週刊READING LIFE vol.257

海外赴任の準備に一番大事なこと《週刊READING LIFE Vol.257 忘れない》


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2024/4/9/公開
記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「えっ、私のこと? なんでそんなこと言うのかな……」
 
私は、まだ太陽が昇り切らない午前中、赴任先の会社のローカルスタッフの奥さんと市場に買い物に時々連れて行ってもらった。
新鮮な野菜や卵などが手に入る、活気のある市場だった。
ところが、ある日のこと、その市場に一人で行ったときのことだった。
見知らぬおじさんが、私のことを指さして、「日本人、日本人」と、言い出したのだ。
その目には、明らかに私を、日本人を嫌っている想いが見て取れた。
そういえば、先ほど香菜や玉ねぎなどのお野菜を買った店のおばさんも、あきらかに私にだけ高い値段を言って来た。
その時、私はあらためて、この国と日本との歴史での関係性を思い起こしたのだ。
 
1993年6月。
私は、その年の2月に結婚し、9年勤めていた大阪の商社を寿退社して、夫の海外赴任に伴った。
赴任先は、お隣の国、台湾。
海外赴任へは、私がずっと憧れたがあった。
海外生活というものをしてみたいと思っていたのだ。
勤めていたのが商社ということで、同期や上司など、周りの人たちも、海外駐在や海外へ研修のために行くということが身近でたくさんあったのだ。
そんな話を聞いたりしているうちに、私の中にも海外への憧れが膨らんでいったのだ。
そんな時、同じ会社の年下の男性と結婚することになり、台湾での新しい会社への赴任者に立候補するように促したのだ。
すると、願いが叶い、晴れて海外生活をすることとなったのだ。
 
台湾というと、日本から近い国だということは良く知っていたが、具体的にどのような国なのかはわからなかった。
アメリカやヨーロッパに関しては、情報がたくさんあって、社内でも駐在経験者がたくさんいたのだが、台湾のことを知る人は少なかったのだ。
 
そこで、大阪の大きな書店に行って、台湾のことがわかる本、さらには海外駐在員向けのハウツー本を手に入れた。
私たちの海外赴任がわかると、台湾に駐在していたという上司が声を掛けて来てくれて、色々と話をしてきてくれた。
本の情報と、何年か前に駐在していた上司の話を頭に入れて、私は赴任の準備を進めた。
海外生活での大きな壁となるのは、やはり言葉だ。
台湾の公用語は北京語なので、私は約半年ほど自ら中国語の教室にも通った。
日常での最低限の会話がわかるように、基本的な準備はしていこうと思ったからだ。
 
こうして、慎重に準備を重ね、いよいよ台湾での生活が始まった。
私たちの住まいは、台湾の首都、台北から車で一時間半ほどにある新竹市という街だった。
同じマンションには、赴任先の会社のローカルスタッフも住んでいて、日々の生活は何かと面倒を見てくれた。
買い物にも連れて行ってくれたり、台湾での生活においてのあれこれを丁寧に教えてくれたりしたのだ。
ローカルスタッフたちとは、一緒にご飯を食べに行ったり、観光や有名な夜市へも連れて行ってもらったりもした。
日本語が堪能な彼らには、本当に助けられたものだ。
 
そんな中、私が最初にカルチャーショックを受けたのは、彼らが自分の国、台湾のことを本当によく知っているということ。
自分たちの国に誇りを持っていて、その歴史や思想、さらには現在の人口や経済の成長具合など何でも語ってくれるのだ。
一方、私は、自分が住んでいた街の人口を尋ねられても答えることが出来なかった。
ましてや政治や詳しい歴史など、あやふやでもっと答えられなかった。
 
私は、海外、台湾での生活が始まるのだから、生活に困らないように、何を持って行ったらいいか、言葉をしっかり話せるようにしよう、というような台湾での生活に困らない準備にしか意識が向かなかった。
迎える側としては、私たち日本人に対してとても興味を持ってくれたわけだ。
だから、あなたの国、日本ってどんな国ですか?と、たくさん質問してくれるのに、私は何も答えられないことがとても恥ずかしかった。
ただ、海外での生活がかっこいいから憧れて。
その国での生活が快適になることばかりを考えていたのだ。
 
特に、当時は、台湾の人たちは、日本にとても憧れを抱いていた時期でもあった。
日本のファッション、音楽など、全てが憧れのようで、マネをしたいといった風潮があった。
ちょうど、日本人が欧米に憧れるのと同じような感覚だったと思う。
だから、余計に私たち日本人に興味を持ってくれていたのに、私はそもそもの心構えが抜けていたのだった。
 
そんな中、マンション近くの小さな市場で、日本と台湾の歴史の遺産のような経験をしたのだ。
そうか、戦争によって、日本が台湾を一時期統治していた時代があって、その時代を生きて来た人たちは、様々な思いを抱きながら人生を歩んできたのだ。
そんなことを実際に肌で感じることとなって、私は初めて考えさせられた。
 
海外で生活をすることって、旅行とは違って、その国との関係をしっかりと心得ておくことが礼儀だったのかもしれない。
また、日本人との気質の違いもあって、日本での常識を基準に考えると、日々イライラすることもたくさんあった。
何しろ、今から30年も前のことだから、仕方がないことなのだけれど、生活するということは、そんな経験も多いにすることでもあった。
台湾での生活は、同時に日本の良さや有難さをあらためて知る経験でもあった。
当たり前のように日本で出来ていたことは、異国では全く通用しないのだ。
 
特に、言葉の壁は大きかった。
会社を辞める時、私は仕事でも経験を積んで、後輩に指示をすることも多くなっていた。
仕事でも、日常生活でも、全て自分で考え、行動出来るような年齢だった。
ところが、台湾での生活では、例えばお洋服を買いに行っても、「色違いはありますか?」は、言えても、「ウエストを少し詰めてもらえますか?」というような複雑なことは言えなかった。
なので、後日、夫やローカルスタッフについてきてもらって、お願いしなければならず、一つの仕事を即座に終えることが出来ないことが情けなかった。
そんな苦い思いもたくさん経験した。
 
それでも、何とか日常のことは自分で出来るようにトライしていて、ある日郵便局で出金しようとしたときのことだった。
窓口の出金票には、漢字で金額を書かなくてはいけなかった。
1000円は、壱阡円といったように、旧字体を書く必要があった。
そこで私は、メモに、壱、弐、参、肆、伍、などと数字を書いて持ち歩いていたのだ。
私が、ようやく書き終えた出金票を窓口に出すと、担当の女性は流暢な日本語で話しかけてきてくれたのだ。
「日本の方ですね。 この国の郵便制度は、日本がかつて台湾を統治していた時代に制定してくれたんですよ。
そのおかげで、今、便利に快適に流通することが出来ているのです。とても有難いことです。
何かお困りのことがあれば、おっしゃってくださいね」
 
そのようなことを言ってくれたのだ。
私は、この女性の流暢な日本語も、当時、日本語を公用語とされていたことがあって、ある年代より上の人たちは、日本語を話すことが出来るとは聞いていたが、とても美しい言葉で話してくれたことにとても救われた気がした。
以前、マンションの近くの市場では、心無いような態度を示されて気持ちが萎えることがあったが、このように称えてくれる人と出会うことで、私はとても日本人であることが誇りに思えたのだ。
 
遠い昔、近い国同士がそれぞれの主張を通すために残念な闘いを繰り返していたこと。
その事実は変えられず、その中でどのような体験をしたかによって、その後の人生をも変えて行ってしまうということ。
私自身、祖父母から伝え聞くことでしか実際のこともわからず、歴史の勉強でも流れるように学んだ程度だった。
でも、その時代に生まれ、その真っただ中を生き抜いてきた人たちの想いとは、計り知れないものなのだ。
海外の知らない国、でも、自分の知りえない時、所で、大きく関係性を持ったことがある歴史については、その国の言葉を学ぶ以上に、心得てゆくことが礼儀だったと痛感した。
 
海外旅行ならば、「いいとこどり」だけでもいいのだろう。
楽しい時間を過ごせて、良い思い出を作るのが旅行だから。
でも、知らない土地で生活をするということは、その時だけでなく、過去へと遡り、そこからの自分の国との関係をしっかりと把握することが大切だったのだ。
 
台湾での海外生活の思い出は、もちろん異国情緒を味わったり、美味しい現地の食べ物を食べたり、観光したりといった楽しい経験も数多く記憶に残っている。
それでも、やはり私が一生忘れないのは、日本とその国との歴史や関係性を知り、そのことを踏まえて、現地の人たちと接して生活をしてゆくことだということ。
この点が、私の海外赴任生活での最も大きな学びとなった。
 
それでも、色々とあった台湾での生活。
時にはイライラすることもあったけれど、やはり住めば都と言われる通り、私にとっては第二のふるさとのような想いを抱いている。
あれから30年が経ったが、もう何度も台湾を訪れている。
やっぱり、住んでみて、好きになった国だ。
そろそろまた、台湾へ行きたくなったな。
 
あの大きな太陽からの容赦ない陽ざし、色とりどりの瑞々しいフルーツ、日本人の口にとっても合う台湾料理。
第二のふるさとの全ては、やはり何年経っても恋しいものだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

関西初のやましたひでこ<公認>断捨離トレーナー。
カルチャーセンター10か所以上、延べ100回以上断捨離講座で講師を務める。
地元の公共団体での断捨離講座、国内外の企業の研修でセミナーを行う。
1963年兵庫県西宮市生まれ。短大卒業後、商社に勤務した後、結婚。ごく普通の主婦として家事に専念している時に、断捨離に出会う。自分とモノとの今の関係性を問う発想に感銘を受けて、断捨離を通して、身近な人から笑顔にしていくことを開始。片づけの苦手な人を片づけ好きにさせるレッスンに定評あり。部屋を片づけるだけでなく、心地よく暮らせて、機能的な収納術を提案している。モットーは、断捨離で「エレガントな女性に」。
2013年1月断捨離提唱者やましたひでこより第1期公認トレーナーと認定される。
整理・収納アドバイザー1級。

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2024-04-03 | Posted in 週刊READING LIFE vol.257

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