母親の死が、教えてくれた《 週刊READING LIFE Vol.43「「どん底」があるから、強くなれる」》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:平野謙治(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「暑い……」
季節は、梅雨。
日差しはないのに、この暑さ。多分それは、高すぎる湿度のせい。
いつもは汗をほとんどかかない僕のTシャツも、じんわりと湿っていた。
もう、こんな季節か。あれから随分経ったな。
去年の今頃も、こんな感じだったかな。そんなことを、思いながら歩く。
母が亡くなってから、あと少しで一年が経つ。
あれは、去年の6月のこと。
今日みたいに、ジメジメした空気の平日。
まだ社会人になって、たったの二ヶ月だった僕は、営業で神奈川に来ていた。
一人でいても、まだ何もできない。当然ながら、先輩と車で同行だ。
客先で商談をしている途中、ポケットに入れていたスマートフォンが振動しているのを感じた。
多分、仕事の電話だろうな。あとで折り返さないと。
そんな風に思い、開くこともなく放置した。
しばらく話し込んだ後、客先を後にした。
「今日の商談は上手くいったね」とか、そんな話をしながら駐車場に向かっていたと思う。
あ。そうだ。携帯に、着信があったんだった。
車に着く直前、ふと思い出した僕は、ポケットから携帯を取り出して画面をつけた。
開いてみて、すぐにわかった。それは、仕事の電話ではなかった。
そこに表示されたのは、父親の名前。
「何かあったのかな」
少しだけ不安を感じながら、画面のロックを外すと、メッセージも届いていることに気づいた。
はやる気持ちで、アイコンを押す。
「母さんが交通事故にあった。今から仕事を抜けて、病院に向かう」
読んだ瞬間。心臓を、鷲掴みにされたような心地がした。
不安のあまり、自分の身体を正常にコントロールできなくなるような、そんな心地がした。
無事なのか? どの程度の事故なのか?
詳しい状況が知りたい。一刻も早く、安心したい。震える手で、父親に電話をかけた。
しかし……
「俺も向かっている途中で、詳しい状況はわからない。
とりあえず場所を送るから、仕事抜けて病院に来て欲しい」
父親から、期待した情報は何ひとつ手に入らなかった。
そんなに、何もわからないことあるのか? 苛立ちとともに、不安が強くなる。
だけど、今振り返って考えてみればわかる。
父親はわざと、僕に情報を与えなかったのだ。
不安が端々に表れていた僕とは対照的。電話から聞こえてきた声は、いやに落ち着いていた。
多分、父親はもう知っていたのだろう。母親が、すでに亡くなっていたことを。
会社に早退許可をもらった僕は、急いで病院に向かった。
営業先の神奈川から、搬送先の千葉の病院まで、電車で90分。
これほどまでに、長く感じた90分は、いまだかつてなかった。
病室に着くと、部屋の外に父親が立っていた。高校を早退してきた、弟も既に着いていた。
どうやら僕が、最後だったみたいだ。
二人は、泣いていた。それを見た僕は、察してしまった。
嫌な予感は、していた。だけどまさか……
亡くなるだなんて。あまりに、突然すぎる……
僕は、言葉を失った。
少し思考を巡らすだけで、どうにかなってしまいそうだった。
涙を流すこともなく、ただ、下唇を噛んでいた。
絶望だけが充満した、あの病室の空気を、僕は生涯忘れることはないだろう。
反対に言うと、それ以外の出来事は記憶が薄い。葬儀も、告別式も。あっという間に過ぎていった。
覚えているのは、祖父母や親戚の涙。それから、「これで本当にお別れなのか」と信じられなかったこと。
あのどこか現実を受け入れられない感覚は、強く覚えている。
思えば今まで23年間生きていて、身近な人の死を経験したことがなかった。
あえて言えば、父方の祖母くらい。だけど当時僕は、4歳。
幼すぎてよく覚えていないし、祖母と会ったことも、ほとんどなかったから記憶に遠い。
ただ印象に残っているのは、父親の涙。父親が泣いている姿を見たのは。思えばあれ以来だった。
どうして、泣いているのだろう。幼き日の僕は、そんなことを思ったかもしれない。
だけど今ならわかる。その涙の、理由が。
母親の死を経験して、思った。僕は今まで、「死」を理解していなかった。
当然、人がいつか死ぬということは理解していた。
だけどそれは、「いつか」だと思っていた。今を訪れることはないと、心のどこかで安心していたように思う。
自分も、家族も、友達も。なんとなく、周りにいる人たちは、ずっと生きてるんじゃないかと思っていた。「いつか」なんて、永遠に来ないって、そう信じていた。
だけど今回、わかった。
永遠なんて、ない。すべての人間関係は、「死」によって終わる運命にある。
それ以外の結末は、ない。
当時の僕は、告別式を終えても、それが永遠の別れだと信じることができていなかった。
寝て、目を覚ましたら、また会えるんじゃないかとか、そんな風に思っていたわけではないけれど、どこかにそんな可能性を探しているような、ふわふわとした感じだったと思う。
だけど僕が信じられるとか、信じられないとか、そんなことは関係なかった。
「死」は、確かにそこにあった。そして僕も、過ごしていくうちにそれを理解していくことになる。
それからの日々は、どうだっただろう。漠然と、辛かったのを覚えている。
ウチの母親は、専業主婦。障害のある弟の世話も含め、今までほとんどの家事をこなしてくれていた。
亡くなってからというものの、父親と僕で家事を分担することになった。
仕事も慣れない中で、家事までこなしていくのは、大変だった。疲れがどんどん、溜まっていく感覚があった。
しかし本当に辛かったのは、体力面じゃない。精神面である。
過ごしていく中で、母親がいないということを、じわじわと実感していった。
同じ料理をしてみても、なんか違った味になることとか、タオルを洗濯しても、仕上がりがなんか違うとか。茶碗を割ってしまったけれど、ひとつ余っているから買い足す必要がないこととか……
時間の経過とともに、少しずつ「死」の意味を感じ取っていったと思う。
でも僕は、決して弱音を吐かなかった。吐いてはいけないと、思っていたからだ。
いちばん辛く、大変なのは父親だ。そんな父親の前で、大変そうな素振りを見せてはいけないと思った。
努めて、僕は明るく振る舞った。
そして同時に、まだ高校生の弟を不安にさせたくないと思った。弟の前でも、常に気を張っていた。
友人や、会社の人にも、決して弱みを見せなかった。自分が不幸だと、思いたくなかったから。不幸な奴だと、思われたくなかったから。
「辛い」などとは、決して言うことはなかった。言ったが最後、自分を支えている何かが崩れ落ちてしまうような、そんな気がしていた。
だけどやっぱり、感情を抑え込むのにも限界がある。次第にごまかせなくなっていった。
この頃の僕は、毎日泣いていた。会社のトイレや、布団の中……人に見られない場所を選んで、声を押し殺して。
デスクワークをしていて、突然涙が込み上げてくることもあったし、酷い時には電車に乗っている時に泣いてしまうようなこともあった。自分で自分の感情を、コントロールできなくなっていた。
毎日が、不安で仕方なかった。
「死」は平等に訪れる。抗う術もなく、突然来ることもある。父親も死んでしまったらどうしよう。そうしたら、弟と二人で、どうやって生きていこうか……そんな風に、悪い想像ばかりが浮かんできた。
身体はこんなにも疲れているのに、毎日なかなか眠ることができなかった。それ以外にも、様々な異変が起きた。
ご飯がほとんど、食べれなくなってしまった。食欲が、まったくないのだ。
でも最低限水分補給して、栄養ゼリーとか食べれば、生きていくのには問題ない。むしろ食費が抑えられる……とか、そんなことを考えていたら、体重はどんどん落ちていった。
気づけば50キロ切っていた。身長175センチだから、相当異常だと思う。
そんな生活を続けていたある日の通勤中。酷い立ちくらみに襲われた。
やばい。立ってられない。すぐに、次の駅で降りた。しかしそこから、動くことができない。
ホームにうずくまっていると、駅員さんが担架を持ってきて、駅の医務室へと運ばれた。
どうやら、貧血のようだった。栄養をとって、しばらく休んだら、動けるようになった。
でも会社には、さすがに行けない。休むと連絡を入れ、家へと帰ることにした。
はあ。休まないと。休んで、回復しないと。
けど家族には、心配をかけたくない。「仕事休んだけど、寝たら元気になったよ」という姿を見せないと。
弟が帰ってくる時間の少し前に、目覚ましをセットして横になった。
この日ばかりは、本当に体調が悪かった。幸か不幸か、すぐに眠りに落ちることができた。
目を覚ましたのは、アラーム音ではなかった。自然と、目を覚ました。
久しぶりに、よく寝ることができた。まだ目覚ましが鳴る前なのかな。そう思い、スマートフォンを見た僕は驚愕した。
「え!? 21時って……」
信じられないくらい、寝てしまった。ああ、やばい。飛び起きてリビングに向かうと、父と弟がいた。
もうすでに、料理も洗濯も終わっていた。
ああ。やってしまった……
「ごめん、オレやらなきゃいけなかったのに……」
すぐに謝る僕。だけど父は……
「なあ、少し無理してないか?
辛い時は、辛いって言っていいんだぞ」
そう言って、僕の背中をポンと叩いた。
この瞬間、僕の中でピンと張っていた糸が、切れたような感覚がした。
気づけば、涙が溢れ出ていて、止めることができなかった。
「ごめんな。無理させてたよな……」
違う。なんで父さんが、謝るんだよ。
声にならない言葉が、嗚咽の中へと消えていく。
「たまには弱音吐いてくれよ。楽になるからさ」
涙が止まらない。だけど少しずつ、僕は本音を話し始めた。
「オレ、不安で……母さんが死んでから、不安で。
今頑張ってても、父さんも急に死んじゃうのかな、とか。
オレもいつか死ぬし、そしたらなんのために頑張ってるんだろうな、とか……」
言葉につまる僕を、父は急かすことなく耳を傾ける。
「そんなこと思ったら、すごく辛くなっちゃって……」
初めて口にした、本音。今まで言ってはいけないと、思っていた。
口に出して、受け入れてもらうと、少しだけ楽になったような気がした。
しばらくして、父も話し始めた。
「確かに、人は皆いつかは死ぬ。いつか絶対に、別れは来る。
それは、避けることはできない。だけどな……」
優しく、諭すように父は続けた。
「だからと言ってそれは、今を楽しまない理由にはならない。むしろ終わりがあるからこそ、今を懸命に楽しむべきだ。
『さよならだけが人生だ』という言葉を知っているか?」
「さよならだけが人生」?
聞いたことがある。確か、小説家の井伏鱒二先生が、漢詩を訳する時に使った言葉だ。
「あの言葉の通り、人間が死ぬ以上、すべての人間関係はさよならする運命にある。
でも悲観してもしょうがないだろ。最良の別れに向かって、俺たちは日々を過ごさなければならない。それが、人生だ」
最良の別れに向かって……
そんなこと、考えたことがなかった。世界の見え方が一変するような、そんな気がした。
この日を境に、肩に入っていた余計な力を抜くことができた。
母の死を通して、僕はいろいろなことを学んだ。
「死」は紛れもなく、永遠の別れだということ。
だけどだからこそ、今を懸命に生きる必要があるということ。
それから。辛い時は限界が来る前に、辛いって言うべきだってこと。
その日以来も、辛いと感じることはあった。だけどもう、自分で自分のことをコントロールできないような感覚に陥ることはなくなった。
ひとりでこっそり泣くこともなくなった。夜も眠れるようになった。ご飯も食べれるようになったし、体重も戻った。
季節はまた、梅雨。
あれから、もう少しで一年が経とうとしている。この一年、本当にいろいろなことがあった。
でもそれらすべてを乗り越えて、少しだけたくましくなった今の自分がいる。
僕は、いつか死ぬ。周囲の大切な人たちにも、等しく死は訪れる。そんなことは知っている。
だけどそれは、今を楽しまない理由にはならないことも、今の僕は知っている。
母さん、今まで本当にありがとう。
今日もオレは、最良の別れに向かって、懸命に生きるよ。
◻︎ライタープロフィール
平野謙治(READINGLIFE編集部 ライターズ倶楽部)
1995年生まれ24歳。千葉県出身。
早稲田大学卒業後、広告系ベンチャー起業へ就職。現在新卒2年目。
若手スタートアップコミュニティ「CAVE」運営幹部。
2019年2月開講のライティング・ゼミを受講。16週間で15作品がメディアグランプリに掲載される。
その内5月15日に掲載された作品、『苦しんでいるあなたは、ひとりじゃない。』がメディアグランプリにて1位を獲得する。
6月から、 READING LIFE編集部ライターズ倶楽部所属。
初回投稿作品『退屈という毒に対する特効薬』で、週刊READING LIFEデビューを果たす。
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