週刊READING LIFE vol.241

思い込みと妄想が起こした一件《週刊READING LIFE Vol.241 どうか私を笑ってください》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/11/27/公開
記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「えっ? あっ、違いますから」
 
その言葉を発して、私の前に立っていた女性はその顔がみるみる真っ赤になってゆき、そそくさとその場から離れ、次の駅で降りて行った。
ああ、私の人生の中で、自分自身に降りかかる失敗は数えきれないくらいやってきた。
それは、いいのだ、誰にも迷惑もかけていないから。
ただ、今でも心の傷のように、ずっと引っかかることが一つあって、そのことを思い出すたびに、その女性に謝りたい気持ちでいっぱいになるのだ。
 
そう、あれは今から10年以上も前のこと。
当時、私は夫が設立した会社で、経理や雑用の仕事を手伝っていた頃だった。
ほぼ毎日のように、大阪にある事務所へと通勤していた。
それでも、子どもがまだ小さかったので、帰宅時間はやや早めに設定していた。
 
そんなある日、会社終わりに、大阪から自宅までの区間、利用している私鉄の特急電車に乗っていた時のことだ。
多くの会社の退勤時間よりは少し早く、フレックスタイムを利用しているか、営業時間が早めに終わる会社の人たちの、第一弾のちょっとしたラッシュのような時間だった。
電車の座席全てには人が座っていて、立っている人もまあまあいるような状況だった。
私が座っていた座席の前に、一人の女性が立ったのだ。
座席から何気なく顔を上げると、その女性は明らかに疲れた様子に見えた。
誰しも、一日の仕事を終えたのだから、それなりにお疲れなのはわかる。
でも、私はなぜかとてもその女性が気になったのだ。
それは、彼女のお腹周りを見たことからそんな妄想が始まった。
ふっくらとしたお腹で、そういえば通勤にもゆったりとしたワンピースのような洋服を着ている。
これは、もしかしたら、妊娠初期の方ではないだろうか。
カンが良い私は、見ず知らずの女性だけど、瞬時にそう思ったのだ。
 
そういえば、私が20代に勤めていた会社では、結婚して、妊娠しても出産ギリギリまで働く先輩が何人かいらしたのだ。
今のように、産休や育休を取って、職場に復帰する環境にはまだ早かったものの、お腹が大きくなって、制服が着られなくなるまでも勤め続ける人がいたのだ。
そんな妊婦の先輩と話していると、とにかく妊娠してからは疲れやすくなったと言っていた。
もちろん、朝のラッシュアワーを避けるために、フレックスの勤務だったけれど、それでも通勤と仕事で、ずいぶんと疲れると言っていたのが印象的だったのだ。
さらには、やたらとお腹が空くので、おやつにバナナを持ってきていて、更衣室のロッカーでこっそり食べているという話もしていた。
当時、独身だった私にとっては、どれも未知の体験のことで、子どもを産むって大変なことなんだと思っていた。
そして、私自身も結婚、妊娠、出産、子育てを体験して、当時の先輩の言葉がようやくわかるようにもなっていた。
ただ、私は専業主婦のときの妊娠、出産だから、この状態でまだ仕事を続けていた当時の先輩たちのことは、あらためて尊敬する思いでいっぱいだった。
しかも、つわりの時期だってあったはずだ。
家に帰ってきて、家事もやっていたのだから、女性ってスゴイなと、つくづく思う。
 
そんなことが頭の中にサッと浮かんできた私は、仕事帰りの電車の中で、私の前に立った女性のことがますます気になってきたのだ。
すると、何度かあくびもしている。
そうだ、私も妊娠中は、やたらと眠い時期があった。
つわりが終わったかと思うと、一日中眠くて仕方がない時があったのだ。
やっぱり、妊娠中って、ホルモンはもちろん、一人の命がお腹の中で成長していっている訳だから、これまでに経験したことのないような体調になるものだ。
そんなことを思うと、ますますこの妊婦の女性を何とかしてあげたいと思ったのだ。
 
そこで、勇気をもって、その女性に声を掛けた。
 
「良かったら、どうぞ」
 
私は席をサッと立って、その女性に席を譲ろうとしたのだ。
その席は、別に優先座席でもなかった。
しかも、当時の優先座席は、お年寄りに譲るというような案内が中心だったように思う。
でも、妊婦さんで、しかも一日仕事をしてきて、相当疲れているように見受けられたのだから、もう、いてもたってもいられなくなっていたのだ。
 
すると、その女性は二、三度周りをキョロキョロと見回して、「えっ、私?」というような少し不思議な顔をしたのだ。
 
「はい、どうぞ」
 
さらに、私の座席を彼女に勧めるが、それでも訳がわからないといった様子だったのだ。
私も、どうしたものかと戸惑いながら、それ以上に彼女も驚いていた時、
 
「あの、お腹……」と、言葉を発したら、その女性はそれでようやく意味がわかったという感じが表情から読み取れたのだ。
 
「私が妊婦だと思ったんですよね?」
 
言葉ではなく、表情で私に聞き返してきている様子が伝わってきた。
 
そして、すぐその後、「いいえ、違いますから」
彼女は大きく手を振って、そのことを否定しながら、私の前から後ずさりするように離れていったのだ。
そして、特急が出発して、最初に止まる駅でその女性は降りて行ったのだ。
本当に、その駅が彼女の目的の駅だったのだろうか。
それとも、私の勘違いの行動が恥ずかしかったのか。
確かめることもできなかったのだが。
でも、考えてみたら、妊婦に見えたということは、そうでない場合、単に太っていると思われたということになってしまう。
そもそも、私がそう思ったのも、彼女のお腹のふくらみから始まった妄想だった。
そして、お疲れの様子から、昔、会社勤めの頃の先輩が妊娠中だった時のことを思い出していったのだから、なかなか強い妄想の世界に入ってしまっていたのだ。
後から思うと、本当にその女性に申し訳ない思いでいっぱいだった。
妊婦と間違うということは、あなた太っていますね、ということになってしまうからだ。
とてもショックだっただろうし、気を悪くさせただろうな。
私は、久しぶりにとんでもない失敗をしたと落ち込んだものだった。
 
あれから10年以上の時が経ち、今では電車の優先座席にはお年寄り、妊婦、怪我をした人、など、多様な人への対応がなされている。
しかも、妊娠している人には、妊娠キーホルダーというモノがあって、希望する人は鞄などに着けているのを見かける。
妊娠初期で、まだお腹が膨らんでいない時期でも、辛いこともあるし、疲れやすいこともあるので、そういったサインを示してもらえると、周りの人も対応がしやすいと思う。
今では、電車に乗ると、立っている妊婦さんと思われる人を見かけると、まずはその妊娠キーホルダーを探すことにしている。
それを確認したうえで、座席を譲ることが出来るようになったので、あの、かつてのような失敗は繰り返していない。
 
あの時も、私自身は100%善意のつもりだったのだが、どうやらとんでもない失敗をしてしまったようだ。
何よりも、妊婦と間違えてしまった女性には、心から謝りたいと今でも思っている。
思い込みで、気持ちが先走ってしまった、当時の私の行動。
いつもはどちらかというと慎重に行動する私なのに、あの時はなぜか突っ走ってしまった。
今でも思い出すと、何とも言えない気持ちが湧いてくる。
ああ、本当に、あの時、電車の中で妊婦に間違えてしまった女性、ごめんなさい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

関西初のやましたひでこ<公認>断捨離トレーナー。
カルチャーセンター10か所以上、延べ100回以上断捨離講座で講師を務める。
地元の公共団体での断捨離講座、国内外の企業の研修でセミナーを行う。
1963年兵庫県西宮市生まれ。短大卒業後、商社に勤務した後、結婚。ごく普通の主婦として家事に専念している時に、断捨離に出会う。自分とモノとの今の関係性を問う発想に感銘を受けて、断捨離を通して、身近な人から笑顔にしていくことを開始。片づけの苦手な人を片づけ好きにさせるレッスンに定評あり。部屋を片づけるだけでなく、心地よく暮らせて、機能的な収納術を提案している。モットーは、断捨離で「エレガントな女性に」。
2013年1月断捨離提唱者やましたひでこより第1期公認トレーナーと認定される。
整理・収納アドバイザー1級。

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2023-11-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol.241

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