週刊READING LIFE vol.86

忙しい大人にこそ“きょうよう”と“きょういく”が必要な理由《週刊 READING LIFE Vol,86 大人の教養》


記事:竹下 優(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
まもなく還暦を迎えようとする父と、食卓を囲んでいた時のことだった。
「知ってるか?年を重ねると、“教育”と“教養”が必要なんだぞ」
 
何を言い出すのだろう、この人は。
父が新聞や本を読んでいる姿など見たことがないし、
私も弟も、父から「勉強しなさい」と言われた記憶はない。
受験にも就職にも、全くと言って良い程に無関心だったくせに…
 
返す言葉に詰まっていると、父の顔から、ニヤリと笑みが漏れた。
「“きょういく”と“きょうよう”っていうのはな、“きょう、いく所”と“きょう、済ませる用事”のことたい」
 
年齢を重ね、家庭や家族において“果たすべき役割”が無くなると
時間を持て余すようになってしまって、心身の健康に良くない。
積極的に社会と繋がることで、毎日の “行く場所”と“やること”を作りましょう! ということらしい。
 
なるほど、「アクティブでなくっちゃ!」ってことね。それなら合点がいく。
幼い頃から、父親は家にいないことが当たり前のように育ってきたのだから。
 
「よく遊び、よく働く」
父を形容するのに、これ以上ぴったりの言葉はないだろう。
若い頃は時代の空気に乗っかった“モーレツ社員”というヤツで、
毎晩遅くまで働いたあと、憂さを晴らしに夜の街へ飲みに繰り出し、朝帰り。
朝刊の配達とともに帰宅しては、毎朝8時前に会社へ出かけて行く生活が続いていた。
当然、たまの休みにはグッタリと昼過ぎまで布団にくるまり動かない。
おやつを食べ終わった頃、少し青ざめた顔をしてリビングに入ってきていたのを覚えている。
「そんなにキツいなら、早く帰ってきて寝たら良いのに…」
 
その“モーレツ社員”生活に加え、
子どもたちが地域のボーイスカウト活動に参加するようになってからは
スタッフとして自身も活動に従事、土日をプログラムの運営に費やすようになった。
キャンプにハイキング、川遊び、サイクリング…
あらゆるアウトドア活動が安全に行われるよう、企画・事前準備から後片付けまでを引き受ける。
我が子のために、休日返上で頑張ってくれる姿には感謝していたけれど
すべてに全力投球、ひたすら疾走する父に、一体何度思ったことだろう。
「たまにはゆっくり寝たら良いのに…」
 
その後も年齢を重ね、会社でもそれなりに昇進や昇格を果たす中で
帰宅時間は朝の5時から深夜2時くらいには早まったけれど、
相変わらず、夜の街に繰り出すのは日課のようだし
子ども達が卒業した後も、ボーイスカウト活動は続けている。
さらにはゴルフという趣味も増え、“丸1日寝ている”ということは滅多にない。
 
「きっと、泳ぐのをやめたら死んでしまう、マグロみたいな人なんよ」
母は呆れ顔で笑っていたが、
私には、何だか生き急いでいるようにも見えてしまって、内心ちょっぴり不安だった。
 
「パパはどうして、あれにもこれにも手を出して、自分で自分を忙しくするんだろう」
幼い頃からずっと抱いていた謎が解けたのは、
私が会社勤めを始めて、4年が経った頃だった。
 
「お前が取れなかったネタ、他局が昼のニュースで出してたぞ」
一言だけ告げられ、切れる電話。あぁ、もう何度目だろうか。
きっとこの電話を切った後、スマホの向こうでは
「だから使えねぇんだ、あいつは!」って言われてるんだろうなぁ。
 
青天の霹靂で、うっかり報道記者になってしまった私は
事件・事故担当として駆けずり回る日々を余儀なくされていた。
早朝に「行け」と電話が鳴ったら最後、持ち場を離れるのも、帰るのも
全て電話で許可を取らなくてはならない。
 
「やれ」と言われた仕事が全て、まるで千本ノックだ。
何で、どうして?本当に、これでいいの?
いやいや、考えるな、考えるな、考えるな…
とにかく目の前のタスクを遂行することに集中しなければ!
事件・事故を追いかけ、取材し、原稿におこして、放送に間に合わせる。
新人なら誰しも通る道、いわば“基礎体力づくり”とも言えるこの段階で
早々に根をあげるなど、問題外なのだ。
 
毎日、帰宅する頃には満身創痍で
たまの休みに、パジャマで昼からお酒を飲みつつ、映画を見るのが唯一の楽しみになっていた。
 
映画のエンドロールが流れ始めると、
1本空いてしまったワインボトルを抱えながらぼんやり考える。
 
「交通事故の現場を“見慣れる”って、最低なんじゃないかな」
「人の生死について、意志を持たずに関与するって、どうなんだろう」
「結局、私は人の不幸で飯を食ってるんだよな…」
 
どんどんダークサイドに落ちて行くけれど、どうしようもない。
辞めるってことは、逃げるってことだし。
身体が重くて動かないとか、吐き気がするとか、精神的に参っている兆候もない。
休職、という選択肢も無いなら、このまま続けるほかないじゃないか。
 
でも…
駆け出しの会社員でもない、へっぽこ記者でもない。
何者でもない“私”を、誰かに認めて欲しい。
何にも分類されていない、1人の人間としての居場所が欲しい。
縋るような思いを押し殺して、見ないフリをしていた。
 
そんなある日のこと。
ふと開いたfacebookのとある投稿に目が吸い寄せられた。
 
紅葉がきれいな、秋のキャンプ場でマルシェを開きます!
ボランティアスタッフとして、参加してみませんか?
 
投稿の主は、ちょうどその頃知り合った同世代の女性。
「PCとWi-Fiがあればどこでも仕事ができる」という彼女は
偶然訪れた大分県のキャンプ場に惚れこみ、しばらくの間、滞在することにしたという。
 
なんて自由なんだろう。
いつも楽しそうで、幸せそうで。
その笑顔に吸い寄せられるように
個性的で、魅力的な人たちが集まってくる。
 
いいなぁ、私もそんな風になれたらな。
羨ましさと憧れから、ずっと彼女のSNSをフォローしていたのだけれど
住む世界が違うような気がして、“見るだけ”に留まっていた。
 
だけど…
「ボランティアくらいなら、私にも出来るかも…」
休みの日まで働くのは面倒だけど、日常を変えるチャンスかもしれない。
それに、秋の陽射しを浴びる紅葉は、さぞ美しいに違いない!
 
「それじゃあ、順番に自己紹介してから仕事を始めましょう」
薄くもやのかかった、朝7時のキャンプ場。
集まった10人ほどのボランティアスタッフが、広場に円を作って座っていた。
 
「○○です、写真を撮るのが趣味なので、今日は記録を担当します」
「△△です、いま自転車で日本一周をしていて。体力には自信があります!」
 
どうしようもないくらい焦っていた。
この場で、私は自分のことを、どんな人間だって言えばいいんだろう。
手先も不器用、会社での仕事は、ここでは役に立たなさそうだし…
泣きそうな気持ちになりながら、自分の名前を口にした。
 
「ゆうといいます。何か役に立てるか、分からないけど…頑張ります」
 
やっぱり、来るんじゃなかったかな。
そう思った時、件の彼女がこちらを見て微笑んだ。
「頑張ろうねぇ。でも、楽しむのが一番だからね!」
 
楽しむのが一番…そうか、それで良いんだ。
何者でもない、何もできない私でも
「楽しい」と思いながら働いて良いんだ。
ずっと凍り付いていた心が、ピシッと音をたて、ひび割れるのが分かった。
 
「こちらの駐車場は満杯なので、このまま上まであがって頂けますか?」
「入場料はお1人○円です、きょうはあちらのブースが初出店ですよ」
「両手がふさがって、お買い物しづらくないですか?荷物、お預かりしますよ」
 
訪れた人にも、この楽しさを感じて帰って欲しい。
この場所が、今が、特別な時間になってほしい。
そう思うと、不安げな顔をして立っているお客さんが目に留まり、声をかけずにはいられない。
 
そう、この時まですっかり忘れてしまっていたのだけれど
元々私は、見知らぬ人と話をするのが好きで
「たくさんの人と出会いたい、話を聞いてみたい」と、仕事を選んだのだ。
そんな事も忘れていたなんて…。
 
澄んだ秋の空と、黄金色に染まった山の木々。
そして「ありがとう」と笑顔がこちらに向けられるにつれ、
言いようのない、幸せな気持ちがひたひたと押し寄せる。
 
「命の洗濯、だなぁ…」
普段、髪を振り乱し、眉間にシワを寄せて走り回っているのが嘘のよう。
ここには、そうやって暮らしている私を知っている人は誰も居ない。
そのまんま、ただ、ここにいるだけの私。
目の前にいる私に、笑顔を向けてくれる。
羽根を休めるための止まり木を手に入れたような心地がした。
 
たっぷり9時間、イベント運営の雑務をこなし、日が暮れる頃にはクタクタになっていた。
その日集まったボランティアスタッフで、焚き火を囲み、缶ビールで乾杯する。
心地よい充足感と、少しだけ酔いの回った頭で、ぼんやり考えた。
 
今なら、羨んだり妬んだりしないで、彼女と話が出来るんじゃないだろうか。
 
「ひとつの場所に縛られないで生きるって、やっぱり幸せ?」
彼女は大きく伸びをして、満天の星空を見上げながら答えた。
「好きな時に、好きな場所に行って。それで仕事も出来て、お金が入ってくるのは幸せだよぉ」
 
やっぱり、いいな、憧れるな。
そう思った時だった。
 
「でもね、家族や友達といる時間が一番幸せだよ。
なのに見ず知らずの土地を旅して、暮らして、そこでまた新しい人と出会って、一緒に働いたりする。
それがうまくいくと、“あぁ、ちゃんとやれた”ってホっとするよ。居場所が1つ増えたら、大成功」
 
居場所を、増やす…確かに、仕事・家族・友達のほかに“居場所”があることが
どれだけ救いになるかは、今しがた、身を持って体験したばかりだ。
けれど、居場所って、数より質というか…そんなに沢山持っておく必要はあるのだろうか?
イマイチ納得していないのが顔に出ていたのか、彼女が続けた。
 
「どっしり構えて、そこに根を張るって、すごいことだと思うよ。
でも、1つの場所で頑張れば頑張るほど、“ここがなくなったらどうしよう”って不安にならない?
“大丈夫、ここで失敗しても、私が全否定されるわけじゃないんだから”って思えることが、私には大切」
 
自分の居場所、つまり“自分の存在意義”をなるべく多く持っておくことで
1つ1つのチャレンジに全力で打ち込めるようになる…
それが彼女にとっては“旅するように暮らすこと”で、
父にとっては“きょうよう・きょういく”だったのだ。
はたから見ればせわしないような生き方も、心のバランスを取るためには必要だということか。
 
それからというもの、私は“第3の居場所”づくりに精を出すようになった。
彼女が誘ってくれるイベントに参加してみたり、
休みの日には1人でお酒を飲みに外出してみたり。
少しずつ、“学生時代の私”も“会社で働く私”も知らない友人が増えていくにつれ
自分に自身が持てるようになり、心に余裕が持てるようになった。
 
おかげで仕事も好調に回り…とは残念ながらいかないのが現実。
相変わらず怒られてばかりだったけれど、1つだけ、確固たる変化が起きた。
 
“自分の心で感じて、自分の頭で考えること”
 
もちろん、その答えが間違っていることもあるし、
出された指示と食い違っていることもある。
けれど、千本ノックだと思っていた仕事の1つひとつに、
実はたくさんの人が関わる、ドラマが隠されていたことに気がつけたのだ。
あの時逃げ出していたら、きっと見ることが出来なかった世界が、ここにもあったのだ。
 
ところで、“教養”という言葉を辞書で引いてみると、
「教え、育てること」
「学問、知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力」
と書いてある。
 
ふむ…これまで“教養”というのは、文化芸術の知識に明るく、
読書に耽り、クラシック音楽を愛するような人たちのためにある言葉だと思ってきたけれど
意外と“きょうよう”も、同義なのではないかと思えてくる。
 
自分の居場所、存在意義を複数持つこと。
そこには、心のあたたかさ、豊かさが確かに存在し、その温もりは確かに自らを育ててくれるのだから。
 
だから今、私は子どもの頃の自分に教えてあげたい。
「ゆっくり眠ることも大切だけど、大人には“きょうよう”と“きょういく”が大切なのよ」
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
竹下 優(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

生まれてこのかた福岡県から出たことのない、生粋の福岡人。
ローカル放送局で細々とPRのお仕事に携わり、行き詰まり、“ライティング・ゼミ”の門を叩く。
趣味は宝塚歌劇の観劇、特技は二度寝と千鳥足。

この記事は、「ライティング・ゼミ」を受講したスタッフが書いてます。 ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

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2020-07-06 | Posted in 週刊READING LIFE vol.86

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