インディアンネームを持つ81歳の現役ジュエリー作家〜51歳で弟子入りした先はナバホ族だった〜《WEB READING LIFE「パワフルシニアに学ぶ、人生100年時代の生き方」第3話》
2022/10/17/公開
記事:田盛稚佳子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
福岡県在住のインディアンジュエリー作家であるTammyさんこと猪口民枝(いのぐち たみえ)さんは、人生の荒波をスイスイと乗り越えるベテランサーファーのような方である。
ご主人と51歳で死別した半年後、あるテレビ番組をきっかけにインディアンジュエリーの技術をイチから学びたいという強い願望と共に単身渡米した。
渡米までの経緯については第2話で紹介したとおりである。
もしあの時、バイタリティーと決断力がなければ、インディアンジュエリーの師匠への弟子入りは実現しなかっただろうし、こうして80歳を超えた今でも福岡でジュエリー制作を続けることはなかったかもしれない。
(渡米先のニューメキシコ州アルバカーキにて)
今回は、その弟子入りした当時のことについて詳しく伺った。
実は一言に「インディアンジュエリー」と言っても、その種類はさまざまである。
いくつもある種族の中で特に有名なのがホピ族、ズニ族そしてナバホ族の三つである。これらは使っている素材やデザインがそれぞれ違う。
まずホピ族は、華やかというよりもシルバーに刻むシンプルなデザインが特徴である。他の種族よりも比較的小さい石を使う。石そのものよりもシルバーの彫刻を目立たせている。
次にズニ族は、カラフルで手の込んだ作品が多い。シルバーに切り込みを入れて繊細な模様を出し、石や貝殻を細かくして花びら状にするなど特殊な技法を持ち合わせている。
そしてナバホ族は、主にターコイズや赤いサンゴ、オニキスなどの石からインスピレーションを受け、まず石ありきでその石に合うデザインを考えてから制作する。
また他の二つの種族よりも使用する石は存在感がある大きさで、大胆でパッと目を引くのが特徴である。
民枝さんがナバホ族に弟子入りしようと決めたのは、石の存在感を最大限に活かして製作するからだった。
現地で切り出される石は自然界で一つとして同じものが存在しない。ゆえにデザイン画や作品の見本となるようなものがない。まさに正真正銘1点モノの作品なのである。
同じ種族内であっても、制作過程は記録としてではなく口述で伝承される。己の目で見て作ることを繰り返し、手だけではなく体全体に覚え込ませるのだ。
「その素材自体を活かす」イコール「石からのインスピレーションで生み出されたデザインが、その石の魅力をさらに引き立たせる」ことに、民枝さんはこの上ない魅力を感じた。
どの種族のジュエリーが自分の感性と合うかを見極めることができたのは、渡米して以来、寸分も時間を惜しまずに、自分の足と目をフルに使いまくって探し出した賜物と言えよう。
「もうとにかく、何がなんでもこの技術とジュエリーが醸し出す雰囲気を習得して帰ってやろう! って思ったね」
あっけらかんと民枝さんは笑う。
(ナバホ族のインディアンジュエリーの数々)
しかし、弟子入りした当初の民枝さんに師匠はきっぱりと言った。
「このジュエリーの雰囲気は、どんなに習ったとしてもあなたには出せないよ」
なぜ? 初めはその理由がまったくわからなかった。
しかし民枝さんは、師匠の手が空く週3日で3時間のみという限られた修業期間でその答えを手繰り寄せていくこととなる。
初めに驚いたのは、制作過程で使う道具の少なさだったという。
「ええっ!? この道具だけであれだけの作品ができるの?」
これが本音だった。
なぜなら、日本で彫金を学ぶ時は一つのパーツにも多くの道具を使う。金属加工用のガスバーナーも習得に時間を要する。
趣味とはいえ、日本で20年以上も彫金を学んでいた民枝さんは、彫金や研磨等の道具は駆使していた。それが真っ向から覆されたのである。
ナバホ族が使うのは、昔ながらの道具だ。基本的には、ハンマーとやすり一本のみ。
近代的なものといえば金属を溶かすガスバーナーだけだった。
しかも日本では金属加工の際に、火力を上げる送風装置(ふいご)を使うが、現地では送風装置ではなく、酸素ボンベに頼るしかなかった。
ナバホ族が使う道具に慣れるまでには苦労した。けれども、それがナバホ族のやり方である以上、学ばずして帰るという選択肢は民枝さんにはなかった。
新しいことを学ぶ時、人は一瞬のためらいと不安を感じる。
しかし、民枝さんは困難な時ほど「やってやろうじゃない」という意気込みが湧くのである。
今まで日本で習ってきたことは一旦置いて、ナバホ族の技術を習得することに心血を注いだ。
おそらく教える側としても「この日本人、生半可な覚悟で来たわけじゃないな」ということが強く伝わったのだろう。本来は種族内のみで継承するはずの技術も徐々に教えてもらえるようになったのである。
黙々と学び続ける民枝さんにある時、師匠は静かに語りかけた。
「日本人は緑に囲まれて、水も豊かな国なんだろう? 日本の風土と私たちインディアンが住んでいる砂漠の風土は全く違う。私たちは砂漠で水や植物自体に飢えているのだ。だから、そういうものに憧れて木や植物の模様をモチーフにして作品を生み出している。私たちにとってないものねだりのデザインがジュエリーに込めた思いなのだ」と。
そして、さらに続けて教えられた。
「学んでいく中で、雰囲気はわかっただろう? 日本の感覚とニューメキシコ州の感覚を混ぜて、あなただけにしかできない作品を作るんだ」
まさに文化の融合である。民枝さんが実際に弟子入りしてみてわかったのは、日本人の感覚では全部を受け継ぐことはできないということだった。
たしかに、お互いに生まれた時から見ているもの、欲しているものがもともと違う。だから、感覚や欲しているものが違うのは当然だ。
師匠の真似をしたところで、それは所詮真似でしかない。
民枝さんの中で、何かがストンと腑に落ちた瞬間だった。
それからというもの、民枝さんはさらに制作に没頭した。
簡単な作業道具は日本から持参していたため、空いた時間は自室の台所で作業をして、教えてもらったことを体に覚え込ませた。
昼間はインディアンカルチャーセンター(第2話を参照)や材料店に通った。日本に無い道具があれば使い方を積極的に習い、購入して存分に制作に取り組んだそうだ。
「本当に大変だったけど、やりがいがあって楽しかった!」
そう言えるものがあることは、人生にとって大きな財産である。
こうして3ヶ月の修業期間を経て、民枝さんは帰国した。
その後20年もの間、年に一度は必ず渡米して自身の技術を磨き続けた。
一度の滞在期間は2週間から1ヶ月程度。
師匠に日本で制作した作品を見てもらい、率直なアドバイスを聞くのが一番の目的だ。
他州で開催されるジュエリーの講習会があると聞けば飛んで行き、腕を磨くことも怠らない。そのバイタリティーには本当に頭が下がる。
インディアンの居留地に泊まったり、アルバカーキ近郊にあるサンタ・フェという街で芸術の数々に触れることで、新しい作品を生み出すためのアイデアを、民枝さんはスポンジのように吸収していった。
いくつになっても「学ぶ」という気持ちさえあれば成長していけること体現している。
時には日本から同じ彫金教室の仲間を連れて、一緒に現地に飛び、若手の作家たちにも本物と制作現場を見せ、感性を磨くことの大切さを教えていったという。
自分が学ぶだけでなく、惜しみなく後進も育てる。だからこそ人が周りに集まってくるのだ。
(左から民枝さん、師匠の母親イザニさん、師匠)
最初の渡米から始まること10年。
ある日、師匠の母親であるイザニさんが民枝さんにこう言った。
「あなたの感覚で作れば、モノマネじゃないものができるはず。ここで学んだ良いところを取り入れて、自分のオリジナルを作りなさい。そこで私の名前をお使いなさい」
なんと、師匠の母・イザニさんから直々にありがたい言葉を頂いたのである。
「名前を受け継いで制作できるんだ!」
民枝さんは長年の修行の成果を確信した。学んできたことが実を結んだ瞬間だった。
おそらく師匠や母親イザニさんは、民枝さんの彫金技術や抜群のセンスを見抜き、真摯に学ぶ姿勢を見てアドバイスをし続けたのではないだろうか。この日本人はインディアンネームを授けるに値するかどうかを見極めるために。
本来、インディアンネームというのは、ある程度の年齢に達した時に贈られるその人の人格や位置を表す名前とも言われている。
10年という年月を経て、師匠の母の名前を使っていいという位置に到達したのだ。
ついに民枝さんは、日本人ではなかなか成し得ない「インディアンジュエリー作家」としてナバホ族から認められたのである。
さらにイザニさんに強く言われたことはこうだ。
「自分の作品であることを示すため、必ず自分の刻印を押しなさい」
実際、民枝さんの作品には「イザニ」「Tammy」「民」いずれかの刻印が必ず押されている。
紛れもなく「自分の作品であることを示す」証拠だ。
こうして「ZONNIE(イザニ)」というインディアンネームを授けられたことで、民枝さんの制作活動はより一層力が入っていった。
その民枝さんの実力や、作品の噂を聞きつけたギャラリーから次々と声をかけられるようになり、日本各地での個展が開催されていった。
新しく「インディアンジュエリー作家」としての道を歩み始めたのだ。
民枝さんの作品は一つとして同じものがなく、その会場でのみ購入することができる。
会場に足を踏み入れると、そのジュエリーと民枝さんからみなぎる力に圧倒される。
民枝さんが作っているから、こんなに石と作品が引き立つのだなと一度見た人は必ず思うはずである。
ところが、制作する日々を続けていた2020年の冬。
のちに全世界を席捲するコロナウイルスというものが日本で発見され、ニュースで取り上げられるようになった。
せっかくインディアンジュエリーを作って、個展も開催できるようになってきたのにジュエリー作家としての生活が頓挫してしまうのだろうか……。
しかし、民枝さんは屈することはなかった。ここからが真骨頂とも言えよう。
《第4話へつづく》
□ライターズプロフィール
田盛 稚佳子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
長崎県生まれ。福岡県在住。
西南学院大学文学部卒。
地域で活躍する人々の姿に魅力を感じ、人生にスポットライトを当てることで、その方の輝く秘訣を探すべく事務職の傍ら執筆する日々を送る。
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