読ませてもらえなかったラブレター《週刊READING LIFE Vol.83 「文章」の魔力》
記事:武田かおる(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
いきなりだが、あなたはラブレターを書いたことはあるだろうか?
LINEなどで告白する場合もあると聞くこのご時世、自分で書いておいて、「ラブレター」という言葉が昭和チックな古臭いもののように思えて恥ずかしくなる。おそらくそんなものを今どき書く人は少数派ではないだろうか。
ラブレターは、もう過去のものになってしまったのだろうか。
しかし、私はアメリカ在住12年目になるのだが、あるものを購入する際に、ラブレターが必要となるシチュエーションに遭遇した。これは、その体験記である。
「ラブレターも忘れないように提出して」
目の前にいる中年の経験豊かな不動産エージェントの女性が言った。12年前、私と夫はアメリカに移住した直後から、アメリカで初めてのマイホームを手に入れるために物件を探していた。1年近く探し続け、やっと購入したいと思える家を見つけたため、正式な手続きを取るために書類を確認していた。書類の確認が終わり、最後に付け足すように私達の担当のエージェントが「ラブレターを書くように」と言ったのだ。
アメリカ人の夫はすんなりと「わかりました」と言う。
私の頭の中ははてなマークで埋め尽くされた。その状況で「ラブレター」が何を意味するのか非常に気になったが、あまりにすんなりと夫が返事をしたので、私はその場で質問するタイミングすら失ってしまった。
エージェントと別れた後すぐ、私は待ちきれずに夫に聞いた。
「ラブレターって何よ?」
「売り主に対して、購入手続きを取るための書類と一緒に出す手紙の事だよ」
その物件を購入したいと希望する人が書くオファーレター(購入オファー時、他の書類とともに提出する手紙)、通称「ラブレター」は、家を買うための公的な必要書類ではないそうだ。しかし、後で詳しく述べるが、多くの買い手が一度にオファーを出したときなど、売り主が買い手を決定する手がかりになることがある。そんな事を初めて知り、家を買うのにラブレターを書くなんて面白い習慣だと思った。
アメリカでは中古物件を購入することが多い。私達が初めてのマイホームを購入しようとしていた当時は、リーマン・ショックの影響でアメリカの住宅市場は買い手市場だった。住宅価格も底値に近づいていた。私達が買いたいと思った家も6ヶ月以上市場に出ていて、買い手がつかず、値下げを繰り返した末に我々が買いたいと申し出た状態だった。同時に複数の買い手がいたわけではないけれど、買い手として売り主に誠意を見せるために夫がラブレターを書き、無事私達がその家を購入することになった。
それ以降もアメリカで生活のする中で、引っ越しで家を売買する人と話をしているときには「ラブレター」の話をよく耳にした。
「昨日オープンハウスで、我が家を買いたいっていうオファーが5件あったの。
ラブレターももちろんもらったわよ。悩んだけど、手紙を読んで、若いご夫婦に売ることに決めたの」
こんな具合だ。ここ数年、リーマン・ショック後の住宅市場低迷期を経て、アメリカの住宅市場は右肩上がりで、売り手市場だ。住宅を買いたい人の数に対して住宅物件数が足りておらず、一軒の家につき、数件の購入オファーがあることも珍しくはない。週末にオープンハウス(誰でもが自由に家の中に入って、見学することのできる日時)を設定するのだが、そのときに優良物件だと、複数の人から家を買いたいとオファーを受ける場合がある。その中で、売り主が自分を買い手として選んでもらえるようにいろいろな手段を取ることができる。例えば、オークションのように、市場に出ている価格に金額を上乗せしたり、(ときに家の購入を希望する人複数が価格に上乗せして、最終販売価格がものすごく跳ね上がることがある)ローンは組まずにキャッシュで購入するなどだ。
しかし、誰しもが経済的に余裕がありそういった事ができるわけではない。おそらくある程度の頭金があり、残金はローンを組むとする人が大多数だと思う。その場合、他の購入希望者を蹴落として売り手に自分をアピールし、数人の買い手の中から選んでもらえるようにするために、売り手の心情に働きかける事ができる「ラブレター」が重要な役割を果たすことになる。
手紙には、家族を含めた紹介、家のどの部分が気に入ったのかなどを記載する。契約書上だけではわからない、売り主と売り家に対する誠実な気持ちをA4一枚のラブレターにしたためて、売り主にアピールするのだ。
昨年の秋のことだ。子供が大きくなって家が手狭になったこともあり、急遽、我が家も引っ越しすることになった。早速気に入った家があり、オープンハウスに行き、購入のオファーをすることになった。不動産エージェントからの情報によると、我が家の他にもう1件、オープンハウスの当日に購入のオファーがあったということだった。
12年前の最初の住宅購入のときと今は市場が違う。あのときは我が家以外にその家を買いたい人もいなかったが、今回は家を買うにあたってのライバルがいた。競合に勝つために、不動産エージェントの勧めで少しだけ売り手が希望する販売価格に上乗せした。買いたいと言っているもう一人も金額を上乗せするかもしれない。競合の相手がどんな人なのかわからないが、さらにライバルと差をつけるために、ラブレターが大きな鍵となった。
今回も英語がネイティブの夫がラブレターを書くことになった。前回の住宅購入のときは全てが初めてだったので、詳細まで気が回らないうちに手続きが終わってしまった。そのため前回どんなラブレターを夫が書いたのかあまり覚えていない。今回は夫がどんな手紙を書くのかとても気になったので後でコピーを見せてもらった。
ラブレターはWordで作成されていた。まず、「親愛なるXX様」と売り主の名前を書いた後に、我々の自己紹介から始まった。日本人とアメリカ人の夫婦であること、子供が二人いて、同じ町の学校に通っている。そういった類のことが書かれていた。その後、こんな風に続いた。
「あなたの家がとても素晴らしいので私達はすっかり気に入ってしまいました。
まず私達夫婦が気に入ったのは、玄関を入ったところのエントリーです。ドアを開けて家の中に入った途端、私達を温かく歓迎してくれるように感じました。
(…中略…)
おそらく、あなた方はこの家にいくつもの素晴らしい思い出をお持ちでしょう。私達は、そのあなたの家を引き継いで、これから長年に渡って大切に家を手入れしたり、管理してけることを誇りに思います。
あなたにとって、この家はとても大事なものであることを理解しています。それはただの「家」ではなく、家族の一員のようなものだと思います。その思い出が詰まった大切な家を、他人へ手渡すのは容易いことではないでしょう。あなたが愛して止まないこの家を、今後末永く大切にしますので、どうか私達を信頼して任せてください。
この家を今まで大切に維持してくださってありがとうございます。
最後までこの手紙を読んでくださったことに感謝いたします」
自分の身内が書いた手紙だが、読後ある種の感動を覚えた。私達は先に家を購入したので、家を売るための手続きはこれからだった。だが、無意識に自分が家を売る立場に重ねてしまった。そして、こんな手紙をもらったら、心が動かないとはいい切れないと思った。
私は夫からラブレターなどもらったことなどないので、こんな文章を書けることにも驚いた。当時、私は「ライティング・ゼミ」という書くことを学ぶ講座を受けていたのだが、そこで学んだ要素も含まれていて、最後まで読ませる文章に仕上がっていた。
私は、生の家を購入するときのラブレターを読み、その威力を見せつけられたような気がした。家の売買は言い換えると、大金が動くビジネスの取引とも言える。だから、冷静にビジネスとして割り切って購入者を決定することもできるが、ラブレターという書類がそこに加わることで限りなく売り手の心情を揺さぶる感情的なものに変わってしまうのかもしれないと思った。
「あなた達のオファーが受け入れられたわよ」
私達が購入のオファーを出した翌日、担当の敏腕の不動産エージェントから連絡があった。夫が書いたラブレターが功をなしたのか詳しくはわからないが、私達が選ばれた要因の1つであることは間違いなかった。
その後、我が家はすぐに持ち家を売る準備を始めた。住宅ローンを2重で支払う期間を少しでも短くするために、早急に家を売る必要があった。
我が家のオープンハウスの日は、今年の1月初旬の週末だった。私達が住む州の冬は厳しい。オープンハウスの日が吹雪だったり大雨だったりしたら、人々の出足にも影響してくる。だが、幸い昨年の冬は暖冬で、オープンハウスの当日は私達の心配をよそに、日本の4月のような小春日和の温かい日となった。そして、多くの人がその日我が家に足を運んでくれた。
その結果、オープンハウス当日に、我が家を買いたいというオファーが1件あったと、不動産エージェントから連絡があった。買いたいとオファーを出した方は、すぐに購入手続きに必要な書類を提出した。我が家の担当の女性不動産エージェントは、「非常に良い条件の買い手の方だから」と、その買い手のオファーを受け入れることを私達に勧めた。私達は先に述べたように、家を早く売らないといけないこともあり、その購入オファーを受け入れることにした。だが、1つ気になったのは、個人的に受け取るのを楽しみにしてた買い手の方からの「ラブレター」が添えられてなかったことだった。
おそらく、不動産エージェントの方が手紙を受け取ったら私達にまわしてくれるだろうと思っていた。だが、特にエージェントの方からは何もなかった。夫にも確認したが、エージェントの方から手紙は受け取っていないとのことだった。
ラブレターが無いというので、私は複雑な気持ちになった。我が家のどこを気に入ってくれたのかとかも知りたかったし、我が家を気に入って買いたいという熱意を表現してもらえないというのは、読むのを期待していただけに、寂しいものがあった。10年近く住んだ愛着がある家に「ラブレター」を通じて誠意をアピールしてくれない買い手の方を疑ってしまった。売り手市場なのに、なんだが我が家が軽く見られているような気がした。それは、ただの一枚の手紙で家の売買の必要書類ではない。だが、それがなかっただけで、複雑な気分になった。
その後、無事に家を売る手続きが済み、長年住んだ我が家も買ってくれた方に引き渡した。落ち着いた頃に、もう一度夫に聞いてみた。
「ラブレターってやっぱりなかったのかな?」
「いや、不動産エージェントがちょっと前に送ってくれたよ」
「えっ!? なんで、すぐに私達に送ってくれなかったんだろう」
「彼女の考え方としては、家を売る際は、ビジネスライクに決断するべきだけど、ラブレターをもらったら感情が揺さぶられてそれができなくなってしまう。だから、買い手がラブレターを提出したけれど、それを我々に見せなかったみたいだ」
私は言葉を失った。確かに私達を担当してくれた女性の不動産エージェントはやり手だった。彼女は、ラブレターがどれだけ心情に入り込んだり、心を揺さぶるのか知っていたのだ。だから、家を売るというビジネス的決断にはそれは不要と考えていたのだろう。
夫にその手紙を転送してもらうように頼んだ。どんなことが書いてあるのだろうか。ワクワクしながらメールを開いた。
ここでは手紙の内容全てを書くことはできないが、手紙からとても誠実そうな人柄が見えた。新しい人生のスタート地点に我が家を選んでくれたことも嬉しかった。その買い手の方も、元我が家を引き続き大切にしてくれる事が伝わった。夫が書いた手紙よりも我が家の気に入ってくれた部分の詳細を書いてくれていたし、我が家を気に入ってくれたというその熱量がじんじんと伝わってきた。この人達に我が家を託すことがよかったと実感できた。涙腺が緩むほど、心情に訴えかける文章だった。家の売買とかビジネスとかそんなことはどこかに吹っ飛んでしまうほどだった。
1枚の手紙がどれだけの威力があるのかを家の売買における「ラブレター」を通じて考えさせられた。アメリカでは、persuasive writing(説得力のある書き方)を小学校から徹底的に学ぶ。こういったことが、このラブレターにも活かされているのだろうと思った。
このように、「ラブレター」を出す相手は好きな人だけに留まる必要はない。
公私において、その対象の物事に対するあなたの気持ちの熱量を相手に伝えることができる手紙や文章を書くことができたなら、それはあなたにとって有益なツールとなる。その結果、相手の心情とつながったり、相手の心を揺さぶり物事が優位に動くことになるのかもしれない。
□ライターズプロフィール
武田かおる(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
アメリカ在住。
日本を離れてから、母国語である日本語の表現の美しさや面白さを再認識する。その母国語を忘れないように、2019年8月から天狼院書店のライティング・ゼミに参加。同年12月より引き続きライターズ倶楽部にて書くことを学んでいる。
『ただ生きるという愛情表現』、『夢を語り続ける時、その先にあるもの』、2作品で天狼院メディアグランプリ1位を獲得する。
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