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週刊READING LIFE vol.22

向田邦子を笠に着て《週刊 READING LIFE vol.22「妥協論」》


記事:戸田タマス(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私は、向田邦子さんが大好きだ。
 
向田邦子さんは、言わずと知れた昭和の脚本家、作家、小説家である。エッセイ集「父の詫び状」を読んで以来、ずっとファンだ。
 
懐かしさ漂う古風な文章ながら、スッと頭に入ってくる言葉選びが本当に素敵だと思う。スマートな中にも悩んだり苦しんだりしている人間臭さがうかがえ、そこが隙となり、たまらなく魅力的だ。ご本人も、周りの人を惹きつけてやまないチャーミングな方だったらしい。黒い服しか身につけない、化粧は濃い赤の口紅のみなど、独自の美意識に基づいたオシャレを楽しまれたと聞く。実際の写真を見てもとても美しい方だ。
 
そんな向田邦子さんの作品の中で、「夜中の薔薇」というエッセイ集の中に「手袋を探す」というものがある。これは「妥協」について書かれているものだ。
 
かなり有名なエッセイなので、ご存知の方もいらっしゃるかも知れない。
向田邦子さんはこの中で、「妥協できない自分」について語っている。何をしたら満足するのだ? どうしたら不満が消えるのだ? と自問自答を繰り返し、悩みもがいている。
それでも最後は、探し回ってしまうのが私なのだと結論づけている。探し続ける自分を誇りにも思っているのだ、と。
 
私がこのエッセイに出会ったのは、実は今からほんの数ヶ月前のこと。
友人を待っているカフェにて、とても軽い気持ちで読んだ。そして一滴の涙が出た。それは号泣ではなかったけれど、長年胸につかえていた栓が外れたような、何か固いものが溶け出した涙だった。
 
私は、本当は「妥協」なんて、したくなかったのかも知れない。

 
 
 

私の家は、父親がとても厳しかった。
父には色々な教育信念があったのかも知れないが、母も私も兄も、父がとにかく恐ろしかった。父の名誉のために言っておくと、ゲンコツはあっても暴力を振るうことは決してなかった。ただ子供にとって、大の男性に大声で、しかも長時間叱責されることは、恐怖以外の何者でもなかった。
母はよく父をなだめようとしてくれたが、結局火に油を注ぐだけであり、今度は母がいっそう厳しく叱責されていた。その後、母は私達に向かって八つ当たりをし、そうかと思えば台所でひっそり泣いていることがよくあった。それが何より一番苦しかった。
 
その結果、反論したり、ぶつかったりすることは「良くない」結果を招くことなのだと信じるようになった。私は、何かあればすぐ意見を曲げたり、とりあえず「すみませんでした」と謝る人間に育った。

 
 
 

そんな私の人生は、妥協ばかりで作られてきた。
学校で、仕事で、プライベートで、たくさんの妥協を使ってきたように思う。
 
平和に解決できるなら、それが一番だからね。
よく考えたら、そっちの方がいい考えかもしれないね!
私が間違っていました。すみません。
 
こんな言葉ばかりを並べていた。
 
しかし、妥協するたび、不思議なもやもやした感じが残っていく。
それは、木片を少しずつ抜かれていくジェンガのように、ゆっくりと私の心を削っていった。
この感じは何なのだ? 間違ったことはしていないはずなのに。
 
それに、私がこんな態度だと、相手にも何となく伝わるものだ。
私はどんな集団の中にいても、カースト層はいつも「最下位」だった。意見を押し通すこともなく、誰かの尻に乗っかっているばかりの、そこにいるだけ人間となり下がった。次第にぞんざいに扱われ、空気のようになっていった。
その間も、心の中に例のもやもやがどんどん溜まっていく。また却下された、また否定された、また聞いてもらえなかった。また必要とされなかった……。でも、反論はまた争いを生む「良くない」ことである。私さえ妥協すれば、丸く収まるのだから、これでいいのだ、と。
 
そんなことを繰り返すうち、すかすかのジェンガのようになった私の心はグラグラ揺れ出した。倒れないように自然と自己防衛に走り、卑屈になっていった。
どうせ聞いてもらえない、どうせ必要とされない、どうせ、どうせ、どうせ……。
 
私は、どんどん自分を嫌いになっていった。たくさんのことを妥協してきたのに、なるべく平和に解決してきたはずなのに、私の心は全く平和にならない。
おかしい。でも何が?
何かを間違えてしまったことは分かっていた。でも、何を間違えたのか、ずっと気づけずにいた。

 
 
 

「手袋を探す」を読んだ時、やっと、このもやもやした気持ちを言葉にすることができたと感じた。向田邦子さんのように「妥協できない」と、私とは真逆のことで悩む方から答えをもらうことになるとは、想像もしていなかったのだけれど。
 
ああ、こんなに簡単な話だったのだ。
譲りたくないことは、妥協しなくてよいのだ。嫌だ、と言ってよかったのだ。
 
それは争いを生むかも知れないけど、結果として「自分の人生」に誇りを持つために、また、自分を好きになるために、必要なことなのだ。

 
 
 

妥協は、確かに人生において必要なスキルであることには間違いない。上手く付き合っていけば人間関係の潤滑油になるだろう。
しかし、私のように、ただやみくもに使っていると、自分で自分を苦しめることになる。妥協してきたものの中に、どれだけ私の大切なものが混ざっていたのだろうか。それは譲ってはならないものだったのだ。
エッセイの中でも触れられているが、結局妥協したところで、自分が本当に納得していなければ、たとえ何かを得ていたとしても使わない。私は、ただ大切なものを手放していっただけだったのだ。ようやく、気が付くことができた。

 
 
 

そして、「手袋を探す」を読み終えた私は、ひそかに心に決めた。

過ぎた過去は取り戻せない。手放してしまったものも帰ってこない。
ならば、今、まだ私の中に残っている大切にしたいものを吟味し、今度こそ絶対に手放すまい、と。
自分の性格を、厳しかった父のせいにするのも、もうやめよう。
 
もし、また卑屈な心が現れそうになったら、向田邦子さんを笠に着てでも、私は変わりたい。ご本人は譲れない性格を悩んでいたけれど、私は今、その強さにすがろうと思う。
もっと自分を好きになりたい。「私はこれがいいのだ」と人に語れ、自分の人生に「誇り」を持てるようになりたい。

 
 
 

遅れていた友人がようやく現れた。本をしまい、笑顔で手を振る。
 
まず初めに、この彼女との会話から、やみくもに「妥協」を使わないようにしてみようか。
明日から、ではない。今から、私は変わろうと思う。
 
向田邦子さんも言っていた。
「やり直すなら今だ、今晩、この瞬間だ」
 
 

❏ライタープロフィール
戸田タマス(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
滋賀県出身。同志社大学卒。
派遣社員として金融機関を中心に従事する傍ら、一児の母として育児に奮闘中。
あるオウンドメディア内でライティングを初めて担当し、「書くこと」の楽しさ、難しさを知る。スキルアップのために、2018年8月天狼院書店のライティング・ゼミ日曜コースに参加したことをきっかけに、ますます「書くこと」にハマる。
しがない三十路の主婦がどこまで書けるようになるのか。ワクワクしながら自分へのチャレンジを楽しんでいます。

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2019-03-04 | Posted in 週刊READING LIFE vol.22

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