ゼミ

平凡な毎日《週刊READING LIFE Vol.373「効率化の先にあるもの」》


 

 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

 

 

記事:鐵谷知会子(ライティング・ゼミ福岡2026年8月8日開講通信受講中)

 

物心ついた時には、経をそらんじる事が出来た。我が家がお寺なのではなく、父の信じていた「霊能者」Mさんの教えがあり父は、自宅の神棚へと経を唱えていたからだ。36歳で事業を興し40歳を目前にした父は、いよいよ事業を拡大していこうと意気込んでいた。父が経を唱える我が家の神棚には種々雑多な置物それに蝋燭立てと線香立そして神棚の正面には紫の布が真ん中から対称形になるように飾りつけてある。しかし、肝心の神棚の真ん中に何があったのかは全く記憶がない。「霊能者」Mさんという人物は60代くらいの大柄な女性で目鼻口とすべてが大きく、その恰幅いい体形は遠くからでも目立っていたので私は忘れる事ができない。彼女と父がどのように出会ったのか、今では知る由もない。ただ事業を興していた父には何の後ろ盾もなかったから、事業の不安を払拭するべく「霊能者」Mさんのところへ通うになったのは間違いない。

 

 

父の会社が少し大きくなると、「霊能者」のMさんは月に一度、私達の自宅兼会社を訪ねてくるようになる。そして最初に敷地の四隅を塩とお酒で清め、我が家の神棚に30分程、読経する。それが終わると今度は敷地に建てた小さなお社にも30分程、読経。そこまでが毎回の約束事で、それが終わると私達家族は用意をしておいた寿司や酒をMさんに振舞う。Mさんは独り身だったから大勢での食事を楽しんでいるように見えた。1時間半程経つとMさんは父から安くはないお礼を貰いタクシーで帰っていくのである。不思議なことに会社の業績も右肩上がりとなり、ますます父はMさんという「霊能者」を信じることにのめり込んだ。そしていつの間にか父も「霊能力」を身につけたと聞いている。

 

 

私の視力は小学校3年生になると急に悪くなってきた。父は勿論Mさんに相談する。Mさんは「5代前の私の先祖が成仏出来ずに私の体にすがっているのが見える」と言い来月から毎月3日間を3年間、経を唱えにMさん宅へ通わなければ、私は失明すると予言した。小学校3年生の私に選択肢などある訳はない。私は両親と一緒にMさん宅へ通うことになった。

 Mさんの家に着くと風呂に入り少し温まった後、塩水で水ごりをする。その後、塩水で体が荒れないように真水を被る。そうして体を清めたら特注の白い着物に着替え、Mさん家の神棚の前に父、母、そして二人の後ろに私が正座をして読経を始める。読経が終われば同じように風呂に入り塩水と真水で水ごりをする。私達はその一連の振る舞いを「拝み」と呼んでいた。

白衣を着た私は、大きな父の数珠を手に、各宗の経本を継ぎ接ぎしたMさん特製の経本を開く。夜10時過ぎてからの「拝み」は小学3年生の子供にはさぞ辛い事だったろう。読経の間に猛烈に眠くなり、正座をしていた私の体は左に右に振り子の様に倒れる。その度に父は木魚を大きな音で叩きまくり「寝るなぁー!」と私を一喝する。

「拝み」が終わった後も、Mさんを囲んで父と母、Mさん宅へ通っているMさんの信者も加わり、大人達の話は盛り上がる。思えば、あの頃は戦後の貧しさから何とか抜け出そうと誰もが、もがいていたのかもしれない。Mさんの処へと通っていた皆がMさんの「霊能力」に自分の再起をかけていたのだろう。

帰り際、私は「拝み」の時に神棚に供えた湯呑1杯の水に指を少しだけ浸し、それを自分の目の周りに塗り、ご利益のある神様の名前を唱える。そうして、夜中12時過ぎたあたりにやっと私の体は解放され、父の運転する車に乗って帰路につくことができた。

 

 

 父はお酒を飲まない人だったから、その日の機嫌は仕事で嫌な事があったかどうかで決まる。彼が玄関をまたがないと機嫌はわからない。機嫌の悪い時の父は私たち親子に難癖をつけては物を壊したり怒鳴ったりする上、父によく似ている私をしょっちゅう叩たいた。時には椅子を投げつけられることもあり、父の機嫌が悪いと気の休まることがない。しかし仕事で良い事があった時の父は、私達に軽く冗談を言い、家族全員、楽しい気分でテーブルを囲む。子供だった私の心を何とか家族に繋いでいたのは、そんなささやかな日常である。

 

 

一か月に3日のMさん宅での私の「拝み」も3年目の満願を迎えようとしていた。私は睡眠不足から授業中に居眠りをするようになったし、当然ながら学校の成績は落ちていく。私の視力もどんどん悪くなり、黒板の字も一番前に座らなければみえなくなっていた。私の過ごしていた毎日と違い「拝み」など無関係な場所で過ごしていた弟は、元気で明るく学校の成績もいい。学級委員を務め学校の先生にも好かれていた。父も母も当然それが自慢である。私は益々居場所をなくしていった。

小学校5年生になると私の担任の先生が変わり、いつまでも私に眼鏡をつくってくれない両親に電話をかけ説得してくれた。初めて眼鏡を掛け黒板を見たときは黒板の字が一番前の席でなくても見えるようになり、とても嬉しかったのをはっきり覚えている。また何より私を気にかけてくれる大人がいたことの慰めは、今でも忘れられない。

 

 

私が小学校を卒業しても「拝み」のノルマは終わらなかった。父から家にあった神棚に経を唱えろと常に強要される。だが、もう父の事がはっきりと嫌いだったから、父の言うこと全てに反抗していた。挙句の果てには、いいように父に叩かれる。一度叩き始めると家族の誰も父を止める事は出来なかった。父は小さい頃の私を手で叩いていたが、私が大きくなってくると、いつの間にかそれが腰ベルトに代わる。腰ベルトを持ちながら仁王立ちになり、わめく父を見ながら、私は何をどうすれば希望を持てるのか全く分からなかった。

会社が大きくなるにつれ、父の激昂も酷くなる。常に叩かれ自尊心を傷つけられていた私も高校生となり、毎日死ぬ事ばかりを考えていた。どこにも居場所のない私には生きている理由がないからだ。だが、その私を自殺から遠ざけていたのは、父からの「自殺をすれば地獄に落ちる」という洗脳だから、皮肉な話である。

 

 

社会人になってからも私は、相変わらず「拝み」から逃れることができず、一体こんな事がいつまで続くのかと悩み続けていた。例えば父は、私が職場の上司におごってもらった事を聞きつけると、その上司の先祖が私にすがっていると必ず言う。私はそれに従い、ただひたすら「拝み」を続ける。毎日のように言われる先祖がすがっているという言葉は、私の体を本当に重くした。またその重さが、すがられていると言葉を証明していたかのように受け止める。ただの抑鬱状態だっただけなのに、それは本当にひどい悪循環だ。

 

 ある時、父の仕事上の知り合い、Iさんが選挙に出馬することになる。選挙に関して父が得た神からのお告げは、父が21日間のお百度参りをすれば、Iさんも必ず選挙に勝つという事だった。父はいつもにもまして熱心にお百度参りを続けたが、結局Iさんは選挙で負ける事になる。父はお告げが当たらなかった事をきっかけに倒れ部屋に引きこもり仕事さえ投げ出した。

 

確かに倒れる前の1年間、父の持つ霊力を信じた仕事関係の人々は、自分達の抱える問題の答えを父に求めにきていた。父は、お告げと引き換えに金銭を貰う事は、頑なに拒み、無償で彼らに神からのお告げを伝え続ける。お礼を貰わないというその姿勢が、すがる人々にますます父の「霊能力」が本物であるという気持ちを持たせた。しかし、その答えを出すために父は1時間半の「拝み」をしなければならず、心身ともに疲弊していたはずだから必然的に父は倒れたのだともいえる。

 

寝たきりとなり、何も出来なくなった父は、二言目には死にたいとそれだけを言い続けた。その時の私達は、まだ鬱という言葉さえ知らなかったが、父は重度の鬱状態だったのだろう。その父が今度は私と母親と自分の妹である叔母に1日に3回21日間の「拝み」をするように頼んできた。父は、そうすればこの苦しさから解放されると言う。嫌いだと思っていても目の前で弱っている父親の頼みを聞かない訳にはいかない。それに中堅の大きさになっていた会社の経営にもかかわる。私は勤めていた会社を「拝み」のためだけに辞め、寝ている父親を看ながら1日3回「拝み」を続けた。だが、重度の鬱病が薬も入院もなく寛解するはずもない。

今度は従業員の一人が岡山に「霊能者」の方がいる。という情報を私達に持ってきた。もはやこうなっては父が医学に頼ることはない。そして、父親はそれから1年半、岡山で母と静養することになる。

 

 

 

父が亡くなって20年近くがたつ。岡山から熊本に帰ってきた父は結局、仕事をしながら何度も鬱状態を繰り返すことになる。自分はあんなに読経したのに何故こんな目にあっているのかと悩みながら、失意のままに心臓麻痺で死んだ。母が朝になって発見したから同室にいなかったことをずっと悔やみ続けている。父が亡くなった時には可哀そうにも思ったし、人並みに悲しいとさえ思った。だが同時に父の呪縛からやっと解放されたという安堵感はどんな感情より大きかった。

 

 

 

今、私は、信仰はもとより信心など考えたこともない。あの鉛のような日々を二度と味わいたくはない。私にとって神様などとっくにいないのだ。父親から虐待されていた、あんなに苦しかった日々を神様も、誰も救ってはくれない。その上、洗脳状態だった私が自分自身を取り戻すのには哀しい思いをいくつも乗り越えなければならなかった。心療内科に通わなければならない現実もドラマで起こる奇跡のように変わることはない。

 

一体、父に本当に「霊感」があったのか、もとよりMさんに「霊能力」があったのか、今となっては何もわからない。ただ、それに振り回された私達家族の望みは、例えばサザエさん一家やちびまる子ちゃん一家の様に平凡ながらも穏やかな生活を送る事だった。だからなのかサザエさんやちびまる子ちゃんをきちんと見たことがない。私にとっては彼らの世界はリアルではない。ただ悲しみを感じるだけである。

 

私達は奇跡を願う。それは構わない。奇跡のような実話もたくさんある。ただその願いを簡単に「奇跡を起こして見せます」と噓を言うことで、お金で絡めとろうとする人間もいるのが現実の社会なのである。人間に身の丈以上の欲がある限り、その嘘をつき続ける人間達は、いなくならない。あなたのその足元にもその人たちの手があり、今にもあなたの足を捕まえ、奇跡というまやかしに引き摺り込もうとしている。それが、他人よりも多くの「霊能者」と名乗る人々に接することになってしまった私が言えることだ。

 

 

平凡な毎日という言葉を、あなたが身の回りで感じることがあるのなら、それはとても贅沢な人生なのである。

 

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