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週刊READING LIFE Vol.40

ミスター慇懃無礼(いんぎんぶれい)と言われて《 週刊READING LIFE Vol.40「本当のコミュニケーション能力とは?」》


記事:高林忠正(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「君たち、先輩を真似するんですよ」
 
明日から百貨店の店頭で働き始めるという研修最後の晩、叩き上げの総務部長からの訓示は、短く、強かった。
 
もとより、初対面の人と接することは得意なほうではない。
そんな私が百貨店で働くことになったのは、たまたま運動部の先輩から誘われたことがきっかけだった。
 
「日本の流通業を背負って立つ」
「流通革命を起こす」
「新たなビジネスチャンスを作り出す」
というような大それた志はまるでない。
 
ましてや、「百貨店の社長になる」という熱い想いもなかった。
 
あったのは、せめて「一人前のビジネスマンになれたらなぁ」くらいのもの。
そんな私にとって、百貨店の店頭で働く=先輩や同僚をただ真似るしかなかった。
まさに総務部長のひとことは、私にとっての金言以外のなにものでもないように思っていた。
 
私は、日本橋の本店に配属となった。
 
百貨店の朝は早い。
午前10時開店の2時間前に現場に入るのはザラだった。
 
入荷した品物をダンボールから出して、店頭のケースに並べるいわゆる”品出し”からすべてが始まる。
それが終わればケース内の整理整頓。最後は清掃を行って、お客さまをお迎えする準備が終了する。
開店前のルーティーンを先輩をはじめ、女性社員たちは、スムーズにしかもスピーディーに行っていた。
 
この人たちについていかなければ、自分はこの会社で生きていけないと思い始めていた。
 
すべてが真似から始まっていた。
仕事の流儀をはじめ、身体の動き、そして一挙手一投足まで、まわりにいる人がモデリング対象だった。
3日、3週間、3ヶ月というステップで人は順応していくのかもしれない。
私の体感覚では、最初の3日でその場の雰囲気に慣れ、3週間で人に慣れ、3ヶ月で仕事に慣れるというものだった。
 
当初、販売は不向きだと思っていたものの、日にちの経過とともにだんだん動ける身体になってからは、面白さを感じ始めていた。
 
身体だけではなかった。
周りの人たちが言う言葉や、言い回しに自然に影響を受け始めていた。
「いらっしゃいませ」という言い方も、トーンとイントネーション、さらには言ったあとの「間(ま)」も先輩のコピーとなりつつあった。
 
真似をすることをなんの疑いもなく行っていた。
先輩のとおりにしていれば問題はないと、自分で思い始めていた。
そこには、なんの「疑問符?」もなかったのである。
 
ただし、先輩たちが日常使っているフレーズで、あとから思うと気になるものがあった。
 
お客さまがクレジットカードなどでのお買い物をされる場合、所定のフォーマットにサインをいただくのが常である。
 
一例を挙げると
「お客さま、お名前さまをお書きいただいてもよろしゅうございますでしょうか?」
 
「お客さま」という言葉はそれでいい。
 
問題は次である。
「お名前さま」
という言葉である。
 
名前に「お」をつけて「お名前」ならば問題はない。
さらにそこに
「さま」をつけるのである。
 
お・名前・さま
 
普通だったら、お名前だけでいいところに、”さま”をつけるのである。
 
先輩も同僚も一様に「お名前さま」と言っていた。
私も気づくと、「お名前さま」と言い始めていた。
 
当事者になるとは不思議なものである。気づくと疑う気持ちはなくなっていた。
 
さらに、「お書き」、「いただいても」、「よろしゅうございますでしょうか?」である。
 
最初、ていねい過ぎない? 長すぎない?と無意識に感じてはいたが、先輩をはじめみんながそうしているのを見ていた。
「まさに、赤信号、みんなで渡れば、怖くない」を地でいくようなものである。
 
いつしか、「これでいいのだ」と無意識に納得していた。
 
単純にみんながこの言い方をしているからというだけの、都合のよい解釈に過ぎなかった。
 
第一、お客さまはなんにもおっしゃらない以上、問題はないだろうという理由からだった。
 
しかし、そのしっぺ返しはある日突然やってきた。
 
カシミヤのセーターのお買い物だった。
お客さまは、関連会社の社長さんで、同時に百貨店の取締役をされていた。
もとはといえば私たちの先輩でもあった。
 
お支払いの際に、クレジットカードを提示された。
クレジットカード専用のフォーマットにを差し出した私は、いつものトークが自然に出た。
「お客さま、恐れ入りますが、お名前さまを、お書きいただいてもよろしゅうございますでしょうか?」
 
そのとき、お客さまがほんの何秒間か沈黙したのである。
会話のなかに「間(ま)」生まれた。
 
「君って、自分の言っている日本語をどう思う?」
 
唐突な質問だった。
 
どう思うって言われたって!?
まわりの先輩たちが日常使っている言い方だし、なにか問題ってあるんだろうか?
 
「君の言っている『お名前さま』という言い方だよ」
 
一瞬、なにを言われたのかと思った。
 
「名前に”お”をつけて、”お名前”というのはいい。しかし、それに”さま”をつけるのってどう思う?」
 
(”お名前さま”っていう言い方はよくなかったのだろうか?)
 
「自然じゃないんだよね。それに、”お名前さま”っていう日本語はないんだよ」
 
初めての経験である。言い方についての指摘というよりも、むしろきつい注意だった。
 
「クレジットカードで買い物するときは、(この店の)どこでも、”お名前さま”、”お名前さま”って、不愉快極まりないよ」
 
私はすでに固まってしまっていた。
 
「日本を代表する小売店の君たちが、そんな言い方をしていて、恥ずかしくないのかい」
 
なにも考えることなく真似をしただけだった自分だった。
途端に恥ずかしく思えてきた。
 
「君のような人を慇懃無礼(いんぎんぶれい)って言うんだよ」
 
慇懃無礼……
人生で初めて言われた言葉だった。
自分では日々、ベストを尽くしてきたつもりなのに。先輩や同僚、まして上司からはなにも指摘されてはこなかった。OBとはいえ、お客さまから直接言われたことはショックだった。
 
「お客さまの立場に立つって言いながら、自分本位で機械的にやっているのに過ぎないじゃないかい」
 
ひとことひとことが、自分の心にボディーブローのように効いてきた。
 
視界にはそのお客さまだけだった。同僚たちは見えなかった。
そのあと、なんと言ったか、お品物をどのようにお渡ししたか、まったく記憶が残っていない。
「慇懃無礼」というフレーズが、まるでぬぐっても拭いきれない灰汁(あく)のように、体幹に残ってしまった。
 
変わったことといえば、クレジットカードでお買い物をするお客さまに対して、それ以来、「ご署名をお願いいたします」とだけ言うようになっていた。
 
「真似をする」
いったい誰の、なにを真似すればいいんだ。
迷いの連鎖が広がっていった。
結論が出せないまま、時間だけが過ぎていった。
 
2年後、入社以来お世話になっていた本店から異動となった。
異動先は本店に比べて小規模な店舗。社員の数も少なければ、来店されるお客さまも決して多くはなかった。
もちろん業績も本店とは比べものにならない規模である。
ただなぜか家庭的な雰囲気のある職場だった。
 
同じセクションに入社35年の先輩がいた。
課長や主任よりも年長の販売の生き字引といえるような人。いつも笑みを絶やさない反面、口数は多い方ではない。
お客さまの前では同僚と親しそうに話す姿は見たこともなかった。
なにか気づいたことがあると、すぐに胸元のメモを取り出して書こうとする人だった。
その方の担当は、英国製の陶器だった。
 
ある日、その方が担当するショップに50代のエグゼクティブ風の紳士とその奥さまがご来店された。
 
広さ30平方メートルほどのショップ。
「いらっしゃいませ」と言った先輩は、一瞬の間、ショップから離れた。
しかし、視線はお客さまにあった。
 
ショップには、そのご夫婦だけである。
おふたりでひとしきり品物をながめたあと、最初に目が留まった品物のまえに戻った。
 
ご主人がティーソーサーを1つ手に取って、上から、下から品物を確かめているときだった。
先輩がすり足でそぉーっと近づいたかと思うと、お客さまにとって右斜め後ろ45度の位置に立ったのである。
 
ひと呼吸置いて、「いらっしゃいませ」と、まるでささやくような言葉だった。
お客さまが先輩の存在を見た瞬間を見逃さなかった。短い言葉で品物の説明に入ったのである。
 
気がつくと、お客さまご夫婦は、先輩の言葉に一気に引き込まれてしまったかのようだった。
 
「ありがとうございます!」
品物が決定した瞬間だった。
 
お客さまも、先輩も満面の笑みをたたえている。
 
支払いはクレジットカードだった。
 
「ご署名をお願いいたします」
 
先輩が言った言葉はそれだけ。
ご夫婦とも満足そうな表情である。
 
余計な話をしない代わりに、必要な情報を手渡す姿勢である。
品物をお渡しした先輩は、お客さまをエレベーターまでお見送りしたのである。
 
「今日はどうもありがとう。いい買い物をさせてもらいましたよ」
 
「ありがとうございました。またどうぞお越しくださいませ」
 
エレベーターの扉が閉まる瞬間、深々とした礼をしたのである。
 
それ以来、そのお客さまは先輩を指名するかのようにご来店されるようになった。
上場会社の社長であり、経済団体の要職にある方だった。
 
VIPともいえるようなお客さまの心をしっかり掴んだ先輩。
自分とはいったいなにが違うんだろう?
 
うまく言い表わせないが、お客さまとの間に、なんとも言えないような感じのよさがあったことは事実である。
 
言葉は決して多くはないが、先輩のひとことひとことに、納得したかのようの微笑んでいたお客さま。
お客さまとの心地良い関係性である。
 
20代の半ばで見たその光景は、私のなかに希望というか、目標のようなものとして残っていた。
 
この関係ってなんだろう?
 
20代、30代ではわかろうとしてもなかなか理解できそうもなかった。
 
40代の半ばを過ぎたときである。
法人の営業をしていた私にとって、その日はある飲料メーカーとの間で、過去最大の販促品のビジネスが決まった日だった。
品物も提案内容も、お客さまとの信頼関係があったからこそ成約いただいたものだった。
 
その帰り道、ふと20代の頃に見た、あの先輩とお客さまの光景がよみがえってきたのである。
 
良いサービスとは、相手が欲しいものを、もっともふさわしいタイミングで提供すること。
 
それを生み出すものは、お客さまとの距離感ではないか?
あのときの先輩のように、お客さまにふさわしいタイミングで近づいて、お客さまが望まれるひとことを伝えていた姿である。
 
距離感には、物理的な距離と相手との心理的なものがある。
あの日の先輩は、その2つの距離感を身体で図りながら、お客さまに一番ふさわしいタイミングで行動していたように思えてきたのである。
 
本当の「コミュニケーション力」とは、相手との間で、この距離感をコントロールしながら、最適、最良の道を探ることかもしれない。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
高林忠正(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

ベストメモリーコンシェルジュ。
慶應義塾大学商学部を卒業後、三越に入社。
販売、仕入をはじめ、24年間で14の職務を担当後、社内公募で
法人外商を志望。ノベルティ(おまけ)の企画提案営業により、
その後の4年間で3度の社内MVPを受賞。新入社員時代、
三百年の伝統に培われた「変わらざるもの=まごころの精神」と、
「変わるべきもの=時代の変化に合わせて自らを変革すること」が職業観の根幹となる。

一方で、10年間のブランクの後に店頭の販売に復帰した40代、
「人は言えないことが9割」という認識の下、お客様の観察に活路を見いだす。
現在は、三越の先人から引き継がれる原理原則を基に、接遇を含めた問題解決に当たっている。

 
 

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2019-07-08 | Posted in 週刊READING LIFE Vol.40

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