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いま、ここにいない人を想いながら ——荒れた庭で手を合わせる秋に


 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:川瀬健二(26 年 9 月ライティングゼミ withAI)

 

 

 

九月も下旬を迎え、お彼岸の季節が巡ってきた。

僕が暮らしているのは、お寺だ。だからこの季節になると、彼岸花が咲き、墓地を訪れる人の姿が増え、境内には線香の香りが漂う。僕にとってお彼岸は、暦の上の行事というより、暮らしの中にやってくる季節のひとつでもある。

 

けれど、今年はいつものようにはいかなかった。激しい台風が列島を襲い、僕の暮らす街に雨風が容赦なく吹き荒れた。夜が明けて境内へ出ると、折れた枝や落ち葉があちこちに散乱し、雨で流れた泥が吹き溜まっていた。植木鉢も倒れている。ほうきを持って落ち葉を集め、枝を拾い、泥を水で流す。片づけても、片づけても、なかなか終わらない。目の前の暮らしを「いつもの形」に戻そうと手を動かしているだけで、一日が暮れていった。お彼岸だというのに、線香をあげてゆっくり手を合わせる余裕さえなかった。

 

「今年は、ちゃんとお迎えできなかったな」

 

泥で汚れた袖を見ながら、少し申し訳ない気持ちになった。そのときだった。散らばった小枝を拾おうとして、ふと手が止まった。昔の人たちも、こうしていたんじゃないだろうか。僕たちの前には、名前も知らない無数の人たちがいる。この同じ土地で雨に打たれ、風に吹かれ、地震や洪水に遭い、思い通りにならない自然と付き合いながら生きてきた人たちだ。

 

台風が去った朝。壊れた屋根を見上げ、倒れた木を起こし、泥を掻き出す。途方に暮れながらも、ほうきを握る。今日食べるものを用意する。濡れたものを乾かす。そして、また次の日を生きる。そんなことを、何十年、何百年、もっと長い時間、繰り返してきたのだろう。その無数の「今日」が途切れなかったから、今、僕たちがここにいる。そう考えた瞬間、手にしていたほうきの感触が、少しだけ変わった。

 

僕は一人でお寺の境内を片づけているのではないような気がした。名前も顔も知らない誰かが、かつて握っていたほうきの続きを、いま僕が握っている。泥を掻き出した手。家族のために食事を作った手。子どもの手を引いた手。誰かの額に触れた手。そして、祈るために合わせた手。そのずっと先に、いまの僕の手がある。

 

だとしたら。こうして荒れた境内を片づけ、暮らしを元へ戻そうとしていること自体が、ひとつのお彼岸なのかもしれない。そんなことを思った。お彼岸というと、お墓へ行き、花を供え、線香をあげ、手を合わせる。もちろん、そうした時間は大切だ。けれど、いま、ここにいない人を想うことは、それだけではないのだと思う。

 

「あの人なら、こんなとき何と言うだろう」

「きっと、まずは温かいお茶でも飲めと言うだろうな」

 

そんなふうに、日々の暮らしの途中で、ふと誰かを思い出す。姿はもう見えない。声も聞こえない。それでも不思議なことに、長く一緒にいた人ほど、その人なら何と言うかが分かることがある。亡くなってから何年も経っているのに、自分が迷ったとき、心の中ではまだ相談している。

 

嬉しいことがあれば、「これを見せたかったな」と思う。つらいことがあれば、「こんなとき、そばにいてくれたらな」と思う。人は、いなくなった瞬間に、僕たちとの関係までなくなるわけではない。姿をなくしてからも、関係は別の形で続いていく。僕は「弔う」という言葉だけでは収まりきらない何かが、そこにはあるように思う。

 

亡くなった人を過去へ送り出すだけではない。その人から受け取ったものと一緒に、こちら側の人生を生き続ける。口癖、考え方、笑い方、料理の味、仕事への向き合い方、誰かへの優しさ。ときには反発したことさえ、自分の中のどこかに残っている。

 

僕たちは思っている以上に、いま、ここにいない人たちを連れて生きている。だから、先人を想うというのは、遠い過去を振り返ることだけではないのだろう。自分の中に、いまも残っているものを確かめることでもある。そう思うと、線香をあげられなかったことへの申し訳なさが、少しだけ薄らいだ。

 

境内の掃除を終え、水道で泥だらけになった手を洗う。冷たい水が指の間を流れていく。タオルで手を拭き、薄暮の空を見上げる。そして、その場でそっと手を合わせた。

 

「おかげさまで、なんとか無事でやっています」

 

それだけだった。立派なお供え物もない。きちんとした所作でもない。それでも、その一言を口にすると、胸の奥にあったざわめきが少し静かになった。なぜだろう。「それでいい」と、誰かに言われたような気がした。考えてみれば、先人たちが僕たちに望んでいるのも、完璧な作法ではないのかもしれない。今日を生きること。転んだら起きること。荒れたら片づけること。お腹が空いたら食べること。誰かが困っていたら手を貸すこと。そして、次の日へ命をつないでいくこと。それこそ、彼ら自身がずっと繰り返してきたことだからだ。

 

彼岸と此岸という言葉がある。あちらと、こちら。遠く離れた二つの世界のように思える。けれど、その境目は、僕たちが思っているほど遠くないのかもしれない。いまはいない誰かを思い出した瞬間。「あの人なら」と心の中で問いかけた瞬間。あの頃教えてもらったやり方で、何かをしている瞬間。あちらとこちらは、ほんの少しだけ近づく。

 

風が止んだ境内から、虫の声が聞こえてくる。折れた枝の跡は、まだ残っている。境内も街も、台風が来る前とまったく同じには戻らない。それでも僕たちは、ほうきを握り、泥を流し、明日の暮らしを整えていく。きっと昔の人たちも、そうだった。そう考えると、今年のお彼岸は、何もできなかったわけではない。むしろ僕は、荒れた境内の真ん中で、いつもより近く、いま、ここにいない人たちを感じていたのかもしれない。

 

泥を拭った自分の手を見る。この手は、僕だけのものではない。いくつもの命が今日までつないできた、その先にある手だ。だから、もう一度だけ合わせてみる。

 

「おかげさまで、今日もなんとか生きています」

 

それが今年の僕なりの、お彼岸になった。

 

 

 

 

 

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