週刊READING LIFE vol.58

大人の自由席《週刊READING LIFE Vol.58 「大人」のリアル》


記事:夏秋 裕子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 

「よければ席替わりましょうか? 」
3連休の最終日、16時台の下り新幹線。自由席が絶望的に混む時間帯。
小学生の息子と私が自由席で隣り合わせの席が見つからず別々の席に座ろうとしていると、目の前に座っていた初老の男性が声をかけてくれた。
ありがたいお声がけに「ありがとうございます」と言おうとするやいなや、息子が「いえ、大丈夫です」ときっぱり言って私のナナメ前の席にずんと座り込んでしまった。
 
「まあ、1時間だし大丈夫かな」と思い、紳士には改めてお礼を言って席に着いた。
目的地に着き、
息子に「どうやった?さみしかったんちゃう?」と話しかけると、
息子は、「ぜんっぜん!むしろめっちゃ楽しかった!」ととても満足気。
さらに「次からも自由席で別々に座ろう」と言い出す始末。
 
何が楽しかったのかと聞いてみると、彼曰く「知らない大人同士に囲まれて、画面を見ながら過ごすことで自分も大人になったような気分になった」とのこと。
なるほど。周りの大人たちはPCや携帯電話をさわりながら仕事に励んでいたり、SNSを見ていたりしたのだろう。彼が見ていたのはゲーム機なのだが、大人達に囲まれてつかの間の大人気分を味わったようだ。
 
息子のうきうきした感じ。きっと横にいる母親から、いつ何時「もうゲームはやめなさい」と言われるかの恐怖に怯えずに思う存分ゲームを楽しんだのだろうなと思う。周りの大人たちは好きなようにPCに向かい、スマホを見続けている。子供から見たら「魔法の飲み物」であるビールなど飲んでいる人がいたら、大人はさぞかし「自由に好きなことを好きなだけできる」ように見えるのだろうな、と思った。
 
が、実際大人はそんなに「自由」なのだろうか?
多数の大人は毎朝決まった時間に会社に出勤し、PCを開けて仕事をする。その日のうちに終わらなかった仕事は残業して終わってからようやく家に帰る。職場という限られたフィールドの中には気の合う人もいれば、気に食わない人もちらほらいてたまに衝突することもある。一生懸命仕事をしていても、突然上司に呼び出されて怒られることもある。
まるで、毎朝決まった学校に行き、ノートを広げて勉強し、家に帰っても宿題があると文句を言っている君のように。まるで、悪いことしてないのに先生に怒られた、と落ち込んでいる君のように。たまに友達とけんかをして、泣きながら帰ってくる君のように。
ましてや新幹線でPCを叩いている人はよっぽど仕事で切羽詰まった状況なのか、ワーカホリックか……。スマホにかじりついている人は、お客様との連絡に追われているのかもしれない。ビールを飲んで一瞬でも忘れたいことがあったのかもしれない。大人の「リアル」なんてそんなものだ。
そう考えると自分が子供の頃に思っていたより大人は「自由」ではないな、と苦笑してしまった。子供も大人も生活の中でしていること自体はそんなに変わらないのかもしれない。
そのことを息子に伝えても、きょとんとした顔をしていたけれど。
 
では大人と子供の違いって何なのか。大人の自由とは「自分がどのように生きるかを選べる自由」ではないかと思う。子供はどうしても「自分」が中心になってしまう。「自分」の立場・目線からしか物事を見ることができない生き物だ。
生まれたばかりの赤ちゃんは一人で動くことさえできないので「生存する」ために、お腹が空いては泣き、排せつしては泣き、暑さ・寒さで泣き、眠くなると泣く。「今泣いたら周りの人が困るんじゃないか。ちょっと声小さめにしとくか」と思って泣く赤ちゃんはいないだろう。
それが大きくなるにつれ、周りの友達や大人の様子を見る能力が発達し、周りの環境に対して「自分がどう振舞うべきか」を考えるようになる。ただその動機は「どう振舞えばこのコミュニティの中でうまくやっていけるか。村八分に合わないか」という「自分」目線だ。
「自分で生きていける」力が身に付いた時点で、ようやく「周りの人の役に立つ」ことができるようになる。ただ「できるようになる」と「実行する」の間には天と地との差がある。周りの人の役に立つためには、「周りの人が自分に何を望んでいるのか」を察する力、望んでいることが実行可能なスキル、そして何より「自分のためだけにしたい色々なことを脇において、人のためになることをする」気持ち、が重要でなないだろうか。
 
経済力、人間関係力、知識、色々な武器を身に付けた大人は「自分の欲を満たすこと」が簡単にできるようになる。これが子供から見た「大人っていいな~、自由で」の片面。その裏側には「自分の欲求を好きなように満たすことができる力」を持ちながら、「どのようにふるまうか」が自分に委ねられている「自由」がぺったりと張り付いている。
「自分目線」と同時に「周りの人から見た自分」目線を持つのが「大人」だと思う。つまり本当の意味での「大人の自由」とは「自分を縛る様々な欲求から解放され、自由になる」ということではないだろうか。
自分を外から見たときに、少なくとも恥ずかしいふるまいをしていないか、願わくば自分が惚れちゃうようなふるまいができる、カッコいい大人になりたい。
新幹線で私たち親子にすっと席を譲ろうとしてくれた紳士は、息子に「大人のリアルなお手本」を見せてくれた。今は目の前のゲームに夢中の息子も、いつかは周りに注意を向けて人を思いやり、自分の何かを差し出す「カッコいい大人」になってほしいと願う。

 
 
 
 

◻︎ライタープロフィール
夏秋裕子(なつあきゆうこ)(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

奈良県育ち、広島在住。大阪大学文学部卒業。大学時代は考古学を専攻し、現場現物主義を身に付ける。食品メーカーの企画マネジャーとして親子単身赴任中。
「LIFE WORK HAPPINESS」を信条とし、ライフとキャリアを自分らしく楽しむ人を増やしたいと考えている。
/blockquote>
http://tenro-in.com/zemi/102023

 


2019-11-18 | Posted in 週刊READING LIFE vol.58

関連記事