断捨離をして気づいたほんとうに必要なもの《週刊READING LIFE Vol.293 出してからおいで》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「新・ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2025/1/20/公開
記事:マダム・ジュバン(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
(この話はフィクションです)
「断捨離しなきゃいけないってわかってるんだけど、ねえ」
「私だってもうクローゼットパンパンよ。でもまたつい買っちゃうのよねえ」
「わかるう……」
40代とおぼしき女性3人組の目下の話題は服の断捨離か。
カフェでひとり本を読んでいた私の耳に否応なく入ってくる果てしないお喋り。
いつもならちょっと眉をひそめてしまうが、今日は心なしか耳をそばだててしまう。
「やっぱりさ、シーズン毎に新しい服買いたくなるじゃない?」
「そうそう。それくらいしか楽しみ無いし」
「それに昔と比べて服は安くなった。だからつい買っちゃう」
「私なんて気づいたらユニクロの服ばっかりよ」
「やだ私もよ」
「でさ、いざという時着る服が無いのよ!」
「そう、とっておきの服はもうキツくなってたり……」
「あるある~!!」
女たちのお喋りは止まらない。かつては私もこんなひとりだった。
でも今は違う。
私のクローゼットを思い浮かべる。
すっきりと片付いたそこにはお気に入りの服しかない。
その中でどうコーディネートするか考えるのも楽しい。
あの日出会ったあの女(ひと)。
あのひと言が私を変えたから。
そうあれは3年前の冬だった。
春になったら……。
毎年、春になったら何かいいことが起こりそうな気がするのは私だけだろうか。
少女のように新学期に胸をときめかせていた時代はとうに過ぎた私だが、それでも春が待ち遠しかった。
首元まで包むヒートテックを脱ぎ捨て、薄くて衣擦れも心地いいブラウスを買おう。
今年は何色が流行るのだろう。去年のサーモンピンクも一昨年の薄い黄緑のブラウスもあるにはあるが、やはり新しい服が欲しい。
服は私にとって甘いカクテルのようなものだった。
口当たりがよくて軽い高揚感があるけれど、すぐに醒めてしまう。
買う時にあんなに心が躍った服も、我が家のクローゼットに収まった途端その輝きを失
った気がした。
どうせすぐに廃れる流行りの服だから?
元々着こなすセンスが無いからなの?
ああそんな自問自答を考えるのも鬱陶しい。
だからまた新しい服を求めてしまうのだ。
まるでカクテルをお代りするように。
シーズン毎に変わるトレンドの新しくて手頃な服を買いまくって、私のクローゼットはいつもパンパンだった。
そんな私が秘かに憧れてやまないショップがあった。
横浜元町の裏通りにひっそりと佇むショップ「N」だ。
いつだったかInstagramで紹介されたこの店に強く惹かれ、ずっとスマホに保存していた。
店主のマダムは、かつてファッション業界でその名を知らない者はいないと言われたカリスマモデルだった女性だ。
今は自分の好きな服だけ置いた小さな店を営んでいるらしい。
小春日和の休日、私は意を決してその店を訪ねてみることにした。
元町のレンガ通りの角を曲がると少しくすんだ白壁の家が現れる。小さな蔦の葉がこの店を守るかのように壁を覆っている。
カランコロンとドアチャイムの音色も優しいドアを開けると、そこはもう異世界である。
まるでロード・オブ・ザ・リングのホビットの家を彷彿とさせるような木の内装。
流行とは無縁だが決して古くささを感じさせないオリジナリティー溢れるワンピースたちが数点、手編みのアランニットのセーターと帽子が数点、まるで貴重な美術工芸品のように陳列されている。
「こんにちわ」おずおずと声をかけた私に、老婦人がやっと振り返った。
「いらっしゃい」
グレイヘアを小さなシニヨンに結い上げた色白の顔には深い皺が刻まれているが、その皺さえもが彼女を気高く見せていた。
貝ボタンをきっちり首元まで留めたワンピースが、華奢な身体にため息がでるほど似合っている。
「ずっと憧れていたんです。やっと来ることができました」
「そう」
素っ気ない返事に気後れしたが、憧れの店で私のテンションはあがったままだった。
「これ試してみてもいいですか?」
どれもこれも可愛くて着てみたい。その中でこれはと思う1着を選んでみた。
「どうぞ、こちらへ」
案内された小部屋で選んだ薄紫のワンピースを試着する。
鏡の中の私は薄い紫が顔に映えていつもより若く見える。
「これ、頂きます!」
「でもこのセーターもいいなあ」
「そちらは1点ものよ」
「そうですよね。ああでももうクローゼットに入らないわ。欲しいけど……」
私はため息をついた。
「あなた、クローゼットいっぱいなの?」
私はすっかり肉がついた裸を見られたような恥ずかしさをおぼえた。
この人に嘘はつけない。
長い睫に縁取られた瞳が真っ直ぐに私に問いかけてくる。
「そうなんです。季節が変わる度に服を買ってしまい、すぐ飽きてしまう。だからクローゼットがパンパンなんだけれど捨てられない……」
ぼそぼそとひとり言のように呟く私にマダムは言った。
「出してからよ」
「は?」
「まずはリサイクルなり何なり断捨離をしてから、またおいでなさい」
「え? でも私この服が欲しいだけで……」
「いい? 服を選ぶのは、その人の心を映すことよ。心に余裕がないと、本当に似合うものは見つからないのよ」マダムは続けた。
「私自身、長い間ファッション界にいて有り余るほどの服を持っていたわ。それに誰もが私をカリスマモデルだってちやほやした。
でもある時気づいたの。
私に本当に必要なもの、必要なひととだけ暮らしていければいいって。
あのひと死んじゃったけどね」
「はあ」
「好きなものだけ、必要なものだけで暮らすってとても心地のいいものよ」
「だからね、悪いことは言わないわ。まず今日のところは帰って。
断捨離をして要らない服を出してから、もう一度この店へおいでなさい」
そう言うとマダムは思いがけない強引さで私を店の外に追い出した。
「なんなんですか! 開けてください!」
どんなに叫んでもドアが開くことは無かった。ご丁寧に鍵までかけている。
なんて店だろう。
客をなんだと思ってるんだ。
私はしばらく腹がたってしかたなかった。
でも私はあの服が欲しい。
いやあのマダムにもう一度逢ってみたい。
(断捨離やってやろうじゃないの……)
真剣な表情で私を追い出したマダムの言葉が胸にいつまでも消えない。
そして断捨離が始まった。
私だってかつて断捨離をしようと、その類いの本を読みあさった時期がある。
でもいつだって中途半端。
一度は綺麗になったと思った部屋やクローゼットに、まるでいつのまにか生える生え際の白髪のように物やら服やらが増えている。
あの断捨離に費やしたあの時間と労力はなんだったのか?
それから私はすっかり諦めた。
でも今度こそ、だ。
そうだ、断捨離のファーストステップはまず家中の衣類を出してみるんだった。
私は過去に読んだ本の知識を思い出し、家中の服を出してみることにした。
その量たるやリビングの床半分を覆い尽くすほどだった。
私のカラダはひとつ。
それなのになぜこれだけの服を集めてしまったのだろう。
「ときめいたものだけ手放す」と本には書いてあったけれど、ときめく服なんて驚くほど少ないじゃないか。
私はいったい何にお金を払い、何を集めてきたのか。
己の愚かさをまざまざと見せつけられた想いで、私は虚しくなった。
(私はどう見られたかったの?)
(どんな時に服を買ってしまうの?)
(本当はどんな自分でありたいの?)
そんな自問自答を繰り返しながら、一枚一枚服と向き合っていった。
オシャレでセンスがいい人に見られたかったけれど、服を買い揃えたところでそれは叶うものでもない。
充たされない何かの代償としてとりあえず服を買っていなかったか?
そして「あの時の思い出の服」「昔思い切って買った時代遅れの服」……。
こんな服たちで私のクローゼットはパンパンだったわけだが、若い頃の思い出にしがみついたところで何になるだろう。
「痩せたら着る服」これも思い切って捨てることにした。
痩せたところでもうミニは似合わない。
服と向き合い断捨離をすることが、精神的にこれほどしんどい事とは思わなかった。
でもなぜだろう。
服を手放すたびに心が軽くなっていく不思議な感覚に襲われた。
マダムの「服を選ぶのは、その人の心を映すこと」という言葉が蘇った。
そうして30着ほどの服が残った。
これでもまだ多いほうだろうが、服好きの私にしてはよく頑張ったといえる。
とは言え選ばれなかった服たちをすべてゴミにしてしまうのは忍びない。
これはあの娘に似合うかも。これはあのリサイクルショップへ。これは買った服を引き取ってくれるショップへ。これはメルカリへ……これはさすがに資源ゴミに出す。
そんな5分類にしていった。
かくして私のクローゼットにはかつて無かった「スキマ」という信じがたく目映い空間が生まれた。
かけられた服たちがかつての輝きを取り戻しているかのように、魅力的に映るのはなぜだろう。
2日かけクローゼットの断捨離を終えた私は、家の中全体の断捨離を進めていった。
もっとも夫の領域には入らなかった。
無用な争いは避けたかったからだが、夫も私に少なからず刺激を受けたようで休みの日には片付けを始めているではないか。
(ヨシヨシ)私は内心ほくそ笑んだ。
3月、私は家の断捨離をすべて終えていた。
断捨離をすることで、始終捜し物をしていた夫も私も心の余裕が生まれた。
ミニマムな習慣が身につくと身体にも不要なものを取り入れたくないという、今までは考えもつかなかった健康志向が芽生えた。
それは結果ダイエットにも繋がった。
もういい頃だ。マダムとの約束は果たせた。
あの店へ行こう。
あの服はまだあるだろうか?無ければマダムに1枚選んでもらってもいい……と心が躍った。
4月。
その年の桜は早咲きではらはらと薄紅色が舞う中、私は元町中華街駅からまっすぐにあの店「N」を目指した。
が、無い。確かにあったはずのあの店が無いのだ。
レンガ通りの角を曲がって、私はもう一度来た道をたどった。
だがそこにあるのはロープで囲われた小さな空き地だけだった。
「嘘でしょ」
あまりのショックに私は目眩をおぼえた。
通りすがりの人が怪訝な顔で見ている。
ふらふらと近くのカフェに入り私は尋ねた。
「あの角のNは無くなっちゃったんですか?」
鮮やかなピンクの髪の若い女性が答えた。
「えぬ?あああそこの店なら、おばあちゃんが倒れて店畳んだみたいっすよ」
「倒れたってどこかに入院されているのかしら」
「さあ」すると奥からオーナーらしき初老の男性が現れた。
「Nのマダムなら入院したよ」
私はその足で聞き出した入院先に出向いた。
一度しか会っていない、縁もゆかりもない老婦人の見舞いをする。
今になって考えればおかしな話だが、そうせずにはいられない何かが私を突き動かしていた。
「マダム!」
西陽があたる病室でそのひとはひとり、窓の外を見ていた。
「あら? 断捨離終わったのね」
「え? 憶えていてくれたんですか、私のこと」
「忘れないわ。だってあなたが最後のお客様だったのだから」
「それにね、私の名前はヨウコよ。もうマダムでも何でもないわ。こんなおばあちゃん」
聞けばマダムは膵臓ガンだという。
私の亡き母と同じ病名ではないか。
「だましだましお店に立っていたけれど、あのあと急に具合が悪くなってしまってね」
「そうだったんですか」
気がつけば私はヨウコさんのか細い手を握っていた。
「断捨離できました。ヨウコさんのお蔭です。だからあの服を買いたいと思って来てみたら……」
「あるわよ。そこの棚の一番下」
指さす方の棚には確かに白い薄紙に包まれたものがあった。
「あなたがいつか来ると思って取っておいたの」
「ヨウコさん……」
それは紛れもないあの時のワンピースだった。
「店の服はすべて姪が保管してくれているの」
その時病室のドアをノックして若い医師が入ってきた。
「ヨウコさん、決心はつきましたか?」
「嫌だわ先生、アタシもう手術なんていいのよ。このままもうあのひとのところへ行きたいのよ」
「困ったな……」
弱り果てる医師の後を追う。
「あの、ヨウコさんの手術って……」
「ああ、お身内の方でしたか。失礼しました。
実は何度もオペを勧めているんですが、本人があの調子で困ってるんですよ」
身内になりすました私は、彼女の病状や手術で患部を摘出すればまだまだ元気になれる可能性を聞き出した。
膵臓ガンであっという間に旅立ってしまった母を存分に看病もできなかった後悔が、私の背中を押した。
「ヨウコさん、私あなたの勧めで断捨離をして、クローゼットだけでなく身も心も軽くなったんです」
病室に戻った私はまた窓の外を眺めているマダムに話しかけた。
「そう、それはよかった」
「だからね、ヨウコさん。あなたにも断捨離して欲しいんです。
お医者様が言ってました。手術を受ければまた元気なカラダを取り戻せるって。
ヨウコさん、要らないガンなんて断捨離してしまいましょうよ!」
「あなた、他人事だと思って簡単に言うけどね……」
「私、あの店をまた復活してほしい。できることがあれば私も手伝います。
でもね、ヨウコさんがいないと駄目なんです。元気なヨウコさんが!」
私の熱い申し出に彼女の目が潤んでいる。
「なんであなたそんなに私のことを……」
「あの時服を売らずに私を帰したヨウコさんを初め恨んでた。だけど断捨離をしていくうちに私にとって本当に大切なものが見えてきた。
だからとても感謝しているんです」
「やだ、私あなたの名前をまだ聞いてなかったわね」
「私ですか。さきです。早いに紀元の紀で早紀」
「早紀さん、あなたと姪が店を復活してくれたら私そこで働いてもいいの?
「もちろんですとも。でもね、ヨウコさん約束して」
イタズラっぽく笑う私に釣られてヨウコさんが微笑んだ。
「わかったわ、あなたの言いたいこと。出してからおいで、ね!」
お問い合わせ
■メールでのお問い合わせ:お問い合せフォーム
■各店舗へのお問い合わせ
*天狼院公式Facebookページでは様々な情報を配信しております。下のボックス内で「いいね!」をしていただくだけでイベント情報や記事更新の情報、Facebookページオリジナルコンテンツがご覧いただけるようになります。
■天狼院カフェSHIBUYA
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6丁目20番10号
MIYASHITA PARK South 3階 30000
TEL:03-6450-6261/FAX:03-6450-6262
営業時間:11:00〜21:00
■天狼院書店「湘南天狼院」
〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸二丁目18-17
ENOTOKI 2F
TEL:04-6652-7387
営業時間:平日10:00~18:00(LO17:30)/土日祝10:00~19:00(LO18:30)
■天狼院書店「京都天狼院」
〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00
■天狼院書店「名古屋天狼院」
〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先
Hisaya-odori Park ZONE1
TEL:052-211-9791
営業時間:10:00〜20:00
■天狼院書店「福岡天狼院」
〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00