茨戸川だよ人生は《週刊READING LIFE vol.380「大河の如く」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
記事:五流内科医K(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「お前の描いた絵が、コンクール受賞したってよ」
小学四年生の初夏、教室に登校した時に、友人からそんな声をかけられた。
どう言うことかと思ったら、当時通っていた画塾のメンバーでスケッチした、近所にある『茨戸川』の風景を描いた水彩画が、市内の水彩画コンクールで佳作を取ったと言うのだ。先生に言われるがままにやっていた当時は気づいていなかったが、どうやら、コンクールの課題として風景画があったらしく、私の描いた絵も市内のコンクールに出したらしい。
正直、私としては複雑な思いだった。自分の中では、あまりよく描けた絵ではなかったからだ。スケッチは乱れに乱れ、水面の色はドブネズミのような色になっていた。水彩絵の具は線をはみ出した上に画用紙の表面はボロボロになり、画用紙本体は水のために歪みに歪んでいた。途中嫌になりながら描いていた絵だったし、画塾の先生からも、制作の途中であまり肯定的な意見はもらっていなかった。
教卓の上に無造作に晒された私の下手な絵について、同級生たちが口々に「よく見るとうめえな」なんて評論家みたいなコメントをしている様を、私は苦い目で見ていたことを思い出す。
ちょうどその日の時間割で、一時間目が社会の授業だった。
当時、社会学習の一環で、私の住む地域について学ぶカリキュラムがあった。
タイムリーなことに、ちょうど、北海道地域の治水についての授業だった。
なんでも、授業の内容としては、私が当時住んでいた札幌市の近くには、『石狩川』と言う北海道を代表する大河が流れていた。この石狩川と言うものが、かつては日本最長に近い長さを誇る川だったらしいが、あちこちで氾濫を起こしたりして、地域の住民に大変な迷惑をかけていたらしい。それを当時の偉い人たちがあちこちと工事をして、氾濫しないように人工水路を整え、氾濫しそうな河道は主流から切り離して、現在の形になったという。
教科書を読む限りでは、茨戸川もその「切り離された側」だったようだ。
私は、教科書を読みながら、なんとなく「『石狩川』って、可哀想なやつだなあ」と空想した。
「まるで、誰かの都合で人生を変えられ、勝手に敷かれたレールしか走れない、俺みたいだな」なんて。
私は、教育熱心な親のもとに生まれた。
地域で開業医をしている父と、看護師の母。その長男で、跡取りになる予定の私。
当然のように、周りから「親の仕事を継ぐもの」とみなされ、あまり精神的に自由になれなかった。特に勉強に関しては、毎日父親から厳しく仕込まれ、少しでも間違えると父親から平手打ちと共に、激しく叱責された。
何か意見を言おうにも反抗するのが怖くて、何も言えず、ただ言われたことをやるだけの人間になっていった。何よりもしんどかったのは、子どもの頃は「漫画家」とか「パイロット」とかになりたいと思っていたが、全て否定され、絶対に「医師」と答えるしか許されない環境だった。
おそらく、親からは「反抗しない良い子」だったかもしれないが、自分としてはどうしようもなく息苦しい環境で、一刻も早く親元から離れて、自由な人生を歩みたいと思っていた。
石狩川の治水というものも、地域の住民が幾度となく氾濫して「扱いづらかった」という思いの中で、治水が敢行され、氾濫しない川になった、とも読める。その様が、なんとなく当時の自分に重なったような気がしたのだ。
同じように、教育というものが、社会の規律や、教養、倫理と言う言葉を盾に、大人たちが管理しやすいように、子供を指導し、子どもの個性を潰し、「扱いやすい」人間に育てている、そんな風に感じていたのだ。
時は流れ、私は地元の「医学部進学率が高い」中高一貫の男子校を経て、実家から通える範囲で、地元の医学部に進学した。センター試験の点数が悪かったことにかこつけて、関東の私立医大を受けようと画策したが、あえなく失敗した。
中高時代の友人たちが一定数残っていたので、それなりに楽しい学生生活を送ることはできたが、その一方で、どうしようもなく、北海道から出たいという思いは残っていた。
就活では、ずっとマッチングで道外の病院ばかり見学に行ったが、うまくいかず、結局札幌市内の市中病院で2年間の初期研修を行った。
「このまま、俺はずっと北海道に残るのか。それだけは嫌だ」
その思いで、後期研修医の採用試験が始まるころ、何個か道外の病院を見学し、ご縁があった関東の大学病院に内定した。
やっと、道外に出られる。
苦しかった北海道の生活も、これで最後だ。
ここから、俺の人生が始まる。
内定が出た時、そんなことを思ったのが昨日のように感じられる。
「ここから自分の人生を歩み、関東で成功を掴み取ってみせる! 今までしんどかった分、ここから、成功の道を歩んでやるのだ!」
そんな希望を持ちながら、新千歳空港から片道の飛行機に乗り込んだ。
この時は、自分のこれからの人生は、石狩川を豪華客船で下っていくような、王道のような生き方になると思っていた。
しかし、それはとんだ思い違いだった。
就職先は、北関東のとある県で、周りに誰も知り合いがいない環境だった。
さらには新型コロナウイルスのパンデミックの時期とも重なり、人間関係が簡単に築けない状況、そこに大学病院の慣れない業務も重なり、私は病んだ。
3ヶ月の休職の後に復職したが、一度壊れた心はなかなかに戻らず、なんとかカリキュラムは完遂し、専門医までは取得できたが、そのまま逃げるように退職した。その後もうまくいかず、結局東京の地で根無し草になった。
結局、私は脇役だったのだ。
レールから切り離され、見窄らしい姿で孤立した「茨戸川」の方だった。
かつて画用紙の上にボロボロで不格好な姿で描かれた、「茨戸川」のような人生となっていた。
「ちくしょう、俺はまだやれるんだ!」
苛立って声を出そうとも、誰も見向きもしない。
暴れてみようとも、大した波も起こせず、誰も気にしない。
画用紙の上でボロボロに描かれようとも、誰も気にしない。
ただ、粛々と自分にできる仕事をやり、その日銭で生き続ける日々を送るだけになっている。
この先、医者として大成する道や、人生を打開する道は、正直見つけられていない。
しかし、それでも生きるしかないのだ。
茨戸川みたいに淀もうとも。決して氾濫しない、面白みのない人生でも。脇役と馬鹿にされようとも。あの日俺が描いた絵みたいに不格好でも。
脇役には、脇役のやり方があるのだ。
正直、たまに「あのまま北海道にいて、レールに敷かれた人生を送ることを厭っていなかったら」とか、「あの時、コロナが流行せず、ちゃんと大学病院の仕事に適応できていたら」なんて、自分が選ばなかった「Ifの世界」を恨めしく思うこともある。
それでも、この道を選んで、今こういう立場になってしまったことについては、後悔は一ミリもしていない。失敗して、泥水に塗れて淀むことも、歪むことも、ある意味では「色」であろう。
あの日描いた茨戸川の絵は、実は今手元にはない。
もしかしたら、北海道の実家のどこかに、まだ眠っているかもしれないが、行方は全くもって記憶にない。
あの時の私は、自分の描いた絵を不格好で、どうしようもない駄作だと思っていた。しかし、そんな絵でも、誰かが見て、佳作という評価を与えてくれたのだ。
それは、私自身の人生にも言えることなのかもしれない。
自分では失敗作だと思っている人生でも、誰かから見れば、案外悪くない人生に見えているのかもしれない。
何より、茨戸川は本流から切り離されても、今なお川であり続けている。石狩川とは別の場所で、別の景色を映しながら。
ならば、私も私なりの流れ方で、生きていけばいいのだ。
茨戸川が氾濫することはまずないかもしれないが、俺の人生はまだ波乱を起こす余地は残っているはずだ。それまでは、活路を見つけ出すためにもう少しあがきたい。
《終わり》
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