週刊READING LIFE vol.82

シナリオ通り、私は「生きている」《週刊READING LIFE Vol.82 人生のシナリオ》


記事:黒崎良英(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
ありきたりな事実であるが、人生思い通りにはならないものである。子どもの頃の夢を叶える人や、期待した展開通りの人生シナリオを送る人は、大変まれである。
 
これも極めてありきたりな質問で、甚だ恐縮ではあるが、あえてお尋ねしよう。
 
あなたは子どもの頃、何になりたかっただろうか?
 
私は名探偵になりたかった。そう、探偵ではなく、「名」探偵である。
何を言っているのか分からないと思う。
私だって何言っちゃってたのか分からない。
まったく、子どもの思考及び発言はエキセントリックである。
 
子どもの時分から、私の頭の中はお花畑であった。
動物が好きだったので、「動物のお医者さん(つまり獣医)」とか「動物カメラマン」とか、現実からフワフワ浮いた希望を持っていた。まあ、子どものことなのでそんなもんであろう。
 
そんな子どもに知恵がつき、小学校の図書室でシャーロック・ホームズシリーズに出会う。なんとも紳士的かつ破天荒な探偵の姿に、私は感銘を受けた。
かっこいい、とにもかくにもかっこいい。
それらに続いて他の推理小説も読んでみる。
名探偵ポワロや三毛猫ホームズ、推理小説と言っていいか分からないが「ズッコケ三人組シリーズ」などもその要素があって面白かった。もちろん、漫画の「名探偵コナン」や「金田一少年」も外していない。
 
とにかく、名探偵はかっこいい。真相を暴き出すその道筋。クールな行動。パイプや帽子といったそのキャラクターを特徴付ける謎のアイテム群。
一つ一つがかっこいい。
 
当時小学生だった私は思った。
コレだ。コレしかない。私の進むべき道は、探偵になることである。
そう思ってしまった。
 
が、当時の拙い知識でも、「探偵」という職業が通常どのような仕事をしているか、知っていた。
浮気調査に失せ物探しに尋ね人……おおよそ理想とする探偵像からは程遠い。
そこで少年はどう考えたか。
 
「そうだ、探偵ではなく、名探偵になろう」
 
バカである。
何か調査をするのが「探偵」、事件を解決するのが「名探偵」。
子どもの頃の私には、そのような線引きがされていたのである。
 
では、名探偵を志して以降、そのための道を辿ってきたかというとそんなわけがない。せいぜい竹串と爪楊枝入れを使ってパイプっぽい何かを作っただけである。
というか名探偵への道ってなんなのさ。
 
こうして、時が過ぎ、当時考えていた人生のシナリオは、完全に破綻をきたした。何度も言うが子どもが考えたこと。当然といえば当然である。
 
だが、そのためかどうなのか、人生にドラマを求めるようになってしまった。
言い換えればドラマチックな人生シナリオを描きたいという思いがあった。
運命的な出会いや感動的な展開、自分に都合のよいハッピーエンド……いや、エンドしてしまっては困る。とにかく、そんな劇的な何かを妄想するのが常になってしまい、巷によく聞く波乱万丈な人生を歩みたいとは思っても、その実、大変平凡な人生を歩むことになる。
 
いや、少々違うか。
私の唯一にして最大の人生の特徴は、幼少期から続く病である。
 
私は2、3歳の頃から腎臓の病を患っている。
ネフローゼ症候群という、大人になって知ったのだが、決め手になる治療方法がない病気らしい。普通は成人するにつれて治っていくものだが、稀なケースとして、成人後も続く人がいるらしい。
運がいいのか悪いのか、私はそちらのケースらしい。
 
子どもの頃は散々これに振り回された。
2、3年間ずっと病院にいたので、子どもながらの世間の常識というものを知らない。運動という運動はことごとく嫌いであり、できるだけ体を動かしたくない。一人になることにトラウマ的な恐怖感を抱く、等々、半年ほどいた保育園、そして小学校と、とかく居心地の悪い思いをしてきた。
 
そして特にひどい思いをしたのが、薬の副作用である。
定期的に症状が出るたびに、ある種のステロイド剤を摂取することになる。
このステロイド剤、確かに効果があるのだが、すこぶる厄介な薬でもある。
 
「何にでも効くが、何故効くのか分からない」
 
と言われている、手放しでは歓迎できない薬だ。
 
確かに効く。一定期間飲めば症状がなくなる。
が、この副作用が凄まじい。
何が凄まじいかって、とにかく「お腹がすく」のである。
副作用というものは人によってまちまちらしいが、この効果は共通のようで、苦しまれた方も多いだろう。
 
意外とマヌケな副作用に思えるが、これが辛い。何せ、食べた直後からお腹が空いてくるのである。おそらく胃は満タンであり、通常ならお腹いっぱいで食べられない量にもかかわらず、とにかく食べたいと思うのである。体はわかっていても、脳がその警告を受け付けないかのようだ。
 
また、合わせて筋力を衰えさせ、脂肪をつきやすくする効果もあった。これは人それぞれかもしれない。だが、その効果と相まって、どんどん太っていくのである。いわゆる“病的な”太り方をしてしまうのだ。
 
子どもにとって、太る理由やその太り方なぞというものは、正直関係ない。その子を表すのに、見た目というものは100%に近い優先項目である。
故に、最初は心ない言葉を受けたものであった。
 
その後も、太っては戻り、太っては戻りの繰り返しであった。一番酷かった高校時代初期には、同じく「血管が細くなる」という副作用のため、足の骨が壊死(えし:血液が届かなくなって体の一部が死ぬこと)してしまった。以後、手術をした後も補助器具である杖を突く毎日である。まあ、これは「転ばぬ先の」意味が強いものであるが。
 
まあ、ともかく、腎臓一つのおかげで様々なひどい目にあった。
骨に菌が入ってめっちゃ痛くなった時もあったし、急性膵臓炎になったこともある。関係ないけどカッターで指を深く切ったこともあった。本当に関係ない。
 
で、こんなことを言うと「やはり波乱万丈な人生ではないか」とか「頑張ってこられたのですね」とか「大変だったのですね。それでもスレない人に育って偉いです」とか、過分なお言葉をいただけることがある。
大変ありがたいのだが、その実、心の中では大変恐縮してしまう。
 
いや、そんな大変なことではなかったのですよ、と。
 
なぜなら、私自身は何もしなかったからである。
ただ待ち、ただ我慢していただけで、能動的に何かをしたわけではない。
しかも命の危険にさらされたこともない。
腎臓は確かに身体にとって大事な臓器だが、突発的に死に至る症状が出るわけではない。故に、そこらへんの心配はさらさら無かった。
 
子どもの頃も、周りに大いに助けてもらった。学校の先生方は理解ある方々ばかりだし、同級生もそこまで性根の悪い人はいなかった。田舎の純朴さに救われたということでもあるだろう。
 
変な言い方ではあるが、私は私が望む劇的な人生を送ってきたわけでは無かった。
 
待てばよかった。とにかくひたすら待てばよかった。
人生にシナリオがあるのなら、私のシナリオには待ち時間が多く設けられているはずである。あるいは単純に「待つ」という項目が多く記載されているかだ。
 
病院の待ち時間(当時は検査結果が出るのが遅く、朝早く採血しても結果が出るのは午後になってからだった)、手術や施術の時間、自然に治るまでの時間、などなど。
待ったり我慢したりすれば良いだけだった。
 
これが苦手な方、待つという行為が苦手な方もいるかもしれないが、私は特に苦では無かった。
しつこいようだが、待つだけである。何もせずとも良い。
おかげで、能動的に何かをすることが大変苦手となってしまった。
社会人になって、そのツケを払わされているような感じである。全くと言っていいほど、私は仕事ができない。
次のことを考えて率先的に、など、苦手中の苦手である。
 
待てばカイロがあったまる……じゃない、待てば海路の日和あり、とは言うが、果たしてどうなのだろう。
 
しかし、こう考えてみると、一つだけ、子どもの時に考えていたシナリオ通りのことがある。
 
「何とかなっている」ことである。
 
何とか生きているし、働けている。
摂取量も少なくなったので、薬による苦しみも今はない。
数値的には臓器停止スレスレらしいが、それでも疲れやすいというだけで生きている。
 
何となく、こう言う職業になっているのだろうな、という子どもの頃の筋書きの「何となく」という部分は大いにあっている。
それが良い方向か悪い方向なのかは別として。
 
そうなのだ。大前提は、実際、叶っているのである。
それは、何とかなる、生きている、という前提だ。
流石に子どもとて、この時期に吐血して死ぬ、みたいなことは考えないだろう。いや、吐血して、ということに憧れはあったけれど。
 
少なくとも、この時期に死んでいる、なんてことは人生の筋書きには無かった。そしてそれはその通りになっている。私は生きているのだから。
 
生きていれば何とかなる、とは言わない。というか何ともならない事ばかりである。
しかし、人生のシナリオを見回した時、大前提の部分、すなわち“生きている”という部分はシナリオ通りなのである。
 
これは、想像以上に重要な事である。この大前提があるからこそ、これ以降のシナリオが書き続けられるのだから。
 
恥の多い人生である。人をうらやんでばかりの人生である。言い訳ばかりの人生である。
当初考えていたかっこいい人生とはかけ離れた人生である。名探偵にはなれてないし。
 
が、唯一思い通り、かつ幸いなことは、私がまだ生きている事である。
これは、おそらく誇って良い事である。もちろん、周りの方々のご厚意の賜物であることは重々承知している。
努力なぞしたことない。ただ「待っていた」だけである。
だが、それができたからこそ、私は今ここにいる。ここにこうして生きている。
 
オメデタイ思考であるかもしれないが、これはある意味、予想通りのシナリオである。これぐらいで喜んでおく方が、ちょうど良いのかもしれない。重畳重畳。
 
名探偵にはなれなかったが、大前提として望んだ通りの人生シナリオを、私は歩んでいるようだ。
 
さあ、これからもこの大前提のもと、どんなシナリオを描いていこうか。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
黒崎良英(READING LIFE編集部公認ライター)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。趣味は広く浅くで多岐にわたる。

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2020-06-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol.82

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