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人殺しと言われた研修医《週刊READING LIFE vol.378「会議で言えなかった一言」》


 

 

 

 

*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:五流内科医K(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

 

※個人のプライバシーや特定の危険性に配慮し、複数の要素を基に再構成しております。

 

 

先日、古くからの友人Tと飯に行く機会があった。

彼は大学病院で糖尿病内科をしており、比較的QOLの高い科であるにもかかわらず、日夜を問わず研究、臨床、当直とこなしていた。

 

Tがようやく専門医試験に合格したため、個人的なお祝いとして、彼が常日頃から行きたいと言っていたレストランに行くことになった。多忙なスケジュールの合間を縫っての勉強だったが、一切の弱音を吐かず、なんとか合格することができたようだった。

 

他愛もない近況報告をしながら、ふと、「いつまで大学病院を続けるのか」という話になった。

糖尿病内科は、比較的緊急疾患が少なく、QOLの高い科と言われている。その上、比較的リスクなく開業ができる。一方、大学病院の労働環境は非常に大変で、特にTに関しては大学院にまで通っており、毎日のように大学病院に寝泊まりしていた。大学病院の労働環境に辟易し、専門医試験を取って間もなく楽な労働環境を求めて医局を辞めた自分にとっては、いつまでも大学病院に居続ける彼が、不合理に見えて仕方がなかった。

 

「ねえT、いつまで大学病院続けるの? 教授を狙うわけでもないんだし、あんなところで働いてても辛いだけでしょうよ。開業した方がはるかに楽だろ」

俺は、酒が入った勢いでそんなことを軽く聞いた。

Tは困ったような顔をしたが、すぐに穏やかな表情をしながら、

 

「ああ、そうかもしれないね。でも、俺はあの日誓ったんだ」

「あの日?」

「そう。彼にまだ報いられていないから」

そう言って、彼は昔話を訥々と話し始めた。

 

 

Tは学生時代、かなり不真面目な人間で、いつも留年ギリギリで試験を突破していた。そのまま医学生時代の就職活動も自大学病院に就職し、2年目の夏頃に差し掛かっていた。

Tはもともと要領のいい人間だったので、それなりに大学病院の仕事もこなしていた。ローテート先の先生方がみんな「できるレジデント」とヨイショすることに有頂天になり、だんだんと自分の臨床能力を過信するようになっていった。

 

Tが2年目の時である。

ちょうど夏頃で、そろそろ後期研修医として、就職活動に本腰を入れ始めていた。

「自分の臨床能力なら、大学病院じゃないところに出ても通用するっしょ」

そんなことを思い始め、彼は研修そっちのけで日夜就活に励むようになっていた。

 

そんな折、Tの身に事件が発生した。

Tはその時糖尿病内科をローテートしていた。

学生時代やる気のなかったTは、内科、救急、小児科、産婦人科、外科の必修で回る必要がある科目以外は、臨床実習で「科の雰囲気がゆるそう」な科を中心に選んでいた。御多分に洩れず、彼の所属する大学病院の糖尿病内科はゆるい雰囲気で、珍しく定時で終われる科目だった。

 

糖尿病内科の研修が中頃に差し掛かったあたりである。

志望していた病院の面接なども控えていて、彼はあまりプライベートで休めていなかった。その中で、ちょうど彼が当直の日があった。そこの大学病院は、内科の持ち回りで全科当直をやるシステムだった。

 

「困ったらいつでも呼んでね」

そう言って、Tの指導医に当たる、後期研修医Kは当直用のピッチを渡した。K先生は、糖尿病内科の中でも特に緩い先生で、ある程度は自由に任せてくれるような先生だった。

 

当直が始まった。その日は輪番制の当番で、特に患者さんが殺到していた。

忙しさの中でバタバタしながら対応していたら、「急患がきた」と言うことだった。K先生は対応に追われて忙しそうだ。

問診票を見ると「40代の男性、主訴は嘔吐、腹痛など」の症状が書かれてあった。

話を聞くと、

「数日前に生ものを食べた。今日から嘔吐、腹痛がしていた」

との話だった。

診察したら、腹部全体に軽い痛みが出ていて、少なくとも虫垂炎を疑うような右下っ腹の痛みはなさそうだった。

「多分胃腸炎だろう。K先生は、まだ対応に追われていそうだ。本来なら研修医だけで返すのはルール上ダメだけど、来年には自分一人でやらなきゃいけないんだし。説明して帰そう」

そう考え、Tは胃腸炎と思われる旨、一応虫垂炎の可能性だけ説明して、整腸剤と痛み止めで帰宅とさせた。

念の為K先生の手が空いたところでその話をしたら、

「対応してくれたんだね、ありがとう。胃腸炎で良さそうだね。君はやっぱデキるね」

とのことで、Tは少し嬉しくなった。

 

 

しかし、翌日の午前5時ごろ、その患者さんは再来した。

曰く、下痢をしたとのことだった。

その日の当直は、病棟も救急も立て続けに来ていてあまり眠れず、疲労も眠気もピークになっていた。

Tは、寝不足の中、内心苛つきを抱えながら、「下痢したのなら、より胃腸炎らしいですね。お大事にしてください」と、腸炎の症状ということで帰宅とした。Tは、このこともK先生に上申しようと思ったが、眠気が勝り、そのまま当直室で寝てしまった。

 

 

翌日、Tは目が覚めて、カンファレンスルームにいくと、かなり不穏な雰囲気になっていた。

 

「お前、なんで俺を呼ばなかったんだ」

K先生が青ざめた顔でTに言った。カンファレンスルームのボードに映し出された電子カルテには、昨日対応した患者さんの名前が貼られていて、その内容を見て医局の先生方がざわついていた。

 

「まさか、あの人やばいことになった?」Tが思ったら、医局長のI先生が口を開いた。昭和カタギの熱血な指導医で、糖尿病内科の中で、一番怖い先生として、恐れられている先生だった。

「ねえ、T先生。昨日対応したこの人のこと知ってる?」

Tは、心臓が跳ねるような心地がした。

口が渇き、空気が漏れるような声しか発せない中、I先生はさらりと一言言った。

「あの人、死んだよ」

 

Tは、目の前が揺らぐ心地がした。

カルテが目の前でスクロールされるが、Tには文字列の内容がうまく頭に入らなかったようだ。

読めた内容を見る限りでは、

「帰宅して早々、卒倒し、救急要請となった。救急隊が到着した時点ですでに心肺停止状態で、そのまま重症患者対応として救急科に搬送されたが、蘇生することなく、そのまま永眠された」と言う。

 

I先生は、カルテをスクロールしながら、さらに付け加えた。

「……救急科の検査では高血糖あり、とある。HbA1cは正常値であることから、おそらく状況からは劇症型1型糖尿病からの、糖尿病性ケトアシドーシスだったのだろう」

 

I先生の鋭い視線が、TとK先生に注がれた。糖尿病性ケトアシドーシスは、糖尿病の中でも特に直接的に命に関わる疾患で、極端な高血糖に陥ることで体の中の代謝回路が狂い、酸性の「ケトン体」が作られてしまう。体が酸性に傾くことで、全身に非特異的な症状をきたす病気で、診断のためには血液検査をしないとわからない病気だ。

 

隣のK先生は青ざめた表情で、視線が泳いでいた。

 

「……K先生、この人診た? 研修医の先生が診察してたみたいだけど。まさか診ないで返したのか?」

I先生の声にドスが効き始めた。

「……すみません、忙しくて……」K先生は、なんとか声を絞り出したようだった。次の瞬間、カンファレンスルーム内に「ドン!!」と机を強く叩く音が響き渡り、

 

「なんで診てねえんだよ!!!! 舐めてんのか、てめえ!!!」

 

I先生の怒号がK先生に降り注いだ。

「研修医が糖尿病性ケトアシドーシス判断できるってか? 研修医の判断を鵜呑みにしたのか? あ? お前のせいで人が死んだんだよ!!! お前のせいで病院が潰れんだよ!!! 医者なんかやめろや、この人殺しが!!!!」

 

 

医局員全員が見ている中で怒鳴られたK先生は、虚な目で死にそうな顔をしていた。

Tは、「すみません、忙しそうで、自分の判断で帰しちゃいました……」と真実を言ってしまおうか、とも思ったが、あまりのI先生の迫力に気押されてしまった。

 

 

ひとしきりK先生を叱責したI先生は、次にTに詰め寄り、

「T先生、この患者さん、呼吸の様式はどうだった?」と再びドスの効いた声で問いかけた。

Tは、彼の様子を必死に思い出そうとしたが、当直明けの眠気と極度の緊張感で、思い出すことができなかった。

「……覚えていないです……」

蚊の鳴くような声で返事するのが精一杯だった。

「問診票には『口の渇きがある』って書いてあるけど。確認した?」

「……いえ、見落としてました……問診の内容から、決めつけていました。でも、昨日は大変で……」

 

言い訳を言いかけた瞬間、指導医がTの頬を強く殴りつけ、よろけた彼の胸倉を掴んで、鬼の形相で怒鳴りつけた。

 

「大変だったら、報告しなくてもいいのか? 当直が忙しかったら、適当に対応してもいいのか? 外来が混んでたら、適当に診察してもいいのか? 当直が忙しければ、鼻くそほじりながら適当に診察して、患者さん死んでもいいのか? あ? どうなんだ? なんか言ってみろや!!! ボンクラの人殺しが!!!」

 

Iの怒号がカンファレンスルームの中に響き渡った。

 

「研修医なんて仕事はない。医者している以上、言い訳は一切するな。『研修医で未熟だから』『当直が忙しかったから』という理由で、適当な診察して、後で大変な思いをするのは患者さんなんだよ。お前はこれから一生、『人殺し』の十字架を背負って生きていくということをゆめゆめ忘れるな。今後、『お前の適当な判断一つで目の前の患者が死ぬかもしれない』ということを、肝に銘じて仕事に当たれ。わかったな?」

 

そう言い残して、I先生は部屋のドアを不機嫌そうに強く閉めて、出ていった。

しばらく地獄のような空気が流れていたが、司会進行役の先生が音頭を取り、普段のカンファレンスが始まった。

Tは、カンファレンスの間、あまりの情けなさに、涙を流すしかなかった。

 

回診中、憔悴しきった様子のTに、K先生は肩を叩いて諭した。

「Tくん、ごめんな。俺もちゃんとフォローしてれば、きっとこんなことにはならなかった。糖尿病性ケトアシドーシスは見た目じゃ判断つきづらいけど、検査をするようにしておけばよかったね。それに、I先生も、昔誤診で医師免許を取り消されかねないような状態に陥ったことがあるらしい。I先生としても、『後輩たちには、二度と自分みたいな思いして欲しくない』って常日頃から言ってたし。今日はハラスメント委員会に報告されかねないようなありえないキレ方してたけど、あれも『彼なりの愛情』なんよね。実際、教育熱心だし、成果を上げた先生はちゃんと褒めてくれるし」

 

Tの心にしみた。その場では、鼻混じりの声で「ありがとうございます……」と返すのが精一杯だったが、Tの中では、「K先生みたいになりたい」と言う思いが芽生えた。

 

 

Tは、それ以降目の色を変えて仕事に向かうようになった。

朝早くから夜遅くまで勉強をし、特に当直には細心の注意を払って対応するようになった。

 

そのまま、Tは糖尿病内科に入局し、今も彼は大学病院で優秀な糖尿病内科医として働き、現在はI先生の右腕として働いている。

 

 

「……I先生のキレ方、今だったら完全にハラスメントじゃない?」

「いや、今となっては感謝しているよ。あの時、あれだけ怒られたから、今も手を抜かないで仕事をできているし、普段はとても優しい人だよ。実際、患者さんを帰す前にI先生やあの日の患者さんの顔が浮かんで、追加で検査したらギリギリのところで病気が見つかったこともあったし」

「なるほどな。でも、大学もそうだけど、当直自体過酷じゃない? 研究も臨床もあるのに、身がもたないよ。いつまで当直続けるの?」

彼は笑って「あの亡くなった彼に報いるまでは、当直をやり続けたい」と言った。

 

「医療者の足元には、たくさんの死者が転がっている。臨床をしている以上、全員を救えるわけじゃないし、こちらが未熟で患者さんを亡くすこともある。それでも医療者を名乗る以上は、言い訳や不平を漏らさずに真剣に臨床に向き合い続けなければいけないと思うんだ。それが、彼らへ自分ができるせめてもの償いだから」と。

 

「もうちょっと楽に稼げるはずなのに」なんて言おうと思ったが、俺は飲み込んだ。Tには、Tの信念があるのだ。

医療という終わりなき弔いに身を投じているTは、どこか充実した顔をしていた。

 

《終わり》

 

 

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