逃げるは恥だが何もしないよりいい《週刊READING LIFE Vol.70 「新世代」》
記事:篁五郎(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
こういう書き方をすると若い人に絶対に「このオッサンは…… 」と言われるのはわかっている。だが、あえて言わせて欲しい。”モーレツ社員”ってすっかり死語になったなと。
バブル真っ盛りの頃は「24時間戦えますか?」なんてキャッチコピーが踊るくらい仕事に熱中することが美徳だった。それが当たり前だと思っていたのが僕が社会人になるくらいの頃の常識というやつだった。
しかし、今は真逆といっていい。
仕事とプライベートを充実させて両立させようというのが当たり前になった。その考えてに基づいて「働き方改革」なんてできてしまった。
ただ、誤解をしないでほしい。僕は、働き方改革の主旨の一つである「働く方々のニーズの多様化」に応えるための投資やイノベーションによる生産性向上や、就業機会の拡大、意欲・能力を存分に発揮できる環境づくりに関しては賛成だということ。そうした環境を作るのは企業にとっても個人にとっても恩恵は大きいと考えているからだ。
例えば、企業にとって大きな損失の一つは優秀な人物が辞めることだろう。せっかく育て上げた社員が他社へ転職するのは、ポジションによっては混乱を招くかもしれない。辞めるといえば、昨年ちょっと話題になったのが入社してすぐに新入社員が辞めることだ。
きちんと就職活動をして企業調査をしてOB訪問を行い、就職先の情報を集めて内定をもらったにも関わらず入社して三ヶ月とか一ヶ月、早い人は入社式の後に退職届を出すという。
その理由をbizzspa! で調査した結果がある。見ているともっとも多かった理由は「条件(給料・休日など)の違い」だった。離職者の32%が「入社前に聞いていた条件との違い」に退職届を出している。次に多かったのが「人や社風が合わない」だった。こちらは約27%である。他にも「残業が多い」「研修がきつい」などが続くがこの二つが突出している。
退職者の言い分を聞いてみると「基本給18万円+残業代別途支給と聞いていたのに、入社後になって『残業代は基本給に含まれている』と言われた」「入社後の配属辞令で、当初言われていた会社とは全く違う会社への配属が決定。そのため、提示されていた条件にも大きな変更が生じた」など面接時と違う環境や条件になったことで不信感を抱いたケースだ。
正直言えば、それは辞めてしまっていいかなと僕は思う。若いのだから次に希望に合う仕事が見つければいいのだ。ただ、本当にやりたい仕事ならばそう簡単に辞めないで欲しいなとは思う。会社だって人を雇うのにそれなりに投資をしているのだから。
ただ、僕の時代とは違うなとは思う。
僕はいわゆる”ロスト・ジェネレーション”と呼ばれる世代で就職先なんて見つからなかった。バブルが弾けて会社が求人を絞っていたので早稲田や慶応といった誰もが知っているような一流大学を卒業しても就職先が決まらずやむを得ずフリーターになって翌年に再度就職活動する者や派遣社員になって働く者がいるのが当たり前の状況だった。
就職活動も先輩の話は全く参考にならない。
何せ、先輩はバブル真っ盛りの頃だったので「楽勝だった」「簡単だった」という話しか出てこない。
「てめーの話はクソの役に立たねえんだよ! このクソぼけがあ」
などと酒を煽りながら愚痴を聞かされたのは一度や二度ではない。しかも、ようやく就職してもブラック企業で朝から晩まで働いて身体が壊れそうになった人もいる。
実は、僕もその一人で30歳になるくらいの頃だったと思う。フォトショップとイラストレーターの使い方を覚えて、とあるデザイン会社に正社員で就職をした。しかし、仕事が終わらない終わらない。確か、某パチンコチェーンの店内ポスターやPOPを作っていたのだができた提出物の修正がFAXで入り、それが終わるまで帰れないのだ。
一つのキャラクターや文字を動かせばバランスが崩れるのでそれを修正する。そんなのを繰り返しやっていた。しかも新たに依頼が来るのでそれも作らないといけない。お昼から出社だったが帰るのは翌朝が日常茶飯事だった。休み? そんなもんありません。
「じゃあ12時間後に」
これが帰りの挨拶。そんな生活を半年くらい送っていたら身体に変調をきたした。ある朝、お腹が痛くて痛くて立てなくなったのだ。這うようにトイレに行ったら血を吐いて倒れた。同居していた母親が運良く気づいて救急車を呼んでくれてそのまま入院になった。
診断は胃かいよう。きちんと休んで薬を飲んでいれば元の仕事に戻っていいよと診断された。しかし僕は入院中に郵送で診断書と退職届を送って逃げるように辞めた。もう心が折れていた。眠いのに眠れなくて酒を飲む量が増えていた。ストレス解消でタバコの本数も多くなっていた。一人でいるときに泣きたくもないのに涙が出たこともある。倒れる前に心が折れていたんだ。
恐らく新世代の人たちは「その前に逃げればいいのに」と思うだろう? でも逃げられないんだ。でも、当時は辞めたら次が決まらない可能性が高いから逃げられない。だから我慢して働く。そういった経験を大なり小なりしている人々が現在、役職付きになっているので若い人には注意して欲しい。
そんな人たちに使われるのは真っ平御免とばかりに起業をするのも新世代の働き方の一つだろう。
僕の時代だと、学生起業といえばホリエモンが頭に浮かぶ。他にもいたかもしれないが、かなり数は少ない。それくらい珍しい存在だった。
しかし、今は学生起業といっても大学生ならば珍しくはない。パソコン1台あれば、プログラミングを学習して、アプリを開発できる時代だ。それを財産として会社を興して、いくつもの企業と提携したり、新たな投資をしてプロジェクトを始めたりと意欲的だ。
しかも、起業するならば大学生のうちにやった方がいいというアドバイスまである。起業で勝つ秘訣として「ニッチを狙え」なんてのもある。勝てる理由は、少し考えればわかるだろう。ニッチはブルーオーシャンなので競争相手は少ない。下手すればいない。だから勝てるということだ。大きなマーケットを相手にしていないから資金力が弱くても十分対応できる。特有のニーズに応えることから始めればいいだけだ。しかも一人で始めればコストもかからずできる。
他にもたくさんのアドバイスや成功例がググると出てくる。驚いたのは「学生」の肩書きをフル活用すれば社会人起業家を相手にしても勝ち目が出るというのだ。
学校を拠点にしたり、校内でのテストマーケティングや、アンケートの収集も可能で、同年代のユーザーにアプローチしやすく、産学連携も可能、大学構内での事業展開もできる上時間も多い。おまけに体力があるから多少の無茶はきく。
これを聞いて「おお!」なんて思う人は少ないだろう。
なぜか?
理由はすこぶる単純で起業したいと思っている人はとっくにやっているだろうし、考えている人はとっくに情報として得ている可能性が高い。しかも現在は大学発ベンチャーは平成4年から経済産業省が「大学に潜在する研究成果を掘り起こし、新規性の高い製品により、新市場の創出を目指す「イノベーションの担い手」として高く期待されるものです」と省内のサイトに掲載をしているほど。補助金なども出ているので何か研究している学生は始めているだろう。
今は、れだけ起業をしやすい環境が揃っている。もし学内でできなくても現在は「0円起業」が可能だ。2005年に「中小企業挑戦支援法」が施行されたことで可能になった。実際は株式会社の登記登録で約30万円ほどかかるが元手が寂しくても株式会社の社長になれる。
登記先の住所はコワーキングスペースを使えばいい。現在、都内で約300ほどできていて月1500円とかで登記先の住所として登録可能な場所もある。月額いくらかで仕事するスペースを借りることできるので周りに知られずに起業も可能だ。
これだけ環境がそろっていれば、後は本人のやる気次第だ。これも新世代の働き方といえるだろう。
ただし、注意してほしいのは成功するかどうかは自分次第ということだ。ホリエモンは成功例の一つだが、そこに至るまでかなりの修羅場をくぐり抜けてきたのは言うまでもない。今は亡き近鉄バファローズの買収やプロ野球新球団の参入に名乗り出るなど話題をさらった。しかし、証券取引法違反で刑務所に入ってしまい一度は地に落ちた。そこからフェニックスのように蘇ってきて今に至る。学生起業ではないが20代でサイバーエージェントを設立した藤田晋氏は例外といえる。
現在でも企業向けのマーケティングコンサルティングや商品プロデュース株式会社AMF 代表取締役・椎木里佳氏やオンラインのプログラミング学習サービスを提供している株式会社Progate 代表取締役・加藤將倫氏、ランジェリーブランド「feast by GOMI HAYAKAWA」を立ち上げた株式会社ウツワ 代表取締役・ハヤカワ五味氏などがいるが数少ない成功例だ。
起業したいと言っている若者の中には「俺起業したんだよね」と言いたいだけで裏での地道な作業に嫌気がさして止めてしまうこともしょっちゅうだ。
他にも、いきなり借金をしてまで大きなことをしようとして失敗をしてしまうのもいる。何せ起業するときが一番お金を借りられる。民間の銀行でも政府系の金融機関でも貸してもらいやすい。
それで見込みが甘くて失敗をしてしまい多額の借金を背負ってしまうなんてケースもある。こうしてみると新世代の働き方とはなかなか苦しいものだ。だが、忘れないでほしい。
学生であろうが社会人であろうが、起業する苦労もタイミングも同じだ。学生の方が背中にある荷物が軽い分動きやすいはずだ。起業する目的ややり方を間違えなければ上手くいくかもしれない。もし失敗しても学生時代の経験は必ず役に立つ。それでいいじゃないか。
僕だってアラフィフに片足踏み入れた年なのに夢みたいなことを考えているんだ。
「夢と現実は違う? そうやって諦めるのを俺はやめたんだ。なれるかどうかわからないけどもっと上を目指し続ける」
52歳のプロレスラー・鈴木みのるの言葉だ。これを新世代の働き方をする人たちに届けたい。
◽︎篁五郎(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
初代タイガーマスクをテレビで見て以来プロレスにはまって35年。新日本プロレスを中心に現地観戦も多数。アントニオ猪木や長州力、前田日明の引退試合も現地で目撃。普段もプロレス会場で買ったTシャツを身にまとって港区に仕事で通うほどのファンで愛読書は鈴木みのるの「ギラギラ幸福論」。現在は、天狼院書店のライダーズ俱楽部でライティング学びつつフリーライターとして日々を過ごす。
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