これからのオタクの話をしよう

百合と薔薇の日々、時々男の娘〜多様化する性のコンテンツ〜《これからのオタクの話をしよう》


記事:黒崎良英(READING LIFE公認ライター)
 
 
アニメの1シーンがある。
電車の座席、二人の乙女が肩を寄せ合っている。微睡の中にあるのか、瞳は閉じられ、しかし口元には微笑みが浮かぶ。
 
今野緒雪原作のアニメ『マリア様がみてる』だ。通称「マリみて」
原作の小説は集英社のコバルト文庫から出ている。つまり10代の少女をメインターゲットとした作品である。
 
が、これがアニメになるや、食いついたのは男性陣であった。そしてここから「百合」という概念、そしてジャンルが広く浸透していたったのである。
 
と、いうわけで今回は多様化する性に関するコンテンツがテーマである。
そう、「百合」という言葉は、女性同士の恋愛模様に使われる言葉なのだ。
 
冒頭で出てきた『マリア様がみてる』は、伝統ある女子校が舞台の物語だ。
この学校では「姉妹(スール)」という制度があり、指導役となる上級生が下級生と姉妹となる約束をする。これは1対1で行われ、この約束をした二人は特別に親しい仲だという意味になる。
主人公である福沢祐巳と、姉妹の関係となった「お姉さま」小笠原祥子とを中心に、可憐な乙女たちの学園生活が繰り広げられる、というものだ。
メインの2人をはじめ、姉妹となった乙女たちの近接的な関係が、どうも男性のオタクたちの心をつかんだようだ。
 
「ご機嫌よう」「タイが曲がっていてよ」など、いくつかの名言も残し、また不可侵なる聖域の趣もある乙女の学園、という理想的なシチュエーションを見事に表現していることも関係あるのかもしれない。
 
意外にも80年代に百合作品は多く作られていたらしい。『ベルサイユの薔薇』や『おにいさまへ……』など、少女コミックの名作を思い浮かべてもらえれば、確かに納得がいく。
その流れを経て、1997年に放映された『少女革命ウテナ』は、百合作品確立のきっかけとなった作品であろう。
 
幼い自分を助けてくれた「王子様」に憧れる男装の少女、天上ウテナと、決闘勝者に世界を革命する力を授ける「薔薇の花嫁」姫宮アンシーを巡る物語である。バトルものでありながらアバンギャルドな演出、そして同性愛や近親愛までの要素を扱い、当時の少女たちに衝撃を与えた作品である。
 
そういった作品群を経て、「百合」という一ジャンルとして確立し、広めたという点で、『マリア様がみてる』は大きな意味を持つ特異点となった。
 
以来、百合作品として、数々のコンテンツが現れる。
日常ものとの融合を果たした『ゆるゆり』は大変好評を博し、『やがて君になる』はアニメ化に続き舞台化も決定、『コミック百合姫』など、百合に特化した雑誌も創刊されて行った。
 
少なからず性的な要素が加わったものものあるが、現在「百合作品」と言えば、清らかで純粋な乙女たちの精神的な結びつき、とでもいうような、ある種潔癖なまでに理想的な女性同士の物語、というものを表す傾向にあるようだ。
 
では男性同士の恋愛を描いた作品は何と言われるか。
タイトルに挙げたため「薔薇」と思う方もいらっしゃるだろうが、残念ながら違う。
確かにそれも候補ではあった。明確にならない期間を経て、今ではシンプルに“Boys Love”の略称である“BL”がよく使われている。
 
意外なことに、実はこちらのジャンルから「百合」という言葉は発生した。
男性同性愛者向け雑誌『薔薇族』の誌上で掲載された、女性読者の投稿を集めた「百合族の部屋」というコーナーが起源であるという。掲載が始まったのは1976年のことなので、なかなかの歴史を感じる。ちなみに現在『薔薇族』は「セクシュアリティについて考えるオピニオン誌」として刊行されている。
 
それはさておき、BLは比較的新しく、90年代の雑誌に発祥があるらしい。少年や青年同士の恋愛をテーマにした作品をいう。特に、女性が妄想する1ジャンルとしての認識が一般的である。『薔薇族』が男性同性愛者向けだったのに対し、こちらは単純に女性のオタク向けコンテンツだ。もっとも昨今ではBLを楽しむ男性も出てきて、BL好きな女性を「腐女子」というのに対し、「腐男子」「腐兄」などと呼ばれる。
 
ただ『薔薇族』に女性読者向けコーナーがあったことからも分かるように、ジャンルとしての萌芽は新しいものでもない。それに日本においては古代から男性同士の恋愛は特別なものではなかった。
 
昔ながらの呼称では「やおい」と言った言葉も使われる。こちらは70年代後期から存在する言葉であるようだ。「ヤマなし・オチなし・イミなし」の略語で、その名の通り同人界で自虐的に使われる用語だったらしい。801とも。
 
BLがオリジナルの作品に使われるのに対し、やおいは主に二次創作において使用される。
小島アジコのエッセイ漫画『となりの801ちゃん』がヒットしたことにより。世間にも“少し”この呼称が広まったかと思う。腐女子とその交際相手とのオタクな日々を綴ったエッセイ漫画であり、ドラマ化もされた。
 
「やおい」は二次創作によく使われるといったが、このジャンルを好む人々(特に女性)は、カップリングを行い、かつ重視する傾向にもある。
よく言われるのは「攻め」の反対の言葉は? と聞かれて「守り」と答えるのは一般回答、「受け」と答えるのがBL好きの回答、というものだ。
この「攻め」と「受け」の立場の違いだけで戦争が勃発しそうなほど、この世界は深いものがあるらしい。
 
意外なことに日本独自の文化でもあり、時代の流れとともに一ジャンルとして確立している。
 
女性同士、男性同士、のジャンルの他、もう一つ抑えておきたいのは、タイトルにもある「男の娘(こ)」である。
要は外見が「娘」と呼べるほどに可愛らしい男子のことを言う。
第2回で言及した「ショタ」にも通ずるものがあるが、こちらは男性のファンも多い。見た目だけでなく、要素や雰囲気的にも女子、でも男の子。そのギャップが重要となる。
ちなみに英語圏では「tap=罠」と呼ばれることがある。男子と分かっていてもついつい引っかかってしまうあたり、大変巧妙な罠と言える。
 
様々な作品の中で、訳あって女装をしている男子というものは多く出ていた。しかし、それを肯定的な一ジャンルとしたのは、現代の世相を知らずのうちに反映しているからかもしれない。
 
今、多様な性のあり方、すなわち「LGBT」への関心が高まってきている。
その中で、百合やBLといったジャンル、あるいは「男の娘」という要素は、LGBTへの関心を促す作品たりえるのだろうか。
 
答えは、残念ながら「否」である。
なぜなら、それらはオタクコンテンツとして、あまりにも完成されすぎているからである。
言い換えれば、それらが啓発作品となるには、オタクコンテンツはあまりにも「おもしろすぎる」。
 
仮に、私たちが百合作品、BL作品、あるいは多様な性のあり方を問うコンテンツに出会ったとして、しかし、私たちは真剣にそのことを考えられるだろうか?
 
これも残念ながら「否」である。性の多様化の問題に真正面から挑んだとしても、結果的に私たちが期待するのはそこではない。
 
「次は/最後はどうなるの?」
 
という純粋な期待である。
そう、私たちはコンテンツとして、作品として、純粋に作品のおもしろさを享受したいと思っているのである。
 
それは制作者側の意図に反するかもしれない。何かを感じ取ってもらいたい、考えてもらいたい、という意図に背くかもしれない。
 
だが、それはあくまで副産物である。
オタクコンテンツは、まずコンテンツの面白さありき、だ。前回の記事と通ずるものがあるが、コンテンツとして現れたとき、私たちオタクが見るのは背景にあるものではなく、コンテンツそのものである。
百合だろうがBLだろうが男の娘だろうが、面白ければそれで良い。
 
逆に言えば、私たちオタクは、性的マイノリティがどうのこうのと言った観点で、コンテンツの出来不出来を語らない。
一般の人が避けてしてしまいそうなことでも、それは単に一ジャンルである。その認識がある。
 
そしてオタクコンテンツが性的マイノリティの方々に貢献できるとしたら、その普段性を提示することかもしれない。
漫画やアニメの中では特別なことではなく、当たり前のように受け入れられる。
一ジャンルとしてあるのだから。
同様に、現実でも自然に受け入れることができる器を、自然と養っていく。それがオタクコンテンツの強みであり、可能性でもあるのだ。

 

 

 

志村貴子原作の『放浪息子』は、性のズレを正面から向き合って考えた作品である。「女の子になりたい男の子」である二鳥修一と、「男の子になりたい女の子」高槻よしの。その葛藤と成長の日々を描く。思春期を通して、二人は傷つきながらも自分の生き方を模索する。淡々とした筆致の中で、物語は私たちに何かを突きつける訳でもない。
私たちは二人を暖かく見守る。
この登場人物に、自分自身の何かを重ねても良い。
ある人は同じように性のズレに苦しむ自分や誰かを見出しても良い。
またある人は思春期の悩み多き子どもの姿を見ても良い。ご自身の子どもに重ねることもあるかと思う。
 
私の周りにも性のズレに悩む人はいる。思い切った決断をした人もいる。
側から見れば違和感は感じるのかもしれない。だが、そこに特別なものはない。その人はその人であり、他の何者でもない。それで十分だし当然である。
 
それを教えてくれるのは、多様な性の在り方が、そして生き方が散りばめられたオタクコンテンツである。
いや、教えてくれるというと語弊がある。それがそのものとして、当然のようにあること、一ジャンルとしてそれ以上でも以下でもなく、日常的な一部としてあること。
アニメをはじめとしたオタクコンテンツは、それを普通のこととして見せている。自然なこととして受け入れている。
 
オタクコンテンツが一般的コンテンツとして昇華されたように、そのマイノリティ性も、理解してくれる人が大多数になれば、マジョリティとして、何でもない普通のこととして、そこにあるがままに存在できる。
 
我々オタクは、率先してその一端を担う存在でありたいと思う。
 
 
 
 

今回のコンテンツ一覧
・『マリア様がみてる』(小説・アニメ・ドラマ/原作:今野緒雪)
・『ベルサイユの薔薇』(漫画・アニメ・演劇等/原作:池田理代子)
・『おにいさまへ……』(漫画・アニメ/原作:池田理代子)
・『少女革命ウテナ』(アニメ・小説・ゲーム等/原作:ビーパパス)
・『ゆるゆり』(漫画・アニメ/原作:なもり)
・『やがて君になる』(漫画・アニメ/原作:仲谷鳰)
・『コミック百合姫』(雑誌/一迅社)
・『薔薇族』(雑誌/創始者:伊藤文學 編集:セージ・サバイバー)
・『となりの801ちゃん』(漫画・ドラマ・アニメ/原作:小島アジコ)
・『放浪息子』(漫画・アニメ/原作:志村貴子)

 

❏ライタープロフィール
黒崎良英(READING LIFE編集部公認ライター)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。趣味は広く浅くで多岐にわたる。

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