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週刊READING LIFE Vol.29

ほんの数行に込められた事実=3年連用日記《週刊READING LIFE Vol.29「これがないと、生きていけない!『相棒アイテム』」》


記事:高林忠正(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

気がつくと28年目に入っていた。
今では自分の身体の一部のようになっている。
遠方にに行くときは持ち歩き、宿泊するときは枕元の必携アイテムとなっている。
いつの間にか、人生の相棒とも言うべき存在になっていた。
 
その相棒とは、『3年連用日記』である。
ただしはじめから相思相愛ではなかった。
 
もともと記録はマメにするほうだった。
理由は目的があったからだった。
高校、大学と陸上競技に打ち込んだ身として、練習日誌は、記録を上げるためになくてはならいものだった。
一部の天才(たとえば、男子100メートル競走で9秒台を目指している山縣亮太選手のようなタイプ)を除いて、競技者は練習日誌を書くべしと指導された。
まして凡人の私にとっては練習日誌なくして競技はあらずだった。
 
大学を卒業した私は百貨店に入社した。
研修期間中は当然のように日報を書かされた。
書いたといっても、面白みもなにもなかった。小学校1年のときの夏休みの宿題の絵日記のようだった。言葉は変えても書く内容はいつしか同じものになってた。
なぜか?
仕方なく書いていたからだった。
 
日報は苦痛以外のなにものでもなかった。
仕事が終わって帰宅すると、夕食後は睡魔に襲われたかと思うと、あっという間に翌朝だった。
会社に提出する日報は、毎日前日の分を昼休みに書いていた。
 
研修が終わって日報を書く必要もなくなった。しかし、日常生活のなかに埋没している自分がいることに気づいた。
「おれって、いったい何者なんだろう?」
社会人1年目が終わろうとしていた。先行きの不透明さだけが目の前を覆っていた。
 
ジンチョウゲが香り始めた3月、たまたま昼休みに配属された百貨店の店内を歩いてみた。
春は、ファッションだけではなかった。本来、季節商品ではない陶器や、絵画でさえ春の色調の品物で溢れていた。
 
たまたま前を通っただけだった。
5階フロアのステーショナリーコーナーは新入学、新社会人の品物であふれていた。
別に気に留めることもなかったが、ケースの片隅にあった紺色の品物に目が留まった。
 
近づいてみると、それは日記だった。4月開始の手帳、日記のなかにあった『3年連用日記』だった。
カバーの材質がビニール製は1,500円、そして牛革は3,000円と表示されていた。
何よりも、表紙が重厚な感じがした。
「試しに……」と思った私は安価はほうを選んで購入の裂に並んだ。
 
「威厳のある品物」
それが3年連用日記に対する私の第一印象だった。
 
私が入社した百貨店は、その数年前、株価が特定銘柄に推薦されるように小売業の雄の地位を盤石なものにしつつあった。
販売とともに、強みは品物を仕入れることにあった。
商品の調達をしながら、一方では新たなトレンドを生み出そうという熱意に満ちていた。
アパレル、食品をはじめ、百貨店で扱うものすべてにバイヤーが就いていた。
バイヤーたちは会社のなかでも選りすぐりの人材だった。
 
3年連用日記は、ステーショナリー関係のバイヤーが、リサーチにリサーチを重ねて作り上げた品物だった。社名の入ったプライベートブランドの商品だった。
日本橋の本店と日本全国14の支店、さらには、提携している地方の百貨店で販売されていた。
全国には、根強いファンが数多くいらっしゃった。
 
3年連用日記は、バイブルサイズだった。
ビニールの表紙も、牛革の表紙も中身の紙は一緒だった。
横書きで、1月1日から12月31日まで、366ページだった。
ページごとに3段、仕切りの線で3年分に分かれていた。
 
ビニール製と牛革製を比べてみた。
中身は同じでも、なぜかビニール製を選んだ。
1,400円だった。
社員である以上、買い物に特典はあった。
当時は申請をすれば、代金の1割が給与で戻される仕組みだった。
 
帰宅するなり早速その日あったことを書き始めた。
書き終わった私はそれで満足した。
しかし、なぜか3年目の12月まで何も書かないでいた。
3年連用日記を買ったものの、何も書かない自分。
三日坊主以前の問題だった。
 
新年の1月4日のことだった。昼休みに返信用の年賀状を買いにステーショナリーコーナーに行った。そこで再び、新年度の3年連用日記に出会った。
 
「日々新た」
年も改まったことだし、買うことに躊躇なかった。
前回と同じくビニール製のものを求めた。
ただし、3年経ったことから価格が1,600円に上っていた。
見た目は変わりはなくても、取り巻く環境は着実に変わっていた。
 
翌日から3日書いたものの、その年はそれだけだった。
翌年も気が向いたら書こうとするが、トータルで5日ほどだった。
3年目は、2日だけだった。
 
新しい3年連用日記を前にすると心機一転、購入するものの、いざ手元に置くと書かない自分に戻ってしまうのである。
余白だらけの日記だった。
書こうという気持ちにはなってはいなかった。
そばにあるだけの存在に過ぎなかった。
 
そんな調子で3年連用日記の4冊目の2年めに入った1月、父が胃癌の宣告を受けた。
実家の近くに住んでいたものの、急に身辺があわただしくなった。
手術は3月28日だった。胃の全摘出手術だった。
 
父の手術の前後から、急に母の体調が優れなくなった。
4月、父の退院と同時に母が入院することになった。
学生時代、バスケットボールと砲丸投げで鳴らした母だったが、その体躯は、見る影もなくやせ細った。
膵臓がんだった。すでに末期で余命半年の宣告を受けた。
手術はしたものの、患部を切除することはできなかった。
 
慈恵医大に入院していた母を見舞うのは私の役目となった。
当時、横浜に勤務していた私は、毎日、面会終了時間ギリギリに病室を訪れた。
ほんの5〜10分だけの会話だった。
 
そのとき、なぜか母の病状を記録しようと思った。
ただ、私の目に映った母の表情、耳で聞いた母の言葉、身体で感じた母の変化を書くだけのことだった。
病室での事実を書こうと心に決めた。
気がつくと3年連用日記に書き始めていた。自然発生的だった。
母の病室を出てから歩いて10分で新橋駅に着く。
新橋駅から山の手線に乗って、自宅のある大崎駅までの12分間にその日の母の事実を書いた。
 
自分の見たこと、聞いたこと、手で触るなり身体で感じたことだけを書いた。
母の残された日々の記録を書きながら思った。
書くということは、自分の感情を文字にして身体から離すものである。
 
書こうと思って書けなかった私が、母の今を書こうという気持ちになった。
 
母は、翌年1月15日に亡くなった。
成人式関連のビジネスで早朝からの勤務中のさなかだった。
間に合わなかった。
見舞いを始めてから、すき間時間に書いた記録だけが残された。
 
以来27年間、日記も9冊目に入った。私は書き続けている。
母の死後、サラリーマン時代は出勤前、頭がリセットされた状態のときに書いていた。
今では、就寝前に書いている。
変わらないことは、「すき間時間に書く」というものである。
 
百貨店のオリジナル版も、2種類あったものが、いつしか牛革のみとなり、10年前に廃版となった。
現在、私が使っているものは、能率手帳のNOLTYである。
1冊を3年続けて書くという習慣が時代に合っていないのか、マーケットを見回してもこの1種類しか見当たらない。
 
数行に込められた事実。
3年連用日記の2年目、3年目になると、「あのとき、こんなことがあったんだ」という気づきである。たまに10年以上前の記録を見たりする。
記憶が蘇るといよりも、書いた手が覚えている感じである。
あのとき、あの瞬間、あの場所で書いていたというシーンも目の前に下りてくる。
 
初めて出会ってから10年以上の余白があった。
私にとって「空(くう)」の期間は必要だった。
だからこそ続いているのかもしれない。
 
今日も、明日も、これからも書いていく。
人生のパートナーとともに歩んでいく。

 
 
 
 

❏ライタープロフィール
高林忠正(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
ベストメモリーコンシェルジュ。
慶應義塾大学商学部を卒業後、三越に入社。
販売、仕入をはじめ、24年間で14の職務を担当後、社内公募で
法人外商を志望。ノベルティ(おまけ)の企画提案営業により、
その後の4年間で3度の社内MVPを受賞。新入社員時代、
三百年の伝統に培われた「変わらざるもの=まごころの精神」と、
「変わるべきもの=時代の変化に合わせて自らを変革すること」が職業観の根幹となる。

一方で、10年間のブランクの後に店頭の販売に復帰した40代、
「人は言えないことが9割」という認識の下、お客様の観察に活路を見いだす。
現在は、三越の先人から引き継がれる原理原則を基に、接遇を含めた問題解決に当たっている。

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2019-04-22 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.29

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