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週刊READING LIFE vol.79

自宅でしかできないこと《週刊READING LIFE Vol.79「自宅でできる○○」》


記事:ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
自宅でできないことなんて、もうない気がする。
 
新型コロナウィルスの影響で外出自粛がつづき、もう1ヶ月ほど家からほとんど出ない生活が続いている。幸いテレワークに切り替えられる仕事なので、外出は週に1度ほどオフィスにいくだけにとどめて、食材を含めほとんどの買い物をネットショッピングに切り替えたら、家から一歩も出なくていい生活になった。
 
これまでの生活ではほとんど家におらず、子どもをもつ母親ながら、週末ですら外で仕事にあけくれる生活をしていたことを考えると、ものすごい生活の変化である。それにしても、案外機嫌よく対応できている自分に驚く。
 
家でご飯の支度をし、三食とも家族と一緒に食べたり、部屋中の掃除や片付けができるので、家が美しく保たれている。
心地よく過ごしたいからと観葉植物を買ってみたり、バルコニーでは家庭菜園をはじめてみた。引っ越してきてから二年以上、忙しさにかまけてほったらかしにしていたカーテンも取り付けた。クラウドファンディングで購入したホームシアターも、久しぶりにスイッチをいれた。ポップコーンを片手に家族で楽しむムービーナイトが、やっと実現した。
 
巷ではコロナウィルスの脅威が続いており、状況は深刻であることは理解しているけれど、降って湧いたような家族の時間に、思いがけず豊かさを見出している。
 
案外、こういう生活って悪くないな、と。
 
しかしこういう生活がさすがに長く続くと、外出できないことへのストレスも感じ始める。中でも、外食できないことに対するストレスが大きい。私は食べることが大好きなのだ。
 
自宅で、外食ができないものか。
 
やはり、もはや自宅でできないことは何もなかった。
 
もともとお取り寄せやテイクアウト、出前やウーバーイーツはあったけれど、通常の飲食店でデリバリーやテイクアウトができるところは少ない。なぜなら保健所の許可が必要になるからだ。飲食店は食中毒などのリスクを避けるため、ほとんどの店では食べ残しを持ち帰ることもよしとしていないのだから、テイクアウトやデリバリーなんてもってのほかだ。
 
しかし、このコロナウィルスの状況である。
 
外出自粛が謳われるなか、外食する人がめっきりと減ってしまったために、経営危機の筆頭に立たされているのが飲食店だ。
 
もともと飲食店の経営は一般的に楽ではない。
 
行列ができる人気店ももちろん存在するけれど、ほとんどの飲食店はぎりぎりのところで経営をしている。
 
諸外国と比べても相当外食費が安いのが日本の特徴だ。先進国では少し外食しようものなら、そんなに高級なレストランでなくてもランチで軽く一人3000円ぐらいはするが、日本ではその値段だと高級ランチになる。それに加えて外国ではチップもあるけれど、日本ではその習慣もないから、飲食店は本当に儲からない商売なのである。
 
気候や政治的状況の変化で簡単に価格が変動する食材の仕入れに振り回され、店舗の家賃を支払い、従業員への給料を支払ったら、客単価が1人前1000円だったとしてもいったいいくらの利益になるのだろう。3割の利益があればいいところだけれど、それにしてもたった数百円のことである。
 
その数百円の利益を積み重ねないと、当然経営はできない。しかし今はコロナのおかげで、まともな営業ができない状態である。そのなかで生まれたのが飲食店からのテイクアウトとデリバリーそして配送だ。つまり、これまではレストランにいかなければ食べられなかった本格的なプロの味や、ちょっといいお店の味が、簡単に美味しく自宅でも食べられるようになったのだ。
 
普段お世話になっている飲食店から、いろいろと取り寄せてみた。
近所の店からはテイクアウトを、ちょっと距離があるところからはウーバーイーツを、また遠い地方にあるところからは宅急便で、文字通り全国からの美味しいものを届けてもらい、毎日自宅で楽しんでいる。
 
大阪で友人が経営するお店から、鍋のセットを取り寄せた。ちょっとこだわった具材とスープが特徴で、他では絶対に食べられない彼らのスペシャリティだ。大阪にいくことがあってもなかなかタイミングよく食べにいけないので、かなり貴重な味である。しかしそれが、自宅でいつでも食べられるようになった。
 
小麦を使っていないパンが食べたい、と思っても、そんなものはよほどこだわった店に買いにいくか、自分で作るしかなかった。しかし今では近くの米粉パンサンドのお店がデリバリーをしてくれる。これまでデリバリーといえば、近場の蕎麦屋のどんぶりものかチェーン店が主流だったのが、米粉パンのような少し特殊でこだわったものまでも可能になった。
 
ちょっとこだわったお店だけではなく、カジュアルなお店も同様だ。
しょっちゅう通っていたお好み焼き屋も、ウーバーイーツで買えるようになっていた。息子と二人、学校帰りによく立ち寄っていた店である。そんな店のメニューまでもが取り寄せられるようになった。お好み焼きぐらい自分で作ったらいいではないか、と思われるかもしれないが、家で作るのと外で食べるのでは、その味や体験が全然違う。これらは全てコロナのおかげである。
 
もはやこうなると、一体飲食店になんの意味があるのだろう。
正確に言うと、飲食店の店舗という場所に、なんの意味があるのだろう。
 
人が動かなくても、モノが動いてくれる。
日本の宅配システムやデリバリーシステムは優秀だから、冷蔵、冷凍、常温で物がとどくし、なんなら日付指定、配達時刻指定も細やかにできる。これだけ正確、丁寧に配達してくれるのだから、少々の配送料を支払ったとしても自分たちが出向いていく時間とお金を考えたら安いかもしれない。
 
その場所にいくこと、その場所の空気感を楽しむことに、店舗の意味はあるかもしれない。しかしこれだけオンラインで繋がれる会議システムがあると、人とも簡単に繋がれてしまうのである。
 
また、VR(ヴァーチャルリアリティ)の進化もすごい。
夫が夫が最新のVRヘッドセットを買ってきた。
テクノロジーの進化のおかげで、かなりリアルな体験を、自分の周り半径1mの範囲でできるようになってしまった。文字通り自宅にいながら、どこにでも旅行し、なんでも体験できる時代になってきたのである。
 
日に日に進化するVRの技術で、かなりリアルな体験ができるようになっている。
旅行、スポーツのような体験はもちろん、人体のなかや宇宙など、人がいけない場所への行けるようになった。下手したら犯罪現場や戦争など、恐ろしい世界の擬似体験ですらできるかもしれない。アイデア次第、プログラム次第で、体験できないものは何一つなくなってしまった。
 
もはや、自宅と外の区別すら、付けられない世の中が来ているのかもしれない。
 
もしかしたらこれからは、自宅で仕事をするのが当たり前の時代になるのかもしれない。子どもたちの学校も、オンラインが基本になって、必要な時だけ出かけて集まるみたいなスタイルが主流になるかもしれない。
以前のように、社会は外、家庭は内、ではなく、社会は内になる日が来るのかもしれない。そうなるともしかしたら、家庭が外になるのだろうか。
 
本来自宅でするべきことを、外で楽しむ日がくるのかもしれない。
家で料理する、ではなく、外で料理することが当たり前になり、家では”外食”するのが当たり前になるのかもしれない。
 
家で仕事をすることが当たり前になれば、反対に外では遊ぶのが当たり前になるのだろうか。家でリラックスではなく、むしろハラハラドキドキの体験をし、反対に外ではのんびり寛ぐ体験をするのが主流になる日が来るのかもしれない。
 
そもそも自宅ではリラックスするもの、という先入観もある。
自宅では家族で団らんし、寛ぎ、休む。
確かにそれは事実かもしれないが、自宅にいることが苦痛という人が、現実には存在する。
 
よく家にいることが退屈で、どうしても出かけないと落ち着かないという人がいる。家で寛ぐことが苦手というか、なんだか自分の居場所を見いだせず、家にいたくないという人は多い。
 
何を隠そう私もその一人だ。
 
家族は好きだし、特に居心地の悪い狭くて古くて汚い家に住んでいるわけでもない。そこそこ普通の都内のマンションである。大きな不満はない。しかし家で寛ぐことがなぜか苦手で、何かにつけて仕事をつくり、外で過ごす時間をこれまで過大に作り出してきた。
 
家族のことはもちろん好きだが、家族であるというだけの事実に甘えて、また普段の忙しさにかまけてろくにコミュニケーションをとってこなかった。いやむしろ、家族と向き合うことが重くて、コミュニケーションをあえて避けていたことに気づいてしまった。コロナウィルスのおかげで、これまで目を背けてやり過ごそうとしていたことに、無理やり向かい合う機会をいただいている。
 
まる1日、毎日顔を付き合わせているのだから、会話をしないわけにもいかないではないか。なんなら時間はあまるほどあるので、自然とゆっくりと話し合う時間も取れる。そうなると自分が感じていた心地悪さや苦手な感覚が、嘘のようにとろけていく。私は一体何に対して身構えていたのだろう。何に対して居心地の悪さを感じていたのだろう。振り返ってみると、私は何か見えない敵と、家のなかで戦っていたのかもしれない。
 
母親でありながら、仕事をして家をよく空けていることを、仕事だからと正当化してきたことに、どこか後ろめたさがあったのかもしれない。息子も、夫も、仕事にいく私を快く送り出してくれるけれど、どこか心の片隅に、「一緒にいてあげられなくてごめん」と思う自分がいた。家でゆっくりくつろいでいると、そういう申し訳なく思う自分を見つけてしまうことが怖くて、だから家にいたくないとすら思っていたのかもしれない。
 
自宅は、自分の家だからと、自動的に最適な居場所になるわけではない。
自分の家だからこそ、自分が一番心を込めて、居心地のよい場所につくりあげていくべきものだ。
 
結局、一番の学びと仕事の場は、自宅なのかもしれない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)

食べかた研究家。京都の老舗料亭3代目として生まれ、現在は東京でイギリス人の夫、息子と3人ぐらし。食べることが好き、が仕事になり、現職は食べるトレーニングキッズアカデミー協会の代表を勤める。2019年には書籍「1日5分!子どもの能力を引き出す!最強の食事」、「子どもの才能を引き出す!2ステップレシピ」を出版。

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2020-05-11 | Posted in 週刊READING LIFE vol.79

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