ゼミ

京都を、飲み切らない


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

記事:那須健史(ライティング・ゼミwith AI 9月開講4か月コース)

 

「よし、二本入れた」

 

京都へ行く朝、五百ミリリットルのペットボトルを二本、鞄に入れる。

一本にはミネラルウォーターが入っている。

もう一本は、家で洗っておいた空のボトル。

水汲み場では容器を洗えないので、出かける前に済ませておく。

新幹線で少し飲み、京都に着いてからも、町を歩きながら飲む。

京都御苑の東に隣接する梨木神社へ向かうころには、鞄の二本はどちらも空になっている。

 

帰りの水は、飲みきらない。

 

以前は、京都へ出かけるのは年に一、二度で、泊まりが多かった。

泊まったホテルでもらう水が、ちょうど五百ミリリットル。

中身を飲んだあと、そのボトルを梨木神社へ持っていった。

境内にある井戸の水を汲むためだ。

 

神社で汲みたてをひと口いただく。

残りは御所のあたりを歩きながら、少しずつ飲む。

一本なら荷物にもならないし、散歩の途中で水を買わずに済む。

具合がよかったのだが、東京に帰るころにはもう空だ。

せっかく京都で汲んだのに、もったいないなあ、と思った。

だったら、家からもう一本持ってくればいい。

そうするようになったのは、この一年ほどのことだ。

三本、四本と持ってくれば、もっと汲める。

ただし、空で軽いのは行きだけだ。

水を詰めたあとは、それを持って京都を歩くのも私である。

私には二本くらいがちょうどいい。

 

梨木神社には、十五年か二十年ほど前から、ときどき立ち寄っていた。

京都御苑を歩くのが好きなのだ。

どこまで歩こうかと迷うほど広く、森の中にいるように感じるところもある。

その東隣の梨木神社は小さい。

こちらは、歩き回るほどの広さもないのに、何時間でもいられそうな気がする。

ガイドブックや京都の観光案内で、この神社の井戸に「染井」という名があることを知った。

梨木神社の公式サイトによれば、京都三名水のうち、今も枯れずに残るのは染井だけだという。

 

平安時代、このあたりには藤原良房の邸「染殿第」があったとされる。

井戸の名はその邸にちなんだとも、宮中の染所でこの水を使ったことに由来するともいわれている。

今も保存会の有志が、毎月、井戸と境内を清掃している。

 

京都へ行くたびに梨木神社へ立ち寄るようになったのは、三年ほど前からだ。

今年はほぼ毎月京都へ出かけるようになり、日帰りも増えた。

ホテルでもらっていた一本は、自宅から持っていくミネラルウォーターに替わった。

 

十一月一日の日曜日も、日帰りで京都へ出かけた。

梨木神社の参道では、萩の花がほとんど終わっていた。

ところどころに、まだ少し咲いていた。

 

まず本殿に参拝する。

それから水汲み場へ行き、水のために百円を納めて一礼する。

鞄からボトルを取り出し、一本ずつ蛇口の下に持っていく。

地下から水を汲み上げるポンプの作動音がする。

透明な水が蛇口からボトルに注がれる。

 

汲みたてをひと口いただく。

「冷たい」

 

夏に来ても冬に来ても、最初に感じるのはこの冷たさだ。

匂いはほとんどない。口当たりはまろやかで、すっと飲める。

もうひと口飲んで、その分を蛇口から注ぎ足す。

二本ともいっぱいにすると、合わせて一リットル。

今度は、それを持って京都を歩く。

東京へ持って帰る分もあると思うと、京都でも遠慮なく飲める。

 

この日、東京の自宅に着いたときには、二本合わせて七百五十ミリリットルほど残っていた。

帰るなり、鞄からボトルを取り出してひと口飲んだ。まだ冷たかった。

ふと、梨木神社の参道が浮かんだ。萩が、まだ少し咲いていた。

 

翌朝は、その水でコーヒーを淹れた。普段使うのはミネラルウォーターだ。

今朝の一杯は、いつもより苦みや渋みが少なく感じられた。

 

残りの水は、そのまま飲むこともあれば、風呂にほんの少し入れてみる日もある。

こうして二、三日、京都の水を楽しんでいる。

日帰りの京都に、空のボトルを一本余計に持っていく。

増やしたのはそれだけだ。

 

京都御苑の散歩の途中、染井の水を汲んでみたくなったら、梨木神社の公式サイトに「お水汲みについて」という案内がある。

蛇口が開いているのは、午前六時から午後六時半ごろまで。

ポリタンク等の大きな容器の持ち込みはできない。

 

初めてなら、私のように二本もいらないだろう。

家で洗った小さなボトルを、散歩の鞄に一本。

手水舎でひと口味わったら、帰ってからのひと口も残しておいてはどうだろう。

 

私は次の京都にも、二本持っていく。

行きの水は、神社に着くまでに飲みきる。

帰りの水は、飲みきらない。

 

翌朝、東京でコーヒーを淹れるために。

 

 

《終わり》

 

 

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