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週刊READING LIFE vol.25

「ありがとう」と言われて、うれしくて《週刊READING LIFE Vol.25「私が書く理由」》


記事:みずさわともみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

私の弟は幼い頃、見た目がぽっちゃりしていた。
弟を見ると男女問わず、そのもちもちとした白いほっぺたに手が吸い付き、ついつい伸ばしたくなる。
そんなほっぺたを、弟はもっていた。
彼がもっていたのは、それだけではなかった。小学校に入ると、学力が高いこともわかった。文章を書かせれば、読書感想文で全国1位の最優秀賞を取った。スポーツはできないだろう、と思っていたら、卓球に夢中になり、いつの間にか地区の強化選手に選ばれた。
そうこうしているうちに、ぽっちゃりは成長とともにシュッとした見た目に変わっていった。
なんだかうらやましかった。
同じ親から生まれてきたはずなのに、弟にはたくさんの才能があたえられている気がした。そして一番は、親からの扱いだった。特別扱いなんて、していなかったかもしれない。けれど、姉も私もなんとなく、弟は母親から私達以上にかわいがられていると感じていた。選べるもんなら私も、男の子に生まれたかった。
多分、親からすると性格もかわいかったんだろう。適度に甘えて、自己主張して。私はそれに比べ、相当なひねくれ者だった。だから、思うままに行動して周りから愛される弟が、妬ましかった。のびのび育った弟が、憎らしいほど、うらやましかった。

 

「文章を書く勉強をしているの」
と、弟に連絡したときのことだ。
自分の書いた文章がウェブサイトに掲載されることになったと伝えたとき、うれしい反面、ほんとうは恥ずかしかった。
私は、自分のことを書くのが好きではない。他人に自分のことを知られるのが、とにかく恥ずかしい。
弟に「読んでみてほしい」って言うなんて、血迷ったと自分でも思った。けれど弟は、
「ありがとう。いろいろ考えさせられた」
と言ったのだ。友だちや姉、妹にも読んでもらったけれど多分私は、弟に「ありがとう」と言われたのが一番衝撃的だった。そして、「ほかの文章も読みたい」と言われたのにも驚いた。

 

思えば弟は、私を否定したことなんて今まで一度もなかった。自分の方が結果をたくさん出していても、私をバカにしたりはしなかった。だから、肯定的な言葉をもらうことはそんなに不思議なことではなかったのかもしれない。けれど、私は弟に「ありがとう」と言われ、なんだかとてもうれしかった。
今考えてもこのときの「ありがとう」が、私が書くことを続けた理由だったと思う。

 

しかし今現在も私は、自分のことを書くのが好きではない。
一刻も早く、私に都合の悪い私の言動は忘れてほしいし、忘れてくれているはず、と思うことで恥ずかしさに耐えられている。
自意識過剰なのだ。
そして、自分のことを、好きになれていないのだ。
「自分がもっと○○だったらいいのに」は、考え出すとキリがない。
どこかが突出していれば自信にもなるのだろうが、私は飛び抜けた何かは持ち合わせていない。
たまに運良く人から肯定されても、それを素直に受けとめられない。
でも、今はまだいい。
以前は、そういう自分の自意識過剰だったり、素直じゃない状態にすら気づいていなかった。悲しいとか、そういった感情が意識の大半を占めていて、考えることがうまくできていなかったのだ。それが、「書くこと」を通して少しずつ、自分のそのときの状態に気づけるようになってきたのだ。

 

たとえば少し前に、好きだった人と偶然会うという出来事があった。
告白して振られてから何ヵ月も経つのだが、この日会ってわかったのは、
「もう友人関係としての修復の可能性すらなく、嫌われている」
ということだった。
声をかけると、逃げるようにして距離を取られたので、さすがに今後は話しかけるのもやめよう、と思った。
もし以前の私なら、ショックでしばらく立ち直れなくなったと思う。
けれど私は「書くこと」にした。
手帳に、今の気持ちと状況と、これから自分はどうするかを書いていった。すると、以前のように落ち込み続けることはなかった。
自分を客観視できたし、そのあと、「もう大丈夫だな、ふっ切れるな」って、思えた。
私は自分のことを書き続けることで、少しずつ、感情の整理の仕方や、自分との付き合い方がわかるようになってきていたのだ。
半年前は、
「なんで自分のことをこんなに書いているんだろう。書きたくないのに。意味がわからない!!」
って思っていたのに。
続けていくと見えてきたものがあった。書き続けていると、過去の自分、現在の自分を、自分で助けられるようになってきた。
感情にとらわれず、考えが整理できる。
嫌いだった、情けない自分に手をさしのべられる。
自分に、やさしくなれる。
そういうことが、できるようになってきたのだ。
多分私は、他人との会話を意識してきたものの、一番長く付き合う自分との会話をおろそかにしてきた。そんな私を変えてくれるのはきっと、「書くこと」だったのだ。

 

「書くこと」は私にとって、素潜りと似ている。
暗い、深いところへ、身一つで潜っていく。思い出す過去は、なぜか暗くて重いのだ。
苦しくて辛くて、もういいや、って思いそうになる。考え続けるのをやめたくなる。けれど、その深いところに自分の知らなかったものがあって。
それを、待ってた人たちに
「見つけたよ!」
って持っていく。すると、苦しかったのがうそみたいに感じられる。「ありがとう」をもらえることがあるのだ。

 

私は結局、「ありがとう」と言われて調子にのって、今まで書き続けた。
けれどそのことは、深く潜ることは、いつの間にか身体を、心を鍛えてくれていた。1回や2回じゃなく何度も何度も、続けることできっと、私はちょっとずつ強くなっていったんだ。
そう考えると私の「書くこと」に付き合って、教えてくださった方たちには、ほんとうに感謝している。心が折れそうになったときに励ましてくれたり、ともに学んでくれた仲間にも感謝している。そして、私のつたない文章を、読んでくれた人たちにも。
ありがとう。
ほんとうに、ありがとう。
きっといつか思い出しても、「書くこと」が私にとっての財産になっているはずだから。あらためて言わせてほしい。
今まで、ほんとうにありがとう。
そしていつか、心の底からの笑顔で報告したい。
「『書くこと』でほんとうに私の人生が大きく変わりました」と。

 
 

❏ライタープロフィール
みずさわともみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
新潟県生まれ、東京都在住。
大学卒業後、自分探しのため上京し、現在は音楽スクールで学びつつシンガーソングライターを目指す。
2018年1月よりセルフコーチングのため原田メソッドを学び、同年6月より歌詞を書くヒントを得ようと天狼院書店ライティング・ゼミを受講。同年9月よりライターズ倶楽部に参加。
趣味は邦画・洋楽の観賞と人間観察。おもしろそうなもの・人が好きなため、散財してしまうことが欠点。
好きな言葉は「明日やろうはバカヤロウ」。

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2019-03-25 | Posted in 週刊READING LIFE vol.25

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