十四歳の頃、遺書を書いた。《週刊READING LIFE Vol.25「私が書く理由」》
記事:吉田けい(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
十四歳の頃、遺書を書いた。
自殺だとかいじめだとか、そんなことでは全然なかった。ただ単に中二病にしっかりと罹患していたのだ。自分が全知全能でないことに絶望し、ドラクエの勇者のように使命がないことに絶望し、この腐敗した世の中に産み落とされたことに絶望していた。全てに絶望している自分が最高にカッコよかったのだ。絶望しながらも、何のために自分は生まれたのかを探して志高く生きていくつもりだった。意識高い系なんて言葉はまだ生まれていない時代だ。しかし、不慮の事故などである日突然死んでしまったら、自分という志高い人間がいたことを知らしめないままこの世を去ることになってしまう。それは中二病的にとても恐ろしいことだったので、夜中にルーズリーフに家族や友人への思いをしたためた。どうか悲しまないで欲しい、きっと私は最後の瞬間まで私らしく生きて死んだ。封筒に入れてノリで封をして、表に「遺書」と書いた。よし、完璧だ。自室の文房具を入れる引き出しの底に入れると、意気揚々と母に声をかけた。
「お母さん、遺書書いて引き出しに入れておいたから。私に何かあったら読んでね」
母の唖然とした表情を今でも忘れられない。あんぐりと口を開け、この子、頭おかしくなったのかしら、それとも何か悩みでもあるのかと言いたげな表情。対する私は、思いを封じたことで、これでいつ死んでも大丈夫、と妙な安心感を得たのを覚えている。満足げな表情の娘を見て心配性の母はものすごく心配したに違いない、本当に申し訳ないことをした。中二病だったので許して欲しい。
さて、今でも親交のある親友たちと、「ドラッガーの振り返り会」というのを年に一度実施している。今年でもう四回目になるだろうか、これから実施予定だ。一年間の出来事を報告し、お互いにレビューして、次の一年の目標を立てるのだ。振り返り会は仕事で利害関係のない人達で実施すると良い、その方が忌憚のないレビューが出来るし、自分自身も聞き入ることが出来る。私たちの振り返り会の四人は学生時代の同期なので、全員ぜんぜん違う職についている。私は一回目の時は会社員、二回目は妊娠中、三回目は育児中、と毎回立場がガラッと変わるが、その割にぼんやりしているので、親友たちを心配させていた。
「けいちゃん保活しなよヤバイよ!」
「日本で一番のんびりした妊婦だよ!」
「自分の住んでるとこの待機児童数とか知ってる!?」
うへえ知らなかった、ごめんなさい。
そんな厳しくも暖かい檄が飛ぶ会だった。
私はこの振り返り会が大好きだけど大嫌いだ。私以外の三人は、自分の仕事に誇りを持って働いていて、生き生きと楽しそうに輝いているように見えるからだ。私が産休だからとか、子供がいるからとかそういう問題ではない。私の現在の仕事は夫の会社の事務全般だ。誰かがやらないといけない仕事だし、自分の役割だとも自負している。夫は大好きだし、息子は可愛い、家族で助け合って生きていきたいと思う。でも仕事をしている夫も、振り返り会の三人と同じように生き生き輝いている。息子は生きることそのものが楽しくて仕方がない様子だ。一方私は夫のサポート、育児家事、誰かを支える喜びはあっても、私自身が生き生き輝き切っているかというと、首を傾げざるを得ない。育児に存在価値を見出して、子供が独立した後に空の巣症候群になるのも嫌だ。そんな自分の現状を思い出して、奮起させてくれるのがこの振り返り会なのだ。
いいなあ。私もみんなみたいになりたい。
私は十年日記をつけていて、それに合わせて中長期目標を立てている。振り返り会は中長期目標を振り返る絶好の機会だ。今の十年日記は、息子の妊娠中にスタートしているので、この十年は育児が中心になるだろうなと定めていた。
そして、次の十年、本気で取り組めるものを見つけること。
「……何をやろうかなあ」
振り返り会が終わると、そんなことを考える。保活しろと言われたのでなんとなく調べたりするが、いまいちピンと来ない。在宅ワークで、ベビーシッターや祖母シッターで何とかなる気がしてるけどそれじゃダメなのかな。でも、息子は同じくらいの子と遊びたそうなそぶりを見せる。保育園に入れば息子は友達が出来るし、私も時間が出来る、経理以外の仕事ができるようになるかもしれない。悩みどころだ……今ここで、次の十年に本気で取り組むことを始めるタイミングなのかもしれないな。
家事をして、育児をして、事務をして、あと一つ。今までもいろんな草鞋を同時に履いていたから、フルタイムダブルワークみたいな働き方じゃなければいけるんじゃないか。今の私にできること。今の私がやりたいこと。みんなみたいに、生き生き楽しく取り組める事……。
もう中二病は完治したはずなのに、ドラクエの勇者の使命を、神童がスポーツや楽器と出会う瞬間を、私は心のどこかで求めていた。
「そういや、昔、遺書書いたな……」
考えるうちに中二病のことを思い出してしまって嫌気がさしたが、同時にすっかり忘れていたことを思い出した。あの遺書、どこにしまったっけ。あれから実家の自室は何度も模様替えをしたけど、文房具を入れる棚は場所を変えてまだ残っているはずだ。あの遺書を見たら、ちょっと気が晴れるかもしれない。数日後に実家に戻る機会があったのでさっそく家探ししてみたが、残念ながら遺書は見つからなかった。見つからなくてよかった、どうせ変なポエムが書いてあるだけだ。
「うわあー、懐かしいー、痛いー!」
遺書を探すと必然的に棚の中身を検分することになる。そこには学生の頃に手書きしていた小説たちがぎっしりと詰まっていた。専用のバインダーにルーズリーフを閉じたり、クリアフォルダやホチキスで綴じたり、ノートまる一冊だったり。どれもシャーペンで書いていたので、擦れて真っ黒になって読めないものが大半だ。しかし手に取った瞬間、何を書いていたのかまざまざと思い出してしまい、若さ溢れる稚拙さに一時間ほどのたうち回った。
「ひー、アホだー、アホすぎる……」
ファイルをぱらぱらめくっていくと、裏表紙の手前に、中途半端な紙が挟まっていた。変なポエムでも挟まっているかと手に取ってみて、拙い字にぎくりとする。
タイムカプセル。
角ばった、筆圧の強い文字で、そう書かれている。
「…………」
書いた。確かに書いた。手にする瞬間まですっかり忘れていたが、タイムカプセル書いた。しかも一回じゃなくて、何回かに分けて書いた。全部で五枚。日付入りとそうでないものがあるけど、だいたい思い出せる。一枚目は遺書を書いたのと同じ十四歳。続いて高校の頃、大学の頃に二枚、結婚する直前の頃に一枚。
「…………」
どの時点の私も、独り言のように当時の悩みを書き連ねていた。今の自分には物語の核となるものが足りない、学生なので人生経験が足りない、書きたいテーマがない、私らしさとは何か、自己表現とは何か、何で私は書くのか。ずいぶん小難しいことを考えていたんだな、こんな繊細な感覚はもう今の私にはないな、と、微笑ましいような、胸を抉られるような、何とも言えない心地で読み進めた。そんな中、ある部分で目が留まる。
私が何かを創造する上で、必要な核。
それは、私が私の望む私であり続ける、という事。
「私の望む私、ね……」
今の私も、望むべくしてなったはずだ。夫を選び、仕事を手伝うことにして、子供が生まれて。傍目に見れば幸せのど真ん中に見えるだろう。でも私は現状に満足できず、みんなのように輝けていない、こんなはずじゃなかったのにな、と思いながら日々を過ごしている。そんな私が、タイムカプセルを見つけて、かつての私が真剣に悩み、しかしとても楽しそうにしている様子を、遠い昔の写真のように、対岸の夜景のように、手をこまねいて読み進めるしかできないなんて!
「…………」
ありがとう、聞いてくれて。
もしかしたらもう小説になんか見向きもしないだろうけど、
今の私の考え、残したかった。
「……どういたしまして」
妙にしおらしい書き方だ。小説なんか、なんて微塵も思っていない。小説を書く自分を誇りに思っていることくらい、タイムカプセルを読めばわかる。こんなに素晴らしいことから卒業して、他に楽しいことがあるの? それは素晴らしいね、さぞかし充実しているんだろうね、小説を書かない私の人生は。でも、今の私は、小説を書くことが何よりも楽しくて、何よりも大事なんだ……そんな声が、へたくそな字から滲み出てくるような気がする!
「……ちくしょう」
やられた、タイムカプセルめ!
十四歳の私が、ニヤッと笑ったような気がした。
そんなわけで、タイムカプセルを読んでから、私の物書き熱が再燃し始めた。小説ではなくコラムやエッセイを書くライターに照準を絞ったのは、小説を書き切るのはものすごく時間と体力がいるからだ。また、ネットサーフィンしていると、私の方が上手く書けるんじゃないかと思うような記事をいくつも見かけたからでもある。まずはブログやnoteを始めて、と思っていた矢先、Facebook広告で天狼院のライティングゼミの記事を見かけた。熱量のこもった文章と、人生を変える、のキャッチコピー、そして毎週課題を見てくれることに魅力を感じた。やる気はあるけど飽きっぽい私は、〆切があった方が張り合いが出るのではないか。また、第三者に評価された方が、ライターとして切磋琢磨しやすい気がする。すぐさま申し込み、夢中で講義を聞いて、課題を出した。
かなり自信満々で提出した最初の課題は、敢え無く不掲載となった。悔しくて悔しくて、ゼミ同期の課題を合否に関わらず全部読んで回った。それでもまだ悔しくて、メディアグランプリの過去の記事も読みまくった。育児や仕事の合間に、百本以上は読んだのかもしれない。読みながら、習ったことを当てはめてみて分析して、ああでもない、こうでもない、と唸り、ネタを絞り出し、二回目の挑戦で初めて記事が掲載された。見てくださったのは川代さんだったと記憶している。彼女のコメントを見て、私は度肝を抜かれた。
「今週の編集部セレクトに選出します!」
へ、編集部セレクトだって!
折しも、育児と夫をネタに書いた記事だった。それを編集部セレクトに見いだされたことは、文章そのもの以外に、私の日々も肯定してもらえたような気がして、とてもとても嬉しかった。
それから、毎週欠かさず課題を出した。見送りになるとのたうち回るほど悔しい。悔しいと思える自分が嬉しかった。ライティングゼミの全課程が修了する頃には物足りなくなり、ライターズ倶楽部も受験し、合格した。毎週のお題に沿って、ああでもない、こうでもない、と頭を捻りながら記事を書くのは本当に楽しかった。時間のやりくりが大変だったが、楽しそうにしている私を見て、夫も協力してくれたのは本当に有難かった。
こんなに好きで楽しいことを、どうして忘れていたんだろうか。その理由もタイムカプセルに書いてあった。「学生の私では、人生経験が乏しすぎて、どうしても深みのある人物や文章が書けない。この悩みを解決するには、高校や大学に行って、会社で働いて、人生経験を積むしかない! 待ち遠しい!」とのことだ。確かにその通りだと思う。ライティングゼミやライターズ倶楽部の課題で題材にするエピソードで、中学生以前のことをネタにしたのはたったの一回しかない。たった一回! 今回も入れて、やっと二回だ。もし中学生の私がライティングゼミに参加していたら、毎週のネタ出しにさぞかし困ったに違いない。
ともかく、私は自分の文章に深みを持たせるつもりで人生を謳歌していたら、肝心の物書きの方をおざなりにして忘れてしまっていたのだ。こうして書く楽しみを思い出してしまったからには、二度と手放さない。これからは、人生を謳歌しつつ、物書きとしても楽しんでいく所存だ。
文章を書く醍醐味は、その時々の想いや情景を、そのまま閉じ込めて、いつでも見返すことができることだと思う。私が書いた遺書もタイムカプセルも、どちらも当時の想いを残しておきたくて書き留めたものだ。遺書はもう見ることはできないが、タイムカプセルは今の私を奮起させ、ライターになるという大きな目標を与えてくれた。これからもたくさん文章を書き、発信し続けていく中で、その時々の私の想いを目いっぱい詰め込んでいく。将来もし私に何かあって突然死んでしまったとしても、私の想いが詰まった文章が、私の遺書の代わりになるだろう。また、息子が成長した時、若かりし頃の母の文章を見て、何かを感じ取ってもらえたらいいなとも思う。
私は、文章を書くのが楽しくて仕方がない。だからこれからも書き続ける。
文章を書いている時の私は、間違いなく生き生きと輝いている。
次回の振り返り会は、胸を張って参加できそうだ!
❏ライタープロフィール
吉田けい(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
1982年生まれ、神奈川県在住。早稲田大学第一文学部卒、会社員を経て早稲田大学商学部商学研究科卒。在宅ワークと育児の傍ら、天狼院READING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。趣味は歌と占いと庭いじり、ものづくり。得意なことはExcel。苦手なことは片付け。
この記事は、天狼院書店の大人気講座・人生を変えるライティング教室「ライティング・ゼミ」を受講した方が書いたものです。ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。
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