週刊READING LIFE Vol.40

若者の方が、コミュ力高いのでは?《 週刊READING LIFE Vol.40「本当のコミュニケーション能力とは?」》


記事:山田THX将治(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 

「孤島に取り残された二人の男が、何十年経っても会話しなかったという。
何故なら、紹介されなかったからだ」
こんなセリフで始まるのが、1945年に製作(日本公開は1976年)されたアメリカ映画『そして誰もいなくなった』だ。監督はフランスの名匠で、『巴里祭』『夜の騎士道』で有名なルネ・クレール。
原作は、アガサ・クリスティーなので、このセリフは、彼女のものかもしれない。または、監督と共に脚色したのが、ダドリー・ニコルズ(名作西部劇『駅馬車』で有名)なので、彼の功績ともいえるかも知れない。
 
私は、普段から気になっているのだが、日本人は往々にして、大勢の前で発表したり意見を言ったり、あるいは質問をする時に、自分から名乗ることをあまりしない傾向にある。
ところが、海の向こうでは、ディスカッション時に先ず名乗ることから始まる。NHKテレビで放映されていた『ハーバード白熱教室』では、マイケル・サンデル教授が必ず、発言を求めた学生に、
「君、名前は何という?」
と問い掛け、それ以降、必ず名前で呼びかける。しかも、アメリカでのことなので、名字(ファミリーネーム)では無くファーストネームを求める。日本では、特殊な場合を除いて、殆ど呼び掛けは名字だ。
 
外国、特にアメリカかぶれがひどい私は、ファーストネーム呼び掛けをよく使う様にしている。但し、女性と年下の男性に限ってだ。
これには理由があり、年上の男性には日本の習慣として、名字で呼ばせて頂いている。私が歳を重ねたこともあり、新たに知り合い付き合う男性に年下が増えてきた。そこで、親しみを込めてファーストネームで呼ばせて頂くことにしている。
また女性の場合は、結婚を機に名字が変わってしまう日本の法律的習慣から、呼び替えるのが面倒という側面がある。その上、もし、その女性が離婚をした時に、再び呼び方を替えずに済む利点もあるからだ。
実は、私の姪(めい)が離婚をしていて、既に就学していた子供の名字をどうするかで相談された経験が有るからよく分かるのだ。それに、私の知り合いの女性で、結婚・離婚・養子縁組・再婚と、幾度も名字が替わった方がいて、ファーストネームで呼んでいた為、何の障害も起こらなかった経験もあったからだ。
 
何故、日本では自分から名乗ることをしないのだろうか。
それは、誰かの紹介が無いと、自分から進んで深く知り合いになろうとはしない国民性からくるような気がする。奥床しいという言い方も出来るが、中々本音を出そうとはしないとも言い換えられる。
これは、欧米人に比べ日本人は、自分の意見をハッキリ言えず、その場の雰囲気に自然と合わせることを、美徳として考えるところからくるのかもしれない。“空気を読む”という奴だ。
ところが、こうした“空気を読む”傾向が、その場の総意ということになる場合が多い。行き着く所は、総意が好結果を生んだ時に、誰がそのお宝を手にしてよいかが不明確となる。また反対に、結果が思わしく無かった時に、誰もがその責任を取ることから容易に逃げることを可能にしてしまう。
言い換えるならば、自ら名乗らないことが、各自の意見を不明確にし、責任から逃れさせているということになる。その代わり、功績を得るチャンスを放棄することになっているのだ。
 
これは、日本独特の『僻み』の構図となって出て来る。何の努力もしない者が、勝者(成功者)の小さな欠点をあげつらい、つまずく様子を見て安堵しているに過ぎないのだ。そんな小さい考え方をするより、自ら手を挙げ、
「Winer take all(勝者全取り)」
と言い切る方が、本音に近いのではないだろう。
従って、先ず名乗るというコミュニケーション力が、成功への第一歩と言っても良いのだろう。
 
ここまでは、私の様な、昭和的生き方をしてきた者の考え方だ。何事も、他より一歩先んずることで、好結果が出ると信じている、実に暑苦しい考え方だ。どんなに困っても、コミュニケーション力さえあれば、何とか乗り越えられるという勘違いだ。
私を含めてこういった輩(やから)は、往々にしてネットで物を買うことが出来ない。必要以上のコミュニケーション力が邪魔をし、自分と他との間合いが無いからだ。開けっ広げな性格によって、周りとの距離が近くなり過ぎているのだ。それにより、何でも自分の目や手で確認しないと、納得することが出来なくなっているのだ。
それにより、画面と文字の情報によるネット販売に手を出せないでいる。その商品やサービスと、必要以上のコミュニケーションを求めるあまり、ネットの距離感では満足出来ないでいるだけなのに。
 
私達、昭和世代のコミュニケーションは、21世紀になり令和に改元された現在、必要以上の能力になりつつあるのかもしれない。何故なら、現代の若者達は、ネットで物を買い何の不自由も感じていない様にお見受けするからだ。買い物に使う時間を、他の私用に使い、私達が得ること無かった別次元のコミュニティを形成している。私達のコミュニケーション力は、無用とは言わないまでも、使わなくとも十分な満足を得られる社会になっているのだ。そのことに気が付いていない、昭和人の過剰なコミュニケーション力は、もはや一部の社会でしか通じないガラパゴス化した能力だと思う次第だ。
 
昭和人から見ると、現代人の理解出来ない行動に、新卒で就職した者が数年で3割以上が離職するということだ。私達は、余程の事が無い限り、就職先を変えるとは考えなかったものだ。余程の事とは、家族の事情や独立して起業する等のことだ。就職は、正確には就社だっただけだ。
それと同じ様に、離婚する者も少ない。結婚は、添い遂げることを前提としているのが当たり前だった。多少の事には目をつむり、小さな我慢を重ねて居り合っている。そこには、自分のコミュニケーション力を過信した、勝手な解釈が存在しているのも事実だったりする。
その為に、結婚する前には、相手となる異性を、必要以上に観察し、知ろうとする。その前に、自らのコミュニケーション力を使って、『数撃ちゃ当たる』方式で知り合う異性の量で勝負に出ようとする。昭和時代の、特に男子社会のヒエラルキーで、その最上位に来るのが学の有る者でも金持ちでも無く、女性にモテる男子だ。これひとえに、コミュニケーション力の勝負ということだ。
 
一方、現代はというと、異性と知り合うのにネットアプリを使ったりしているらしい。昭和人からすると、真面目に付き合おうとする相手を、ネットの情報だけでよく判断出来るものだと感心してしまう位だ。しかし、若者達は、異性と知り合い付き合う様になるまでの時間を、少しでも無駄にしたくないという。
よって、ネットの少ない情報で、結婚まで至る異性を探すことが平気らしい。また、そのこと自体に、何の不思議も不自由も感じないという。
昭和人からすると、多少なりとも不安が残るが、時代の流れと納得するしかない。
 
多分、現代の若者達は、私達の様な過剰なコミュニケーション力を必要とはしていないのだろう。
むしろ、私達より若者のコミュニケーション力が、高感度で緻密で高速に進化していると思った方が、健全なのかも知れない。
 
今後悩まされるとしたら、ネットで知り合い結婚するカップルから、
「知り合った切っ掛けを、親や親戚にどう説明したらいいでしょう」
と問われた時だろう。
今のところ、私の回答は、
「電脳に紹介された」
と煙に巻くしか考え付かないのだけれど。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
山田THX将治( 山田 将治 (Shoji Thx Yamada))

天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター
1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり

http://tenro-in.com/zemi/86808

 


2019-07-08 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.40

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