恩師・淀川長治から教えられた妥協とは《週刊 READING LIFE vol.22「妥協論」》
記事:山田THX将治(READING LIFE 編集部ライターズ倶楽部)
「山田くん。尖がっているばかりじゃなく、時には他人(ひと)の意見も聞きなさい」
若い頃、自分の意見を曲げず他人とぶつかっている私に、恩師の淀川長治先生は、優しく叱って下さった。こうも教えて下さった。
「映画ばかり観ていないで、時には本を読みなさい。夏目漱石の『草枕』を読んでないでしょ」
『草枕』なら、夏休みの読書感想文か何かで読んだことが有った。
『山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情に棹(さお)させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。』
という冒頭は、カンニングしなくとも覚えているくらいだ。
そんな私に淀川先生は、
「理知的でいようとすると人間関係に角が立って生活が穏やかでなくなり、情を重んじれば、どこまでも感情にひきずられてしまうと、夏目漱石も言っています」
こうして淀川先生は、私が聞き入れやすい言い回しで諭して下さったものだ。私にとって淀川先生が、単なる映画の師匠でなかったことの証明だ。
『妥協(compromise)』を辞書で引いてみると、『互いに相手の意見の一部を容認すること。歩み寄り。主張の取り下げ。一歩譲ること。』とあった。派生として、理想・願望と現実が乖離していている場合に、否定的な言葉として使われることが有る。例えば、就職や結婚の場合だそうだ。我慢や折り合いといった言葉と裏腹で、どことなく敗北感が漂う感じもしたりするものだ。
また、『空気を読む』に代表される日本独特の感覚は、周りに気遣いをすることだ。これも、自分の主張を強く出さず、周りの雰囲気に『妥協』して合わせるということになる。その上、自分だけが歩み寄り、折れている感覚に陥る。だから、地味に敗北感が迫ってくるものだ。
そのことから、『妥協』という日本語の文言には、どちらかというと自分の意思に反する、否定的にとらえられがちだ。
もしかしたら、本来、日本人独特の自分勝手をしないとか、恥の文化、果ては『お天道様は見ている』といった感覚が、現代では薄れていることの証明かも知れない。
一方、欧米では『妥協(compromise)』 のとらえられ方が、日本とは違っていると思う。学生時代に、確か西洋政治学の授業で、
「妥協と言ったら、『1790年妥協』・『ミズーリ妥協』・『ヘイズ‐ティルデン妥協』の三つは覚えておくように」
と言われたことを記憶している。三つの妥協とも、アメリカの政治における妥協で、南北戦争を起こすまいとしたことや、接戦の大統領選挙を決着させる為に互いの主張を一部取り下げたものだ。
この様に、欧米・とくにアメリカでは、『妥協(compromise)』をどちらかというと前向きで、ポジティブにとらえていると思われる。
日本と欧米の違いは、使っている言語から生じているのではと、私は考えている。何故なら、『妥協』を用いなければならない状況は、主にもめ事や意見・主張の対立から来ることだからだ。その対立状況を打開する際に使われる言葉が、日本語では『わかった』の一種類しかない。しかし、英語では『understand』と『agree』の二つが有る。それぞれ『理解する』と『同意する』と訳される。勿論、日本語にも同じ『理解する』・『同意する』という言葉はあるが、書き言葉として使われるばかりで、話し言葉としては滅多に使われない。これは、そもそも日本人の概念の中に、自分の意見を理解させると、あたかも同意もしてもらったとの勘違いが同居していると考えられている様だ。
その点、欧米では、フランスの諺に有る様に、
「あなたの意見には同意しかねる。しかし、あなたが発言する権利は、命を掛けて守ってみせる」
という、いわば民主主義の根幹が元々根付いている様だ。だから、『同意せずとも理解する』という、『妥協(compromise)』をポジティブにとらえることが可能なのだと思った。
また、淀川先生に叱られた私の様に、日本人はいつまで経っても精神的に幼い感じがぬぐえないのだとも思った。しかも、昨今に国会答弁などを見ていると、民主主義だって、ちゃんと根付いていないと思ったりもする。
そんな日本人の誰もが、時間という概念だけは『妥協』しなければならない。世界中の誰もが、等しく平等に『一日=24時間』と決まっているからだ。しかも、何が有っても時間をさかのぼることは絶対に出来ないのだ。
したがって日本だけでなく世界中の誰もが、年齢を重ねることに抗(あらが)えないし、歳を喰った自分と折り合っていかねばならない。言い換えれば、年齢という経時変化だけは『妥協』するより他に方法は無い。
年齢を気にするのは訳が有る。
今年の一月に、私は暦が一回りした。そう、還暦(60歳)を迎えてしまったのだ。節目ということで、多くの友人知人が祝ってくれた。それはそれで、大変有難いものだったが、自ら胸を張って喜ぶ気にはなることが出来なかった。だれでも、歳を喰うのが嬉しいのは、せいぜい20代半ばまでだ。
しかもこのところ、友人達と会うと決まって出る話が、就業先を定年となって今後どうするかということだ。大概は継続雇用で元気に働き続けているが、給与は大幅に減らされることに『妥協』しなければならない。なぜなら、給与減を受け入れなければ、働き続けることは出来ないからだ。同時に、一切の給与が無くなることを意味するからだ。公的年金を受け取るのは、まだ何年の先のことだ。
このことは、定年という文言によって、世の中から『年寄』と認定を受けたのと同じことを意味するからだ。この場合の『年寄』は、世の中から用が無くなったのと同じことを意味するのだ。流石に、無用の烙印はこたえるものだ。
実は昨年末に、私は別のところから『年寄』の通告を受けた。
20代の頃から私は、公的年金の他に税金対策として保険会社の個人年金を積み立てていた。年金ということは、老後の生活費ぐらいにしか考えていなかった。公的年金が給付されるのが、まだ5年も先なので悠長に考えていたことも有ったので、余計にショックを否めなかった。個人年金の約款をよく読み直したら、60歳を迎える前年の契約月に、一年分の年金が振り込まれてしまうのだ。しかも、同い年のカミさんも同じ年金を積んでおり、結構まとまった金額が一気に年末に振り込まれた。これは約款に従わざるを得ず、この『年寄通告』には『妥協』するしか方法が無かった。
60歳という歳は、実に厄介で、年寄で間違いない反面、最も若い老人という見方も出来る。ということは、歳を重ねても働かされるものの、十分身体が動く内に老人の特権を得ることが出来るのだ。
ただし、『年寄』の通告と上手に『妥協』するという条件が付くが。
こんな例もある。映画フリークの私に、
「山田さん、還暦になるとシニア割引で映画が観られるからいいですね」
という誉め言葉は無用だ。何故なら、映画関係のコレクター癖が強い私は、映画を観る際、必ず前売り観賞券を購入するからだ。勿論、観賞券の半券は大切に保存し、アルバムに貼ってコレクションしている。約半世紀の間に、20冊近いアルバムが貯まってしまい、引っ越しの際には手伝ってくれた若者に、苦労を掛けてしまったほどだ。
だが、どんなに苦労を掛けたとしても、自分がやり遂げてきた歴史だけには『妥協』を挟み込みたくはない。すでに10年も前から映画館の『夫婦50割引』を使うことが出来たが、これまでほんの数回しか使ってこなかった。あくまで観賞券の半券を、コレクションする為だ.
『妥協』しなかったばかりに、映画のパンフレットと観賞券の半券だけで、6畳間の壁一面が、天井まで埋まってしまっている。適当なところで『妥協』しないと、とんでもないことになる典型例だ。
そんなこだわりが強い私だが、半世紀も映画を観続けていると、前売り観賞券に関して『妥協』以前に諦めなければならない事態に遭遇するものだ。
このところ、ごくたまにだがロードショー公開の作品なのに、前売り観賞券が用意されていない映画が有ったりする。これは、自分の歴史を途絶えさすようで、とても容認出来ない。この状況に『妥協』したくはない。しかし、強情に自己を主張していても、事態は決して好転はしないのが現実だ。
これまでは、『夫婦50割引』やポイントカードを使ったり、挙句の果ては毎月1日の『映画の日』を利用して、何とか当日料金をかいくぐることで、現実と『妥協』してきた。ところが先日、観たいと思った映画が2本、立て続けに前売り観賞券の作成が無かったのだ。1本は、何とかポイントを使って、無料で観ることが出来た。とこが、もう1本はどうしても当日料金で観なければならない状況となってしまった。『妥協』したくは無かったが、歴史を止める勇気を、私は持ち合わせていなかった。
そんな時、自分の老人としての特権を初めて使ってみようかという考えが、頭をよぎった。現実に『妥協』し、自分の気持ちの折り合いを付けようとしたのだった。
映画館の発券デスクに近付いた私は、人生で初めてこう言った。
「16時55分からの回をシニアで」
すると、スタッフの女性がけげんな表情で
「シニアですか? 身分証明書をお願いします」
と言ってきた。多分私が、シニアの年寄には見えなかったのだろうと、少し嬉しい気分になった。
「1,100円になります。お支払いは現金ですか」
「クレジットカードで御願いします」
益々けげんなスタッフの表情が、私を余計に嬉しくさせた。多分、クレジットカードを切る老人が少ないからだろう。
時には『妥協』してみるものだ。そうすれば、何かと得することも有る。
それに、今の私な多分、淀川長治先生に叱られずに済むことだろう。
そんなことを考えていた私は、手渡された映画館のチケットを見て、思わず声を上げそうになった。そのチケットには、黒帯が入っていて、そこには目立つ様に
『シニア ¥1,100(税込)』と印刷されていた。
何だか、若い女性スタッフに『年寄』の烙印を押された様だった。
『妥協』して少しだけ得をした私は、『妥協』しなければならない通告を受け少しだけ肩を落とした。
でも、丁度心のバランスよく、映画館のゲートへ向かうことが出来た。
❏ライタープロフィール
山田THX将治( 山田 将治 (Shoji Thx Yamada))
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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