父、テレビっ子になる
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:藤尾ひびき(26 年 9 月ライティングゼミ withAI)
父は、仕事人間だった。
「ケータイ」が世の中に出たときには家族の中で真っ先に手に入れたくらい、友人との交流も多かった。
そんな父も、退職した頃から足の具合が悪くなり、徐々に自宅で過ごす時間が増えていった。
自宅で何をして過ごすのか。
父の場合は、テレビだった。
いつしかテレビは、父の一日の大半を占めるようになっていった。
しだいに父のケータイを鳴らすのは、わたしや兄くらいになっていった。
わたしは三人兄妹の末っ子だ。社会人になってから五年ほど実家で過ごし、結婚を機に家を出た。今では実家まで片道五時間ほど。気軽に帰れる距離ではない。
実家には兄が一緒に住んでいる。もう一人の兄は東京だ。
皆それぞれに家庭を築き、年に一度くらいは実家に集まったりもした。
帰省を重ねていくうちに、父の背丈は縮んでいった。
少しずつ増える「できないこと」が、父母の心に重くのしかかっていくようだった。
やがて母の一大決心によって、父も母も介護認定を受けることになる。
それが、始まりだった。
もともと母には、離れて暮らすわたしには心配をかけまいとするところがあった。
そのため、父がインフルエンザで倒れても、わたしには連絡が来ないことさえあったのだ。
しかし、実家にいた兄が結婚してからは、母との関係が少しずつ変わっていった。
母はおそらく、孫の世話をしながら、いろいろと思うところがあったのだろう。
「お母さんねえ、孫を産んだ覚えはないんだけど」
いつしか、その胸の内をわたしに漏らすようになった。
母とわたしは、離れて暮らしながらも、以前より話をするようになった。
ところが、つい先日のことだ。
父の右目がほとんど見えなくなっているという。原因は、目の奥にある腫瘍だった。
大きな病院で受診を終えると、手術でないと治せないことが分かった。
父は、手術することに決めたらしい。
そして、それをわたしに知らせたのは、母ではなく、兄だった。
――またしても、やられたか。
母は、こんなときでさえわたしに連絡を寄越さないのだと、痛感した。
父が倒れても、目が見えなくなっても、娘には決して教えてやらないのが、母だった。
それは同時に、その根っこにあるものを思えば、簡単に否定するわけにもいかなかった。
遠くにいる娘に知らせたところで、すぐに駆けつけられるわけではない。
心配だけを増やしてしまう。
だったら――知らせない方がいい。
娘のこちらにしてみれば、たまったものではない。
わたしはひとまず、自分の家族に相談した。
幸い、子どもたちはもう自分のことは自分でできる年頃だ。
夫は仕事が不規則だけれど、有事の際には協力してくれる。
おかげでわたしは、直行便が出ている夜行バスに飛び乗ることを決めたのだった。
出発は深夜だ。わたしはどうにか時間を作り、病気平癒で有名な神社にも立ち寄った。
お札とお守りをもらって、どうせならと大きな鈴の付いた龍神の絵馬まで買った。
絵馬にはもちろん、父のことを書いた。
誰にも読めないような空海和尚ほどの流れ字で、心の奥底でうごめく祈りを綴る。
――すべてがうまくいきますように。
祈りの欲は、どこまでも深かった。
夜行バスに乗るのは慣れている。
父が長距離ドライバーだったこともあり、わたし自身も昔から遠出が好きだった。
朝焼け雲の残る空の下、ようやく地元に戻ってきた。
父はすでに入院していたため、わたしは母と見舞いに訪れた。
「あっ、ええー?」
驚いた父の顔を思い出すと、今でも一人で笑ってしまう。
わたしを連れてきた母も、この時はなんだか嬉しそうだった。
病室で少し話をしながら、手術が二日後だと知る。
わたしは持ってきたお守りを差し出した。
「おおー、さんきゅ、さんきゅ」
そう言って、父は素直に受け取った。
父が手術を決めたのは、テレビを見るためだったという。
――楽しみがないのは、生きててつらい。
――手術で治るなら、安いもんだ。
父は、はっきりとそう口にした。
唯一の楽しみ、それがテレビだ。
おそらくこれまで、誰に聞かれても同じ答えを出してきたのだろう。
父の瞳は、まるで眩しそうで、それでいて、少年のように澄んでいた。
六時間にも及ぶ手術も無事終わり、二週間も経たないうちに父は退院した。
その日は、母からも連絡があった。
術後の経過は良好で、さっそくテレビを見ているらしい。
後日、父が庭木を切っていると言って、母から一本の電話が入る。
庭に出られるほど回復していたのかと嬉しく思う一方で、無理してないかと心配になった。
「お父さん、あんなにテレビにこだわるなんて」
「ほんとにね」
目を治したかったのは、庭木の手入れをするためなのかなと思っていた。
しかし、父の思惑は、もっと別のところにあったらしい。
「あんな、お父さんがテレビを見るようになったんはな――」
母の声のトーンが微かに上がっているようだった。
受話器越しに聞いていたわたしは、静かに耳を傾ける。
「お兄ちゃんやあんたが住んでる地域が、最近よく出てるからなんだよ」
母からそれを聞いた夜、わたしはそっと、風呂場で泣いた。
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