私の想像をはるかに超えて高くて分厚い壁だった。

 事務員に転職したての最初の年は、それこそ世間の言う「効率」の波に乗ろうといた。無料の動画を眺め、本屋さんで一番売れているとポップがついていたテキストを買って、寝る前にパラパラとめくる。語呂合わせの歌を口ずさんで、なんとなくわかったような気になっていた。

 でも、秋の試験が終わって届いた結果は、あっけない不合格だった。

 あのときの帰り道に吹いていた秋風の冷たさは、今でもよく覚えている。

 私は運では受からない。小手先のテクニックや無料のつまみ食いでなんとかなるほど、器用でもなければ頭の回転が速いわけでもないのだ。

 その事実を嫌というほど思い知らされて、見栄をかなぐり捨てて先生に課金した。

 「これで私も、最短ルートというやつに乗れるはずだ」

 そう信じ込んでいた。

 

2 コピー機の脇

 お金を払って手に入れた「効率のいい近道」は、ちっとも甘くスマートなものじゃなかった。

 先生が教えてくれたのは、魔法の絨毯の乗り方なんかではなくて、「ここ理解できるように、ここを覚えて、サボると確実に落ちます」という逃げ場のない現実の案内図だった。どこをどう掘ればいいかは場所を教えてもらえるけれど、結局のところ、畑を耕すのは自分なんだ。

 最短ルートを教えてもらったからこそ、逆に言い訳ができなくなった。「もう後がない」という切迫感は、日に日に私の生活の隙間を塗りつぶしていった。

 まず、部屋の机の正面の白い壁に、太いサインペンで殴り書きし貼った。「宅建合格!今年合格!絶対合格!」視界の逃げ場を無くした。夜机に向かって問題を解きながら、眠気や不安で背中が丸くなってくると、その文字をじっと睨みつけて、見られないけれどもし誰かが窓から覗いたら、確実にちょっと頭の危ない人だと思われたに違いない。けれど、そんな体裁を気にしている余裕なんて、一ミリも残っていなかった。

 そのうち、紙は部屋の中だけにとどまらなくなった。会社のデスクの引き出しの奥や、仕事で一日に何度も往復する巨大な複合機の脇にどうしても覚えられない数字を書いた付箋を貼り付けた。通るたび数字を目に焼き付けた。三十五条書面の記載事項、定期借地権の事項。周りの席で同僚たちが「今日のお昼どこ行く?」と楽しそうにおしゃべりをしているすぐ隣で、私の頭の中だけは、冷徹な法律の数字でぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。

最短ルートをお金で買ったはずなのに、やっていることはちっとも効率的じゃなかった。生活の全部が勉強に乗っ取られて、寝ても覚めても法律の言葉を頭の中で反復する、みっともない毎日。要領よくスマートに合格していく人たちの姿からは、いちばん遠い場所に自分がいることだけは、痛いほどよく分かっていた。

3 スマホの明かり

最短ルートを走るようになって、ひとつだけ不思議なことがあった。先生のおかげで「今日何を勉強すればいいか」の迷いがなくなったぶん、作業が早く終わった夜などに、ふとぽっかりと奇妙な余白ができるのだ。そのすき間に入り込んできたのは、ひどく冷え冷えとした孤独だった。

部屋の明かりの下で、一人でテキストと向き合っていると、「私、本当に受かるんだろうか」という不安が足元からじわじわと這い上がってくる。その心細さに耐えかねて夜遅く、ベッドの中でスマホを開いてSNSを眺めるようになった。

画面の向こうには、私と同じように、夜中の二時や三時に机に向かっている「受験生」のアカウントが無数に散らばっていた。「今日も過去問が全然解けなくて泣いた」「模試の点数が悪すぎて、もう消えてしまいたい」見ず知らずの誰かのそんな短い呟きを目にするだけで、私の胸の奥に、少しだけ灯火を感じた。

勉強の効率だけを考えたら、スマホを見て他人の愚痴を眺めるなんて、ただの時間泥棒でしかない。けれど、その無駄な時間にすがりついた。同じ先生の講義を受けている仲間たちとネット上で繋がり、「ここはこういう意味ですよ」「その覚え方、すごく分かりやすいですね」と、ぎこちない助け合いを始めた。仕事でくたくたになって帰ってきた夜も、画面の向こうで誰かのアイコンが勉強中を示しているのを見るだけで、「よし、私もあと三十分だけ頑張ろう」とペンを握り直すことができた。

その人間関係があったからこそ、私は机の前で一人きりで窒息せずに済んだのだと思う。もしも誰の気配もしない、真っ白な最短ルートを一人だけで走り続けていたら、とっくに自分の吐き出す息の白さに凍えて、足を止めてしまっていたはずだ。摩擦熱で身体を温めながら、なんとか次の日も机に向かうことができていた。

4 古びた教科書と、高校受験の匂い

頭の中に、遠い昔の記憶がふっと蘇ってきた。高校受験を控えていた、中学三年生の冬の教室の匂いだ。冷たい窓ガラス。周りの友達がどんどん志望校の判定を上げていく中で、私だけが模試の偏差値の低さに青ざめていた、あの息苦しい日々の感触。振り返ってみれば、あのとき私の成績がようやく上を向き始めたのは、「気合を入れて頑張るぞ」と机を叩いたときではなかった。「私、教科書の最初の方に書いてある、この超基本的な計算が分かってないんだ」自分の頭の出来の悪さを泣きながら認めて、背伸びをするのをやめ、教科書の一ページ目からやり直した瞬間からだった。

宅建の勉強も、それとまったく同じだったのだ。語呂合わせで覚えたつもりになっていた権利関係の条文。少し問題文の聞き方を変えられただけで解けなくなっていたのは、結局のところ「なぜその法律が存在するのか」という当たり前の基礎を、自分の頭で現実に起こることで理解していなかったからだ。

何度も開いて背表紙が割れ、黒ずんだテキストを、もう一度机の上に広げ直した。破れかけた余白に、先生の言っていた言葉を鉛筆で書き殴っていく。できない自分を認めることは、少し痛い。自分が思っているよりもずっと不器用で、物覚えが悪くて、ちっとも賢くない人間なのだと受け入れる作業は、自分のプライドを紙やすりで少しずつ削り落としていくような鈍い痛みを伴う。それでも合格に向かっていることが心地よかった。

5 鏡の前のため息

十月の第三日曜日。試験会場の張り詰めた空気の中で、鉛筆が紙を擦る無数の音を聞きながら過ごした二時間は、長いような、あっという間のような、不思議な時間だった。手応えがあったのかどうかもよく分からないまま、長い季節は幕を閉じた。

十一月の終わりの合格発表の朝のことは、今でも昨日のことのように思い出せる。朝九時半、スマートフォンの画面に受験番号の一覧を表示させ、指先を震わせながらスクロールしていった。自分の番号を見つけた瞬間、私の口からこぼれたのは、歓喜の叫びでも、涙でもなかった。

「……よかったあ」

職場のトイレの鏡の前で、息が全部体の外へ抜けてしまうような、深いため息がひとつ出ただけだった。受かった。本当によかった。もうあの机の前の「絶対合格!」の紙を見なくていい。お風呂の中で、ぬるいお湯に浸かりながら壁に向かって独り言を唱えなくていい。会社のコピー機の脇で、同僚の目を盗むようにして付箋を覗き込まなくていいのだ。肩の奥にずっと入っていた重たい力みが、温かいお湯に溶けていくようにすうっと消えていった。残ったのは、誇らしさというよりも、ただただ深く、あたたかい安堵だった。

効率化の先には、いったい何があったのだろう。

世間がもてはやすような、「要領がよくてスマートな賢い私」なんてものは、どこにもいなかった。お金を払って最短ルートを買い、無駄を省いたはずの道のりの上で、私が実際にやっていたことといえば、壁に紙を貼り、お風呂でぶつぶつ呟き、ネットの向こうの知らない人に励ましてもらい、自分の頭の悪さに打ちのめされながら基礎を這いずり回るという、ちっとも格好のつかないことばかりだった。

でも、だからこそ思うのだ。効率化や最短ルートというものは、人間をスマートに見せるための魔法の道具なんかじゃない。足が遅くて、要領も悪くて、すぐに迷子になってしまう不器用な人間が、それでも途中で倒れずに前へ進むために、そっと手渡された一本の「木の杖」のようなものだったのだと。

杖があったからこそ、暗闇の中で迷わずに済んだ。最短の道標があったからこそ、余計な寄り道に体力を奪われることなく、自分の持っているなけなしのエネルギーを、全部その一歩を踏み出すことだけに注ぎ込むことができたのだ。 効率化を突き詰めた先に待っていたのは、無駄のない美しい世界なんかではなくて、無駄を削ぎ落とした結果として丸裸になった、どこまでも無我夢中に必死な、自分自身の温かい身体そのものだった。

「最近って、YouTubeで何でも学べるから便利だよね」

もし今、あの日の給湯室に戻って、もう一度同じ言葉をかけられたなら。きっと、あの冷たい麦茶を飲み干したような嘘の笑顔を浮かべたりはしない気がする。自分のマグカップを両手で包み込んで、立ち上る湯気を見つめながら、少しだけ笑ってこう答えるはずだ。

「ううん、私には全然無理だったよ。ちゃんとお金払って先生に教えてもらって、それでも泣きそうになりながら、やっとの思いで受かったの」

要領のいいふりをするための仮面は、もうどこにも要らない。不器用な自分が、あのぬるいお風呂やコピー機の脇で必死に息をつないだ日々の重みこそが、今のいちばん確かな背骨になっているのだから。

 

<<終わり>>

 

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