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週刊READING LIFE vol.88

「バースの再来」と「美し過ぎる履歴書」に悩まされないために。《週刊 READING LIFE Vol,88「光と闇」》


記事:タカシクワハタ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「いやあ、医学博士の方がいらっしゃるんですね。びっくりしました」
いやいや。
「クワハタさんはこの業界ベテランだから、いろいろ教わってくださいね」
いやいやいや。
転職して1カ月。どうも調子が狂う。
何か期待がやたら大きい。
実像はそんなことないのに。
こんなに期待させて良いのだろうか。
実態を知って失望させてしまうのではないだろうか。
とにかく気が重い。
 
前から気になっていることがあった。
自分の履歴書だ。
美しすぎる。
いや、申し訳ない。
自慢のつもりは全くないのだ。
履歴書が美しすぎるのだ。
世間では一流とされる大学出身。
大学院進学。
医学博士取得。
業界経験も6年。
趣味のフェンシングというスポーツ。
全国大会出場、ベスト16。
字面だけ見たら文武両道のエリートだ。
でもこれは全く自分の実像ではない。
例えるなら、スマホの画像編集ソフトで
不自然なくらいに目が大きくなったり
色が白くなってしまった写真のようだ。
そこにいるのは自分でないばかりか、
美しいパーツを集めただけの異形の怪物だ。
 
もちろん、最初からこんな履歴書を書きたかったわけではない。
「履歴書や職務経歴書では、思い切り自己アピールしましょう」
だいたいどの転職サイトでもそんなことが書いてある。
それに従って、自己アピールしたつもりだった。
しかし、自分の良いところをひとつ、またひとつと積み重ねていくたびに
どんどん自分の実像から乖離していく。
大学も附属校上がりだ。
大学院もあまり論文書けなかったし
出来の悪い学生だった。
研究職も、自分に才能がなくて
将来が不安になったから諦めて、一般企業に就職しただけだし。
そこで2回クビになっている。
趣味だって、本当はアイドルが大好きなオタクだけど
自分をよく見せたくてあえて書いていないだけだ。
こうして「美し過ぎる履歴書」が出来上がっていく。
自分から「闇」の部分だけを抜いた「光」の自分がそこに存在する。
その「光」が何か自分を飲み込んでしまう。
そんなプレッシャーに襲われていた。
 
どこか浮かない気分のまま、僕はテレビに目を移した。
そこにはプロ野球中継が映し出されていた。
そうか、今日は開幕戦だ。
新型コロナウイルスで3カ月遅れての開幕となったプロ野球。
無観客ではあったが、プロ野球ファンの誰もが待ち望んでいた日だった。
僕もそんなプロ野球ファンの一人であり、
阪神タイガースという球団を贔屓にしていた。
阪神タイガースの開幕戦は宿敵読売ジャイアンツ。
いわゆる「伝統の一戦であった」。
画面の中の伝統の一戦はすでに9回表、阪神の攻撃中だった。
得点は2対3と阪神が1点のビハインド。
しかし、先頭打者が出塁し
ノーアウトランナー1塁。
このランナーが帰れば同点、
ホームランが出れば逆転だ。
ここで迎えたバッターは、ジャスティン・ボーア選手。
今年阪神にやってきた元大リーガーの新外国人選手。
貧打に悩まされた阪神タイガース待望の大砲候補であった。
否が応でも期待が高まる。
この打席が今年の阪神タイガースの命運を握っている。
そんな打席であった。
巨人のピッチャーはクローザーのデラロサ投手。
彼の手からボールが放たれる。
ボーアのバットが動いた。
カン!
無観客の東京ドームに乾いた音が響く。
打球は3塁手の正面だ。
3塁手はボールを取ると素早く2塁へ送球する。
そしてそのボールを受けた2塁手は1塁へボールを送る。
綺麗な「5−4−3」のダブルプレーが完成した。
ノーアウト1塁のチャンスが2アウトランナーなしへ。
大勢は決まった。
僕はテレビのスイッチを切ると、思わず呟いた。
「何がバースの再来やねん」
 
「バースの再来」
阪神タイガースファンにとってこの言葉は悩ましい言葉である。
「バース」とは阪神の伝説の外国人選手、ランディ・バース選手のことだ。
バースは凄かった。
髭面のこの男はリラックスした構えで左バッターボックスに入ると
ピッチャーの投げるボールを次々とスタンドに放り込んでいった。
1985年、86年と2年連続の三冠王。
圧巻は86年の打率3割8分9厘、54本塁打。
この打率はいまだに破られていない日本プロ野球最高記録であり、
ホームランは当時王貞治氏が持っていた
年間本塁打最高記録にあと1本まで迫った記録であった。
そのため、阪神ファンだけではなく、プロ野球ファン全てからも
「史上最高の外国人選手」と呼ばれることの多い選手だった。
 
また、記録だけでなく、記憶にも残った選手だった。
特に阪神タイガース史上唯一の日本一に輝いた1985年の活躍は
いつまでも阪神ファンによって語り継がれている。
特に有名なシーンは「バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発」だ。
それは1985年、4月17日、甲子園球場のことだった。
相手はやはり宿敵読売ジャイアンツ。
巨人のピッチャーは槇原寛己。売り出し中の豪速球投手だ。
阪神は2点ビハインド。
しかしこの回はランナーが2人出て反撃態勢に入っていた。
バッターはランディ・バース。
セットポジションから槇原が速球を投じる。
バースはいつものようにリラックスした構えから軽くバットを振る。
カーン!
乾いたバットの音とともにスタンドがわっと沸く。
打球はまっすぐセンターの方向へ伸びていく。
中堅手のクロマティがバックスクリーン方向に走っていく。
しかし、クロマティの足が止まる。
バックスクリーン直撃、逆転の3ランホームランだった。
歓喜に沸く甲子園のスタンド。
その余韻が残ったまま、4番の掛布雅之にボールが投じられる。
その初球。掛布は迷わず打ちに行く。
打球はまたもやセンター方向へ。
まるでリプレイのように同じ軌道を描いていく。
2者連続のホームランだ。
甲子園のスタンドはお祭り騒ぎ、
この特殊な雰囲気の中、バッターボックスに入る岡田彰布。
明らかに雰囲気にのまれている槇原のボールが
また岡田のバットに吸い込まれていく。
またも打球はセンター方向。
もうクロマティは走ろうともしない。
三者連続、バックスクリーンのホームラン。
このシーンはその年の阪神タイガースを象徴するシーンであり、
阪神はそのまま打って打って打ちまくって優勝する。
バックスクリーン3連発。
この場面は優勝の甘美な思い出とともに、
阪神ファンにとっては忘れられないシーンになっている。
僕もそうだ。
まだ小学生だった僕はこのシーンで阪神の虜になった。
それだけではない。
何か辛いときや悲しい時はいつも
この「バックスクリーン3連発」を支えにしていた。
試合で負けた時。
女の子に振られた時。
仕事で失敗した時。
いつも僕はこの「バックスクリーン3連発」の動画を見ていた。
僕だけではない。
この「バックスクリーン3連発」は
きっと多くの阪神ファンの生きる支えであり、
希望となってきたのではないかと思う。
 
ただ、一つ大きな問題があった。
この思い出があまりに美しすぎるため、
多くの人々がこの「バックスクリーン3連発」に
すがるようになってしまったのである。
特にランディ・バース。
彼がアメリカに帰ってしまってから、
僕ら阪神ファンや球団フロントはランディ・バースの
幻影を追うようになってしまった。
それを一言で表す言葉が「バースの再来」だ。
毎年来日する新外国人野手には必ず
「バースの再来」という枕詞がつくようになってしまったのだ。
僕らは新外国人選手の姿に勝手にランディ・バースの姿をダブらせ、
大きすぎる期待をかけるようになってしまったのだ。
そして、その期待は毎年裏切られ続けた。
ランディ・バースはいつまでたっても現れなかったのだ。
開幕して1カ月で「神のお告げ」という一言を残し
引退してしまったグリーンウェル。
1本もホームランを打てずに解雇されたコンラッドやメンチ。
韓国プロ野球でホームラン王だったけど
日本の野球に対応できなかったロサリオ。
皆「バースの再来」という大き過ぎる期待に潰されるように
悲惨な成績で帰っていった。
それと同時に阪神タイガースの成績も急降下し、
1990年台から2000年台前半までは
最下位が定位置となっていた。
「たけし軍団に負けたらしいで」
「PL学園や智弁和歌山より弱いんちゃうか」
いつの間にかそんな言葉が聞かれるようになってきた。
考えてみれば無責任な話だ。
勝手に大き過ぎる期待をかけてしまい、
勝手に裏切られている気になっている。
ファンも球団フロントも過去の成功体験にとらわれすぎて
現実が見えなくなっていたのだ。
「バースの再来」という言葉はその選手の実態を消してしまっている。
まるで「美し過ぎる履歴書」が
何もその人の実態を表していないかのように。
 
それにも関わらず、やはり今年もやってきた「バースの再来」。
ジャスティン・ボーアもやはり苦しんでいた。
それも今までの中でも最悪と言って良いくらいの苦しみ方だった。
何しろ待てども待てどもヒットが出ない。
しかも都合の悪いことにチャンスに限ってボーアに打順が回ってくる。
気づけば18打席連続ノーヒットという不名誉な記録が出来上がっていた。
チームもそれに呼応するように絶不調。
野手は全く打てず、昨年絶好調だった中継ぎ投手たちが続々炎上する。
矢野監督の選手起用も全て裏目。
気づけば2勝10敗。ダントツの最下位であった。
「今年は100杯するんじゃね?」
「次の監督は誰かなあ」
まだ開幕して1カ月もたたないうちに
阪神ファンの中ではあきらめムードが漂っていた。
 
そんなある日のことだ。
マツダスタジアムでの広島戦。
1点ビハインドで迎えた3回表。
相手投手の押し出し死球で追いつき
なおもワンアウト満塁のチャンスを迎えていた。
そこで迎えたバッターは、
ジャスティン・ボーアだった。
なぜ満塁の時に限ってこの男に回ってくるのだろう。
しかも苦手の左投手だ。
とりあえずここはダブルプレーだけはやめてくれ。
そんな気持ちで僕は見ていた。
その時だった。
ボーアがリラックスした感じでスイングする。
当たった。
テレビ画面の上の方向にボールが消えていく。
画面が切り替わると、まるでストップモーションのように
誰も動いていない。
そして無人のライトスタンドの椅子に白球が突き刺さるのが見えた。
グランドスラム。満塁本塁打だ。
悠々とベースを回るボーアの背中を見て、
どこか懐かしい男の後ろ姿が見えた気がした。
バースの再来。
僕は頭を振った。
いやいや、そんなことはない。
たまたまあたりどころが良かっただけだ。
そう自分に言い聞かせる。
でもなんだろうか、この胸の高まりは。
何か今までとは確実に違う、ちょっとこの男が気になってきた。
 
ボーアの一発がチームに勢いをつけたのか、
阪神は広島に連勝し、ホームの甲子園球場に開幕戦以来の巨人を迎えた。
その試合は投手戦となった。
巨人の先発メルセデスが圧巻の投球を見せ、
全く阪神打線は攻撃の糸口を見いだせない。
一方の阪神の先発ガルシアも粘りのピッチングを見せ
巨人に得点を与えない。
無人のため、ただでさえ静かな甲子園球場の空気が
さらにピンと張り詰めるような好ゲームとなった。
試合は後半、7回裏、阪神タイガースの攻撃だ。
この回、打ちあぐんでいたメルセデスから4番の大山がヒットを打ち、
反撃の糸口を掴んだ。
そして、ジャスティン・ボーアだ。
どことなく自信を取り戻してきたように見えるこの男が
左打席に入る。
メルセデスは自信のあるスライダーで勝負してきた。
カーン!
乾いた、しかも何かがはじけたような破裂音が無人の甲子園に響いた。
ボールは高く高く舞い上がり、センターの方向へ。
この場面。
誰もがあの風景を思い出した。
何度も何度も繰り返し見た、あの場面。
そしてボールはあの時と同じような軌跡を描き
バックスクリーンに突き刺さった。
先制のツーランホームラン。
ここで、絶対打って欲しい場面での貴重なホームランだ。
ボーアがホームインし、チームメイトに祝福される。
ついに現れた、バースの再来。
いや違う、頼れる主砲、ジャスティン・ボーアだ。
 
思えば18打数ノーヒット。そんな無様な姿を晒しながら
ボーアは愚直に自らの仕事を全うしてきたのだ。
できれば人には見せたくない「闇」の部分、
でもそれがあったからボーアのホームランは
より強い輝きを見せ、「バースの再来」ではない
ジャスティン・ボーアという一人の選手として
僕らの胸に刻まれたのだ。
 
物体は、光とそれによってできる影の部分が合わさることによって
物体として認識できるのだという。
それと同じように、
苦しんでいる部分、かっこ悪い部分があるからこそ
その人の人物像が見えてくる。
ボーア選手はそんなことを教えてくれた気がする。
「美し過ぎる履歴書」に悩む必要はない。
ミスや、失敗を恐れずに進んでいけばいいのだ。
そこから自分らしさが生まれてくるのだし、
自分自身を本当にアピールできるのだから。
まだまだシーズンは始まったばかり。
ボーア選手が1年間活躍できるのかはまだわからない。
でも「闇」を身につけたボーア選手ならやれるような気がしている。
そして「バースの再来」ではなく
「救世主ジャスティン・ボーア」として阪神タイガースを導いてくれる。
そう信じることにしようと思っている。
そして、自分もボーア選手のように「闇」を身につけていこう。
「美しい過ぎる履歴書」とは違う自分で、未来を切り開いていくために。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
タカシクワハタ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

1975年東京都生まれ。大の阪神ファン。
大学院の研究でA D H Dに出会い、自分がA D H Dであることに気づく。
特技はフェンシング。趣味はアイドルライブ鑑賞と野球・競馬観戦。

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2020-07-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.88

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