週刊READING LIFE vol.255

還暦からの人たらし志願《週刊READING LIFE Vol.255 フリー》


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2024/3/25/公開
記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「なんか、やっぱり、ゆりさんがいないと寂しいなぁ」
 
私は、娘とお世話になっていた、バレエの先生のところでのお稽古を、先日辞めることにした。
その先生には、そのまた前のバレエ教室で出会い、そこから独立されることになったことをきっかけに、その先生についていって教えてもらっていたのだ。
それが、ここ最近になって諸事情があって、娘と二人でその先生のところから別のお教室へと移ることにしたのだ。
ただ、そこで出会ったメンバーがとても素敵だったのだ。
全員バレエが好きで、上手くなりたいという共通の想いが強くあって、さらにはプライベートでバレエ以外の話でもとても気の合う仲間だったのだ。
それでも、バレエのお稽古だけは、そこを離れざるを得なくなったので、メンバーと一緒にお稽古出来ないのは寂しいのだが、そのような決断をしたのだ。
 
そして、つい最近、そのメンバーの人たちと、夜ご飯に行ったときのことだ。
 
「やっぱり、お稽古の時に2人がいないとなんか物足りないね」
 
「ゆりさんがいると、場が明るくなるから楽しかったのに」
 
そんなことを言ってもらえたのだ。
それが本当に嬉しかった。
 
私は、幼い頃は内弁慶と言われるほど、家の中ではやりたい放題、わがままも言えたのに、一歩外に出ると、母の知り合いの方にあいさつも出来ないくらい、恥ずかしがり屋で母の後ろに隠れてしまうような子どもだった。
小学校では、初めて周りの友だちをまじまじと観察することとなった。
自分から話しかけられない分、黙って人を見ている時間が長かったのだ。
そうすると、まるでお人形のようにかわいい子や、お勉強や運動に長けている子。
友だちといつもワイワイと楽しそうにしている子など、自分以外の全ての子が羨ましくてたまらなかったのだ。
 
どの友だちとも自分をいちいち比べては、自分が劣っていることを再確認している作業では、自己肯定感が育まれる訳がないのだ。
どんどん自信を失って行く私は、ますます友だちに声をかけることなど出来なかったのだ。
それでも、そんな私にも、声を掛けてきてくれる、比較的おとなしめで、控え目な友だちといつも一緒にいることが常となっていった。
 
子どもの頃の思考というのが、私の場合、ずっと長く引きずることとなった。
というのは、相変わらず自分以外の人を観察して、自分と比べて落ち込むということを続けていたからだ。
中学校でも、高校でも、私が学校で友だちとの関係をフェアに持てるようなことはなかった。
いつも自分は一歩下がっていたり、低い位置に置いてしまったりするクセがあったからだ。
 
ただ、そんな中でも、中学校で初めて学んだ英語だけは、私と相性が良かった。
塾の先生に丁寧に教えてもらい、比較的理解が早かったこともあって、中学校、高校と他の科目はともかくとして、英語だけは良い成績だったのだ。
私の学生時代、唯一の自信が持てたのが、この英語だった。
逆に言うと、英語がなければ、私の人と自分を比べて落ち込む行動はさらにエスカレートしていって、自己肯定感は崩壊していったかもしれない。
それでも、友だち関係は、やはり自信がない分、深く人と関わろうとせず、うわべでの付き合いのようなことしか出来ず、心を分かち合うこともなく、ずっと長く続けられる友情関係は持てなかった。
 
私の幼い頃からの記憶において、そんな人間関係しか築けないというキズがあるものだから、大人になっても私は人との付き合いにおいて、どれくらいこちらから誘ったり、提案したりしていいのかわからないままだったのだ。
ママ友との付き合いもその時だけのもので、趣味のお稽古のお仲間とも当たり障りのない付き合いしかやってこなかった。
 
ところが、昨年、還暦を迎えた時に、こんな話を聞く機会があったのだ。
日本の女性の寿命は世界でもトップクラスである。
だとしたら、私だってそうなるのかもしれない。
そうなった時に大切なのは、コミュニケーションが取れるかどうかだと言うのだ。
身体的に長生きが出来ても、周りの人間とのお付き合いが出来るかどうかで、社会生活が良好に送れ、精神的な健康が保てるということ。
確かにそうだ。
ただ、身体が元気であっても、人との付き合いが出来ずに家に引きこもっていたら、社会的に健康であると言えるだろうか。
人間は、人と関わり経験を積み、学んでゆく生き物でもある。
そこには、時に煩わしいことも、面倒なことも起こるかもしれない。
そんなことも含めて、人との関係を紡ぐことが、実は社会的に健康であると言えるのかもしれない。
 
そこにはさらに課題があって、そのコミュニケーションを取る相手は、たいていの場合年下になるというのだ。
女性は長生きするとは言え、同世代は少しずつ減ってゆくはずだ。
そうなってくると、私が付き合ってゆくのは自分よりもずっと若い世代の人たちになるのだ。
そんな人たちと、話しが合うのか。
そんな人たちと、行動を共に出来るのか。
長生きをすることによって起こる問題というのを、あらためて知ることとなった。
長生きに関しては、これまでならば、いかに身体に良いモノを食べて、適度に運動をして、身体的なことばかりを意識していた。
でも、ただ身体が動いていて90歳となったとしても、家でテレビを見ているだけの人生だとしたら、そんな長生きはしたくないと思う。
私の幼い頃のようなことをやっていては、私の老後はとても寂しくつまらないものになってしまうのだ。
 
そういえば、近くに住む実家の母が以前話していたことを思い出した。
母は、昭和8年生まれ。
今年の誕生日を迎えたので、今は91歳となっている。
そんな母は、私が学生の頃から小学校の同級生の人たちと、よくご飯を食べに行ったり、旅行に行ったりしていた。
とても仲が良くて、そんな話もよく聞いていたのだ。
ところが、ふと気づいたときには、もう同級生の人の話が出なくなっていたのだ。
そこで尋ねてみると、ある方はもうすでに亡くなってしまっていたり、施設に入っていたり、さらには、デイサービスに行っているから忙しいと言うのだ。
 
じゃあ、今は誰と遊んでもらっているの?
 
母は、常に誰かとご飯を食べに行ったり、お花見などのイベントに参加したり、お買い物に行ったりしていると言っていたので、その相手は誰なのかと思ったのだ。
すると、「お母さんよりも15歳ほど若い人たちなのよ」と、言うのだ。
よくよく聞いてみると、相手は75歳くらいの人たち。
お買い物先で話したことがきっかけで、仲良くなったとか。
カラオケ教室で知り合ったとか。
そんな、今、母がお付き合いしてもらっている人たちは、75歳。
15歳若くて、75歳か……。
私は一瞬、意味がわからなかったが、本当にそうなのだ。
そう思うと、私の母は、身体は健康で毎日自転車に乗って買い物に行き、実家のマンションを経営している。
友人関係は、15歳も若い人たちと日々、お茶を飲んだり、食事をしたり、遊びに行ったりしている。
これこそが、コミュニケーションを良好にとって、元気で楽しい人生を送っている人だったのだ。
そんな母を見ていると、美味しいモノがあると知ると、お友だちを誘ってすぐに行っている。
私たち母娘にたいしてもそうだ。
とにかく、自分の想いで人を誘っているのだ。
そんな積極的な姿は、かつて私が絶対に出来なかったことだった。
だって、断られたらどうしよう。
だって、こんな私と一緒にいたいのかな。
そんなことばかりを思って、自分の想いを伝えることを避けて来た人生だったのだ。
 
それでも、先日辞めたバレエのお教室のメンバーが、私がいないと寂しくなったと言ってくれた時に、なんだか胸が熱くなったのだ。
そんなふうに私を思ってくれているなんて、これほど嬉しいことはないのだ。
かつて、幼い頃には思うように取ることが出来なかった、友だちとのコミュニケーション。
 
昨年、還暦を迎えるような年齢になって、その間、私なりに周りの人たちとのコミュニケーションを、懸命に取ることが出来るようになっていたのかもしれない。
あんなにも取り柄がないと思っていた私にも、場を明るくしたり、一緒にしゃべっていたいと思ってくれたりする友だちが出来ていたのだ。
 
それならば、そんなふうに思ってくれる人たちがいるならば、私はこれからの人生、私の方からも、私の素直な気持ちを伝え、一つでも多くの楽しい経験を共にして、素敵な思い出を作れるような、そんなふうになってゆきたいと心から思ったのだ。
 
最近、よく耳にするようになった「人たらし」ということば。
最初は、よくない意味なのかと思っていたのだが、周囲から愛される人のことを指す意味らしい。
ああ、それならば、私もそんな人間になってゆきたいと思うのだ。
還暦を迎えて、「私は人たらし」と呼ばれることを志願したいと思った。
 
それくらい、周りの気の合う友だちと共に時間を過ごし、経験をし、刺激をもらうことで、これからの人生をさらに楽しいものにしたいと思うからだ。
ただ、身体が健康なだけの長生きではなくて、人とのコミュニケーションを良好にとれて、なんならば「人たらし」と呼ばれるような人生にしてゆきたい。
 
ああ、そうなると、きっとこれまでの60年間よりも、楽しい時間がこの先の人生に待っていそうな気がするのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

関西初のやましたひでこ<公認>断捨離トレーナー。
カルチャーセンター10か所以上、延べ100回以上断捨離講座で講師を務める。
地元の公共団体での断捨離講座、国内外の企業の研修でセミナーを行う。
1963年兵庫県西宮市生まれ。短大卒業後、商社に勤務した後、結婚。ごく普通の主婦として家事に専念している時に、断捨離に出会う。自分とモノとの今の関係性を問う発想に感銘を受けて、断捨離を通して、身近な人から笑顔にしていくことを開始。片づけの苦手な人を片づけ好きにさせるレッスンに定評あり。部屋を片づけるだけでなく、心地よく暮らせて、機能的な収納術を提案している。モットーは、断捨離で「エレガントな女性に」。
2013年1月断捨離提唱者やましたひでこより第1期公認トレーナーと認定される。
整理・収納アドバイザー1級。

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2024-03-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.255

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